この地上の世界って,あんまりすばらしすぎて,だれからも理解してもらえないのね  『ソーントン・ワイルダー わが町 (ハヤカワ演劇文庫) 』 ソーントン・ワイルダー 鳴海四郎訳

ソーントン・ワイルダー〈1〉わが町 (ハヤカワ演劇文庫)

ソーントン・ワイルダー〈1〉わが町 (ハヤカワ演劇文庫)

2011.4.3追記----
3.11付け朝日新聞夕刊,【窓・論説委員室から】の山口宏子論説委員による文章.(おそらく震災をうけてのことであろう)「この戯曲(ぎきょく)を読み直したくなった。」という.

「時計の音も……ママのヒマワリも。それからお料理もコーヒーも。アイロンのかけたてのドレスも。あったかいお風呂も……夜眠って朝起きることも。ああ、この地上の世界って、あんまりすばらしすぎて、だれからも理解してもらえないのね。人生というものを理解できる人間はいるんでしょうか――その一刻一刻を生きているそのときに?」(鳴海四郎訳)
 連綿と受け継がれた、たくさんの命と暮らしが、いきなり断ちきられた瞬間を体験した今、この劇の中にある、平凡だがかけがえのない日常が、痛いほど胸にしみる。

追記ここまで-------------

作家の辻邦生が書いた晩年のエッセーで,ワイルダーの戯曲『わが町』を高く評価していたのがずっと気になっていた.研究社小英文叢書の1冊を買って,細々と原文を読んでいた.

今回,新国立劇場で『わが町』の公演があったので,それを観て感動し,改めて戯曲を読み直した次第.

本書は,ハヤカワ演劇文庫の1冊.鳴海四郎訳.解題は,水谷八也氏.しかし,このハヤカワ演劇文庫というのをどれくらいの人が知っているだろうか.大きな書店でもなかなか置いていない.なんとか,続けて欲しいものである.観ていない演劇やテレビドラマの脚本を読むのは,かなりの想像力とエネルギーが必要なのは事実ではある.だからこそ読む価値があるのだとも言える.

さて,『わが町』は,取り立てて特別なところのない,アメリカの普通のある町の日常をつづった3幕ものの芝居である.
新国立劇場での公演(末尾参照)パンフレットにおける水谷八也氏(公演は水谷氏の翻訳による)による寄稿『『わが町』と死者の眼−近代の終焉のために』がたいへん良いのだが,その冒頭で氏は,

『わが町』はあらゆる戯曲の中で,もっとも非情,かつ悲しい作品のひとつだ.

という.主人公エミリーは,この町で育ち,結婚し,出産の時に死んでしまう.わが町でのなにげない日常の繰り返しが,実はかけがえのないものであったことに,エミリーは気がつく.ただし,そのことに気がつくのが,死んでからであるところに人生の悲哀がある.

第3幕の終わりに近いシーンでのエミリーのせりふ(鳴海四郎訳)

ああ,この地上の世界って,あんまりすばらしすぎて,だれからも理解してもらえないのね.人生というものを理解できる人間はいるんでしょうか−その一刻一刻を生きているその時に?

ただひとり,この人生の機微を生前から知っていたと思われる登場人物に,曰くありげの酔っ払いサイモン・スティムソンがいる.だが,彼は自殺してしまうのだ.

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】
英語で読んでみたい人向けには下記.そんなに難しくない.

わが町 (研究社小英文叢書 (120))

わが町 (研究社小英文叢書 (120))

新国立劇場公演『わが町』の概要】
期間:2011.1.13-29
作:ソーントン・ワイルダー
翻訳:水谷八也
演出:宮田慶子
音楽/ピアノ演奏:稲本 響

キャスト:
小堺一機鷲尾真知子相島一之佐藤正宏中村倫也佃井皆美中村元紀・山本 亨・青木和宣・増子倭文江・斉藤由貴

朝倉みかん・宇郄海渡・内山ちひろ・大村沙亜子・菅野隼人・斉藤 悠・佐々木友里・下村マヒロ・高橋智也・高橋宙無
内藤大希・橋本 淳・橋本咲キアーラ・水野駿太朗・横山 央

神尾冨美子・北澤雅章・竹居正武・都村敏子・紱納敬子・中野富吉・森下竜一・吉久智恵子