『鴎外の恋人―百二十年後の真実』 今野勉 日本放送出版協会

鴎外の恋人―百二十年後の真実

鴎外の恋人―百二十年後の真実

良質のミステリを読むような面白さである.

本書は,NHKハイビジョン特集「鴎外の恋人 百二十年後の真実」を基に加筆修正してまとめたもの.故多田富雄氏の「知ること,発見すること,それを感動をもって知らせることは科学,芸術に共通した喜び.書かなければ発見したことになりません」という言葉に押されて執筆した,とある.その価値は十分あったと言えよう.

海軍から派遣されて若くしてドイツに学に出た鴎外は,彼の地で若い女性と恋に落ちる.3年後に鴎外が帰国したとき,その女性は鴎外の後を追って船で日本にやって来る.鴎外も承知の上であり,日本で暮らすつもりであったらしい.しかしながら,鴎外の親族,海軍関係者からの反対,説得にあって,鴎外は結婚を断念し,女性は2週間後故国への帰路につく.その二年後,鴎外は自身とその女性とをモデルにしたと言われれる小説『』を執筆し,公開した.

上記の史実も,小説「舞姫」の内容もだれでも知っていることだと思っていたのだが,最近の若い人の多くは,鴎外も「舞姫」も読まなくなっており,その存在させ忘れられかけているらしいので,記しておいた次第.

こうしたことを背景に,舞姫のヒロイン,エリス・ヴァイゲルトのモデルとなった鴎外の恋人はだれで,どんな人だったのか,鴎外が実際に経験したことと小説はどこが同じでどこが違うのか,などの問題は長年にわたり様々な研究がありながら結論が出ていなかった.本書は,エリスのモデルが,アンナ・ベルタ・ルイーゼであることを突き止め,ルイーゼの出自,ルイーゼと鴎外との間に起こったことなどもほぼ明らかにしたと言えよう.

テレビプロヂューサである著者が15年以上にわたって探究を続けてきた成果である.これまでの鴎外研究を十分に把握した上で,森林太郎のMとRを刺繍するために使う金属の原版(モノグラム),ルイーズ来日当時の乗船名簿,ドイツの不動産登記簿,鴎外が作った漢詩の解釈,鴎外の友人,知人,家族の日記,記録,などを丹念にあたっている.

鴎外と言えば,家父長,エリート軍医,文学者などさまざまな顔を持つ.また,海軍の脚気対策における鴎外の失政も有名である(『模倣の時代 上巻』).

鴎外とルイーゼはその後長く文通を続けていたが,鴎外は死を前にして,写真と手紙のすべてを焼却させたという.ルイーズの子孫(孫)も祖母が日本人と交流があったことなど全く知らなかった.鴎外とルイーゼの二人の愛は,二人の思い出の中に封印され,鴎外が家族を守るために大きく脚色して書いた小説『舞姫』と鴎外の次に「杏奴(アンヌ)」,三に「類(ルイ)」の名前の中にその痕跡を残すのみである.

それにしても鴎外と別れたとき,エリーゼは15歳10ヶ月であったというのは,ちょっとびっくり.

20101.1.15追記:鴎外はなぜ『舞姫』を書いたのか.それは日本の家族と自分の立場を守るためだったかも知れない.ルイーゼとの本当の思いでは他のどこかに大切にしまっておいたのかも知れない.昨年12月,明星研究会主催のシンポジウム『文学者の大逆事件−<リアル>の衝撃』が文化学院にて開催された.歌人の坂井修一氏が,大逆事件後の鴎外の発言を指してダブルスタンダード,という指摘をしていた.鴎外は,鴎外なりに大変だったのでしょうね.

【読んだきっかけ】書店にて.鴎外については既に余りに多くの本があるので慎重になるのですが,最初の数ページを立ち読みして引き込まれました.

【一緒に手に取る本】

舞姫 (集英社文庫)

舞姫 (集英社文庫)

模倣の時代 上巻

模倣の時代 上巻

模倣の時代 下巻

模倣の時代 下巻