『激変! 日本古代史 卑弥呼から平城京まで (朝日新書)』 足立倫行 朝日新聞出版

激変! 日本古代史 卑弥呼から平城京まで (朝日新書)

激変! 日本古代史 卑弥呼から平城京まで (朝日新書)

学問の進歩はしばしばゆっくりである.基礎科学とか,この古代史とか,発見的要素が必須となる分野は特にそうである.だからと言ってうっかり10年,20年ほっておくと,すっかり様変わりしていることがある.「激変!」と言われて手に取らないわけにはいかない.ましてや著者は足立倫行である.

帯に「卑弥呼の姿が見えてきた!」とあるがそれは少し言い過ぎかも知れない.そんな簡単に謎は解けない.

一般書や専門書を渉猟し,展示会や博物館を廻ったものの,歴史の全体像がつかめなかったという.そこで,著者は,発掘の現場に立ち返り,発掘担当者を訪ね歩いた.本書は,既にある資料や既存の学説をいたずらにつなぎ合わせようとしたものではなく,日本各地で史実の生の証拠に触れている人たちの声を集めることで古代史の概観をつかもうとしたものである.その試みは成功していると言えよう.

古代史・卑弥呼といっても,訪ねる地は奈良と北九州だけではない.吉備,出雲,群馬,伊勢にまで足を延ばす.これらの地には文化的,神話的交流の跡が見られ,古代日本人の活動の広さがうかがえる.あたりまえの話しであるが,車もインターネットも無い時代のことである.古代における情報伝達の方法と規模,人的,文化的交流の規模と手段をどのようにとらえればよいのだろうか.

なるほどと思ったのは,土器の追跡から,古代人は東京湾から荒川を遡って群馬へと辿り着いたらしい.やはり,古代人の交通,流通は海運が重要であったのだ.奈良の山奥に都ができたのも,木津川があったからだし,木津川の手前には巨椋池という大きな湖があって,大阪湾と琵琶湖をつないでいた.

巨椋池の歴史は,wikipediaここに詳しい.これをはじめて知ったときには本当に驚いた.

(2011.1.25追記)
1/23(日)のNHKスペシャルは,『“邪馬台国”を掘る』であった.3世紀に大和朝廷の場所,すなわち卑弥呼のいたところは,奈良の纒向(まきむく)遺跡と,佐賀の吉野ヶ里(よしのがり)遺跡が2大候補であるが,前者にスポットをあてた番組.発掘も地道な作業!

【読んだきっかけ】書店にて.
【一緒に手に取る本】
(2011.1.30追記)
30年前の本だけど,いい本でした.昨年2010年は,平城京遷都1300年祭で盛り上がっていましたが,平城京の正確な場所がわかって,発掘調査が進められたのは,明治・大正期以降のことなのですね.あれだけ大きな都であっても時の流れの中で忘れ去られていくんだと,感じ入ったのでした.

平城京はなぜ短期間で廃都されたか,若草山に木が生えないのはなぜか,についてそれまでの銅精錬に伴う廃液説にかわる仮説が,白須賀公平氏よる,金メッキに用いた水銀説である.日本経済新聞 2004年5月7日の文化欄に掲載され,話題を呼んだ.「もっ.とも、水銀中毒は私の仮説に過ぎない.。しかし現代の環境科学の力をもってすれば、土中の水銀濃度を測定することで検証できると思う。実証してみようという方はいないものだろうか。」という文章で終わるのだが,その後,解明は進んでいるのか,興味あるところです.