“文学は、ある意味では勝利者の手によってつくられてゆく歴史への反逆である” 『マラーノの系譜  (みすずライブラリー) 』 小岸昭 みすず書房

マラーノの系譜 (みすずライブラリー)

マラーノの系譜 (みすずライブラリー)

初刊1994年,手元にあるのが1998年の版だから,読んだのはずいぶん昔になる.私にとって.ここ10年のベスト5に入るくらいの本.それくらい,この本をきっかけに多くのものを読んできた.

マラーノとは,

マラーノ(Marranos スペイン語ポルトガル語。「マラノ」とも)とはイベリア半島において強制改宗させられたユダヤ人(ユダヤ教を偽装棄教し表面上キリスト教徒となったユダヤ人)を表す言葉。歴史的経緯から、蔑称としての意味合いが強い。
もともとの意味は「豚」。多くが14世紀から15世紀に異端審問や魔女裁判などの影響でスペインからポルトガル、オランダ、イギリスなどへ集団で亡命した。

("マラーノ." Wikipedia. Wikipedia, 24 Sep. 2010. Web. 27 Jun. 2011. による)

二つの物語からはじめよう.まず,
イスラム統治下のスペインは異教徒に対して寛容であったが,キリスト教国によるレコンキスタ(国土回復運動)が達成された後,1492年3月31日ユダヤ教徒追放令が発布される.ユダヤ教徒は,改宗か追放かの選択を迫られることになる.コロンブスがアメリカ大陸へ向けて出航するかたわらで,多くのユダヤ教徒が異国の地(世界のさまざまなところ)へ旅立っていった.

そして,それから400余年の後,
1917年ポルトガル北部の村ベルモンテへやってきた鉱山技師,その村に隠れユダヤ教徒がいることを発見する.彼らは,スペインを出たユダヤ教徒の末裔で,異端審問の嵐が吹き荒れる中,ユダヤ教徒であることを隠して何百年もひっそりと暮らしてきたのであった.この僻地の村のユダヤ教徒は異端尋問の時代が終わったことも知らずにいた.

こしうして世界各地にちっていったユダヤ教徒の系譜を追った本.スピノザ,ハイネ,カフカにまでいたる.ユダヤ教徒キリスト教徒との二面性を持ち,そのどちらにもなれなかった彼らの精神を追う.ユダヤの系譜を引き,そのマラーノ性と戦い,苦しんできた人は多いのだ.

本書冒頭から引用.

文学は、ある意味では勝利者の手によってつくられてゆく歴史への反逆である。したがって、文学は、歴史の裏側へ追放され剥奪状態に陥った敗者が、おそらく最後に赴く場所であるにちがいない。正義という男性原理の圧迫の下に「書く」ことを「非・場」の生き方として選択した者は、社会が強いる同化を表面的に受け入れながら、心の奥底では歴史への反逆を生きようとする意識によって引き裂かれているのだ。このような改宗ユダヤ人マラーノが彷徨(さまよ)い込んでいった歴史の裏側に向かってゆくとすれば。どの地点から歩み出せばよいのだろうか。

本書の表紙を飾る絵は,パブロ・ピカソによる「ラ・セレスティーナ」.本書でも登場する碧眼の女性.ちょうどこの本を読んでいる頃,上野の森美術館で開催していたピカソ展のポスターに使われていたと記憶する.1998年のことである.偶然とは言えちょっと驚いた.ピカソ青の時代の傑作である.2008年にもセレスティーナは日本にきたらしい.

P.152

この国にあっては、マラーノと旧キリスト教徒の間ばかりでなく、マラーノ同士の間、いや友人や身内の間にさえも、不信と密告の恐怖が渦巻いていた。何事によっても汚濁されない強い知性をもって考える人間ならば、このような世界に生き残ってゆくことは偽りと密告の行為の瓦礫の山に投げ出されているようなものだと感じざるを得なかったに違いない。「偽りのないのは誰だ」と叫ばざるを得ない、マラーノの置かれた状況こそが、この作品を暗鬱さと悲劇性に満ちたものにしているのである。だから、セレスティーナと彼女の手引きによって登場人物が滅びてゆくという結末だけが、この作品に悲劇的で黙示録的な雰囲気を与えているわけではない

【読んだきっかけ】
「みすず」の読書アンケート特集号であったか.
【一緒に手に取る本】
本書をきっかけに読み続けてきた,小岸昭とその共同研究者である徳永祆の関連した本はどれもはずっせない.マラーノの足跡を追って,アフリカ,インド,中国と世界各地を巡る.

スペインを追われたユダヤ人―マラーノの足跡を訪ねて (ちくま学芸文庫)

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離散するユダヤ人―イスラエルへの旅から (岩波新書)

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隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン

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中国・開封のユダヤ人

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スペインを追われたユダヤ人―マラーノの足跡を訪ねて

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十字架とダビデの星―隠れユダヤ教徒の500年 (NHKブックス)

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京都大学を退官して北海道に居を構えた小岸氏の味わい深いエッセー集
「赤い家」物語

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マラーノ性とは意味が引き裂かれたアイデンティティを表す言葉としていろいろなところに現れる.
日本のマラーノ文学

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中央アジアにあったと言われる謎のユダヤ教国ハザール王国に関する一連の書も面白いのだが,それは改めて.