“最後まで知性のクレイドルcradle(揺り籠)は疑いなんだ。疑いを全部切り捨てるような境地に行くのは、これはファナティシズム、狂信の境地でしょう” 『かくれ佛教』 鶴見俊輔  ダイヤモンド社

 

かくれ佛教

かくれ佛教

 鶴見俊輔の書いたものを意識的に読み始めたのは比較的最近のことである.きっかけは,岩波書店の「図書」に連載されていた1ページのエッセイ「一月一話・そのとき」と,上野千鶴子小熊英二との共著『戦争が遺したもの』を読んでからである.鶴見俊輔の魅力は,いわゆる大学人とはまったく異なる知の系譜をもっていることであろう.特異な家系に生まれ,特異な教育を受け,特異な人生を送ってきたとも言える鶴見の価値観は,なにものにも左右されない確固たるものがあるように思う.だから,彼が,何を見て,何を語るかが,いまだに目が話せないのである.
 帯に曰く,

鶴見俊輔、米寿にして宗教を語る……
「この本は、わたしが書きたくて書いた、いわば終点にあたる」

なによりも鶴見俊輔が佛教を語る,と言う点に興味があるのだが,このようにいわれたらあ読まないわけにはいかない.そして,この本の価値を高めているのは,豊富な脚注.これなくして,本書を読み解くことは普通の人にはできない.あとがきにて著者曰く,

 この本は村上紀史郎氏との合作である。
 すでに米寿をこえ、記憶もまだらになっている私に、まだ書きたいと思う動機は、のこっている。
 私をはげまして、ことにあたらせ、出典をしらべ、引用をただしたのは、村上さんである。
(中略)
 老齢の著者にとって、この本は、私が書きたくて書いた、いわば終点にあたる。協力者の助けを得てはじめて成った。感謝する。

村上紀史郎氏とは,『「バロン・サツマ」と呼ばれた男―薩摩治郎八とその時代』の著者.

キリスト教も,マルクス主義も,ウーマン・リブも,常に自分が正しいと思っていて,「あなたは間違っている」という傾向がある.そういうものに対しては警戒心を持つという.聖書を読んでもイエスはそういうことを言っていない,という.

氏の博識ぶりは,wikipedia にあるこんなエピソードからもうかがえる.

筑摩書房の編集者松田哲夫によると、鶴見は専門の哲学はもとより、「マンガやジャーナリズム、近代史について、とてつもない知識」を持っており『ちくま日本文学全集』の編集作業の際、鶴見が5歳の時からの膨大な既読書の内容をすべて覚えており、「古典的名作だけにとどまらない、例えば赤川次郎作品すべて」にまで及んでいることが判明した。これには名だたる読書人揃いの他の編者たち(安野光雅森毅井上ひさし池内紀)も唖然としたという(松田著『編集狂時代』より)。

Wikipedia, 鶴見俊輔, http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E4%BF%8A%E8%BC%94 (as of July 3, 2011, 13:58 GMT))

山下肇渡辺慧,内山節,秋野不矩など私にもなじみのある名前が登場する.
山下肇先生は,教養の外国文学の授業を,退官の年に受けた.「引用の織物」というタイトルは,宮川淳の『引用の織物』からきているが,もとはといえば山下先生の著作の中で知ったもの.
渡辺慧英国国教会のクリスチャンなのですね.だれかが評伝を書くべき人であるのだが,活躍の場があまりにも広すぎて,だれも手を出せないのかもしれない.

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鶴見俊輔 (KAWADE道の手帖)

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本書でも紹介されているが,柳宋悦の評伝.
戦争が遺したもの

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