“大逆事件を機に顕わになった,あらゆる「理想」と「虚構」の「不可能性」を歴史的に隠蔽する『坂の上の雲』のような作品に,国民が熱狂していることが,おぞましく感じられたからである” 『文学者たちの大逆事件と韓国併合』  高澤秀次 (平凡社新書)

文学者たちの大逆事件と韓国併合 (平凡社新書)

文学者たちの大逆事件と韓国併合 (平凡社新書)

 高々100年前のこと,それも日本のことなのに,自分が何も知らないでいたことに驚かされる.1910年(明治43年)は,大逆事件韓国併合があった年である.大逆事件とは,天皇暗殺未遂事件によって26人が逮捕,起訴され,その翌年12人が処刑された事件であり,政府によるでっち上げ事件であるとされる.伊藤博文ハルビンで暗殺されたのが1909年,中国で辛亥革命が起こり清朝が滅亡したのが1911年.

大逆罪とは,天皇,皇太子などに危害を加えることに対する罪であり,戦前の刑法によって死刑に処せられることが定められていた.1910年の大逆事件は,そのほとんどが,国家によるでっち上げ(フレームアップ)であった,という点を忘れてはならない.

本書では,こうした時代背景の中で,文学者たちが何を考え,何を書き,どのような生活をしていたかを,そして,後代の文学者にどのような影響を与えたかがつづられている.文学評論というより,近代史の本としてとらえた方が良いかも知れない.大逆事件韓国併合があった1910年という時代の空気はどのようであったのか,そこに生きた普通の人たちはそれをどのように感じていたのか,現在の私たちがそれを実感をもって知ることは簡単ではない.

その時代を象徴する事件の中核に直接切り込むのではなく,はるか遠くからそれを眺め,そしてその代わりいろいろな方角から見ることによって,時代の全体像がぼんやりとではあるがつかめるようになることもある.

プロローグからの引用

二一世紀に入って十年を経過し,なお新世紀への展望を切り抜けぬばかりか,さらに混迷の色を濃くする今日,日本近代史の最初の躓きの石でもある大逆事件韓国併合による文学の偏向とその呪縛を,百年後のいま多面的に検証しておくことは重要である.
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国民国家としての自立が,帝国日本の対外進出へと接続するなら,そのターニングポイントとなった大逆事件韓国併合を,「歴史の忘却」から救い出すことが必要である.これらを,同時代の出来事として把握するパースペクティブが,いま緊急に求められるゆえんである.

話題にのぼる文学者は,(1)佐藤春夫柳田国男,(2)夏目漱石,(3)永井荷風谷崎潤一郎,(4)立原正秋井上光晴,(5)中上健次,(6)夏目漱石有島武郎,(7)梁石日ヤン・ソギル),(8)三島由紀夫,(9)大江健三郎,などなどである.これら文学者の小説をあまり読んでいないので,著者の意図をどこまで読みこなせたかは,はなはだ心もとないのだが,いくつか気になる発見もあった.

  • 大逆事件の舞台となった新宮という都市のこと.新宮にとって戦争とは大逆事件であって,太平洋戦争さえ存在しなかったとさえ思える(佐藤春夫).
  • 1911年頃,南北朝のどちらを正統とするかについて国家規模での歴史論争になった.桂内閣を揺さぶる政治問題に発展し,南朝を正統とすることで政治的に決着.へえー,これは初耳.谷崎の『吉野葛』や『妹尾山婦女庭訓』『義経千本桜』などとも関連.


あとがきからの引用

本書中,「不可能性の時代」という大澤真幸氏の言葉を借用し,戦後史の時代区分として示されたこの概念を,明治時代に導入したが,それには理由がある.大逆事件を機に顕わになった,あらゆる「理想」と「虚構」の「不可能性」を歴史的に隠蔽する『坂の上の雲』のような作品に,国民が熱狂していることが,おぞましく感じられたからである.

【読んだきっかけ】昨年の12月,与謝野晶子への関心から明星研究会主催のシンポジウム『文学者の大逆事件 ― <リアル>の衝撃 ―』を聴講した.開催場所の文化学院は,新宮出身の西村伊作によって創設された学校.
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