“人々がゆううつや不安,イライラなどの都合の悪い感情を,異物としての外在化,つまり外からくるものとしてとらえる傾向が強くなっている” 『眠れぬ夜の精神科―医師と患者20の対話 (新潮新書)』 中嶋聡 新潮社

眠れぬ夜の精神科―医師と患者20の対話 (新潮新書)

眠れぬ夜の精神科―医師と患者20の対話 (新潮新書)

大なり小なり心の問題を自身の中に抱える人はごく普通であり(皆無といってもいいかもしれない),ましてや,より深刻な悩みを抱えている人が,家族や周囲にいることも珍しくはない.

産業革命以降,肉体労働に代わって頭脳労働の比重が増え,また,インターネット時代にはいって,日常生活を営んでいくには知識集約型の作業が求められるようになっている.頭を使わないと生きていくことが難しい時代なのである.農作業などの肉体労働で,腰を痛めたり,怪我をしたりした人がいたように,「頭」を酷使することによって,「頭」を病む人が増えるのは,必然のようにも思われる.

本書のいいところは,いわゆる教科書,参考書ではない,という点だ.すなわち,XXX病はこういう徴候がある病気で,こういう点に注意が必要で,こういう薬がある,というような「家庭の医学」的な辞典,あるいはその要約ではない.

それぞれの病気ごとに,著者がどんな患者さんと出会い,治療に際してどのような会話が行われたかが書かれている.本書の特徴は,「はじめに」にまとめられているが,次の2点を読者への注意として書き添えている.

  • 一臨床医としての主観をあえて隠したり排除したりすることなく記述しています.ですから,ここに書かれていることは,すべての精神科医が一様に認めているような意見であるとは限りませんし,精神医学界の定説であるとも限りません.
  • 臨床は生き物です.一般論としていえることであっても,それが「あなた」という個人に妥当するとは限りません.

このような本書の特徴が,逆に,読者と精神疾患の距離を縮め,理解の助けになっているとも言えよう.

取り上げられている症例は,以下の目次を参照.

はじめに
I 心の病気に関する12の疑問
1 「眠れないんです」――不眠症
2 「ゆううつで、朝起きて会社に行くのが辛い」――うつ病
3 「車を運転していると、突然胸が締めつけられて、死んでしまうのではという恐怖に襲われる」――パニック障害
4 「一人でいるのに、知らない人の声が聞こえるんです」――統合失調症
コラム(1) 依存症について
5 「妻が急におしゃべりになり、また怒りっぽくなってきた」――躁病
6 「人前に出るとドキドキして、顔が赤くなる。会議の日などは逃げ出したくなる」――対人恐怖症
7 「あちこちで何でもないと言われるが、それでも癌じゃないかと心配だ」――心気神経症
8 「馬鹿らしいとわかっていながら、鍵をかけたかどうか気になって何度も確認してしまう」――強迫神経症
コラム(2) 不登校について
9 「最近顔のほてりやのぼせが気になる。更年期と関係あるんでしょうか」――更年期障害
10 「上司との関係がうまく行かず、毎朝仕事に行くのがゆううつ」――適応障害
11 「彼が毎日きまった時間に電話をくれないと、見捨てられた気がして不安。何度か薬をまとめ飲みして救急治療室に運ばれてます」――境界性人格障害
12 「気がつくと手首を切ってしまっている」――自殺念慮・自殺企図
コラム(3) 性同一性障害について
II 治療に関する8つの疑問
1 「僕の病名は何でしょうか」――病名について
2 「原因は何でしょうか」――原因について
3 「治りますか」――転帰について
4 「遺伝しますか」――遺伝について
コラム(4) 沖縄で精神科を開業するということ(その1)[個人的体験編]
5 「薬はいつまで続けるのでしょうか」――服薬について
6 「薬をのんでいて妊娠しても大丈夫ですか」――妊娠について
7 「カウンセリングを受けたいのですが」――カウンセリングについて
8 「今かかっている医師は話をほとんど聞かないで薬を出すだけなので、病院を変わりたいのですが」――転院について
コラム(5) 沖縄で精神科を開業するということ(その2)[精神医学編]
おわりに

臨床現場での経験を基にした著者自身の見解が語られている点が,特徴でもある.例えば,「適応障害」については次のような具合.

精神科医として最近感じることは,人々がゆううつや不安,イライラなどの都合の悪い感情を,異物としての外在化,つまり外からくるものとしてとらえる傾向が強くなっているということです.自己イメージがあまりにも「良い」ため,落ち込みや不安程度の「悪い」内容も心の中で持ちこたえられないのでしょう.以前ですと,自分の性格の問題ととらえて,何とかしたいと相談するケースがかなり多かったのですが,最近ではめっきり少なくなりました.そのかわりに,「不安をとる薬をください」「イライラをとる薬があるって聞いたんですけど」などと,あたかもゆうつや不安,イライラは自分とは関係なく,外からとりついたものであるかのように語って,薬を切望する人が増えています.カウンセリングを勧めても,「いえ,薬のほうがいいです」と断る人も多くいます.
(中略)
うーん,どうでしょうか.適応障害って,治療して治すようなものなのでしょうか.それとも「あなた自身の生き方の問題です.自分でしっかり考えなさい」と言って突き放す方が,本当は本人のためなのでしょうか.精神科医としても,ジレンマを感じている毎日です.

  • (p.157)によれば,双生児を調べた研究,養子を調べて研究,の両方において得られた一致した結果として,統合失調症と双極型躁うつ病は遺伝性の影響が圧倒的に強くて生育環境の影響はほとんどなく,単極型躁うつ病では遺伝性の影響はあまり強くなく生育環境の影響がかなり強い,とのことである.
  • (p.196)沖縄には沖縄独特の精神疾患のとらえ方があり,沖縄独特の民間療法がある.沖縄にはユタという霊能力者がいる.

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