『「沖縄核密約」を背負って:若泉敬の生涯』 後藤乾一 岩波書店

「沖縄核密約」を背負って 若泉敬の生涯

「沖縄核密約」を背負って 若泉敬の生涯

本書の主題は,いわゆる沖縄核密約の舞台裏ではなく,国際政治学者としての若泉敬,その人の生涯にわたる生き様にある.日本を代表する国際政治学の泰斗として学問においても,外交の現場においてもさらなる活躍が期待されていたはずの若泉は,沖縄に対する贖罪の念とともに,故郷の鯖江に隠棲し,凄絶な晩年を送った.密約交渉の事実を明らかにする著作『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』をまとめ,二人の息子と絶縁し,自裁の覚悟をもって沖縄戦没者墓園でひたすら祈る若泉.その生涯の背景にあったものは何か.

東大法学部を卒業し,現在の防衛省の前身である保安庁に保安研修所の教官として就職.さらに,ロンドン大学ジョンズ・ホプキンス大学へ長期留学し,欧米の政治家,学者に多くの知己を得る.こうした人脈を買われ,佐藤栄作の密使として,沖縄返還交渉の裏舞台で活躍した.戦後エリートの一人であることは間違いない.交渉相手はニクソン大統領の補佐官キッシンジャーである.

日本のため,沖縄人民のためと信じ身を献じて尽くした沖縄返還交渉.しかしながら,返還後の沖縄は,若泉が期待したようになることはなく,沖縄そのものが大きな負債を背負い込んだままになってしまった.一方,政治家,佐藤栄作は,表向きには「本土並み核抜き返還」を実現し,ノーベル平和賞も受賞.沖縄と地縁のないものにとって,ここ何年か騒がれている普天間基地移設問題にしても,どこか他人事であったりする.若泉が「愚者の楽園」と呼んだ本土に住む人々に,若泉が突きつけたものは何か.

本書は,若泉の生い立ちから晩年にいたるまでを追うことによって,こうした問いに対するヒントを提示する.本書でもう一つ注目すべきは,国際外交評論誌,国内評論誌に若泉が寄稿した論文の内容が紹介されている点であろう.そこで述べられている国際社会における日本外交のあるべき姿とその論拠は,40年たった今でも,強い説得力を持つ.第4章では,彼が提唱した,全方位外交の理念,相互依存関係に基づく世界システムの構築などについても触れられている.

また,本書に関連して,6月19日ワールドカップ日本・オランダ戦の裏で放映された,NHKスペシャル「密使 若泉敬 沖縄返還の代償」(*)も是非見て欲しい映像.沖縄密約といえば,外務省機密漏洩事件(通称,西山事件)がよく知られている.この西山事件を扱った『沖縄密約 1972−2010』(諸永裕司,講談社)は,西山太吉夫人,情報公開裁判を勝ち取った弁護士の二人の女性の生き様を扱った好著.先週,沖縄密約に関する日本側の外交文書がついに公開され,本問題に一つの決着がついたとも言える.さらに,沖縄の現実は,現在の住民の生活,経済,政治と複雑に絡んでいて,きれい事で片付く問題ではない.そのあたりを詳らかにしてくれるのが,『沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野真一集英社インターナショナル)である.

2010.12.30追記:NHKスペシャル(*)は,22年度文化庁芸術祭賞大賞を受賞.また,1月に,『評伝 若泉敬』(森田吉彦,文春新書)が出版予定.週刊朝日2010/03/19,26日号に,『若泉敬 知られざる「密使」の苦悩:上・下』(諸永裕司)がある.

【読んだきっかけ】雑誌で若泉のことを知ったこと.記憶が定かではないが,『やっと政府が認める「密使」命がけの告発 沖縄「核密約」の真実』(週刊文春2009年11月26日号)あたりか.月刊文藝春秋で,『運命の人』(山崎豊子)が連載されていたのも一因.

【一緒に手に取る本】

他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス 〈新装版〉

他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス 〈新装版〉

密約―外務省機密漏洩事件 (岩波現代文庫)

密約―外務省機密漏洩事件 (岩波現代文庫)

沖縄密約―「情報犯罪」と日米同盟 (岩波新書)

沖縄密約―「情報犯罪」と日米同盟 (岩波新書)

ふたつの嘘 沖縄密約[1972-2010] (g2book)

ふたつの嘘 沖縄密約[1972-2010] (g2book)

沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史

沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史

評伝 若泉敬 (文春新書)

評伝 若泉敬 (文春新書)