“過去五十年、欧米人と議論や口論になった場面で、私は負けたことがない” 『言葉でたたかう技術』 加藤 恭子 文藝春秋

言葉でたたかう技術

言葉でたたかう技術

「過去五十年、欧米人と議論や口論になった場面で、私は負けたことがない。」この強烈な一文で本書は始まる.この一行で本書の成功は約束されたとも言える.こう言えること自体が凄い.著者は,1929年生まれのフランス文学者である.

著者の加藤恭子氏は,日本,アメリカ,フランスで学んだ,フランス文学の専門家である.タイトルは,「言葉で技術」であるが,技術の指南書というよりも,日欧米の文化差を述べた本であるとも言える.それを著者,perception gapと呼ぶ.このパーセプションギャップを認識した上で,いかに自己の主張を相手に認めさせるか,それが勝つ技術であるという.パーセプションギャップとは,育った環境や文化的な背景に起因する価値観の相違であり,このパーセプションギャップをお互いが認識すること,相手に認識させることによって,異なる主張の双方に理があるという共通理解に達する.

著者は留学中に,英語の論文の書き方と,日本語のそれとの違いに気付き,指導教官から,アリストテレスのレトリカを読むように薦められる.アリストテレス曰く,

「言論による説得には三つの種類がある。第一は語り手の性格に依存し、第二は聞き手の心を動かすことに、第三は証明または証明らしくみせる言論そのものに依存する」

 著者は東南アジアの女性教授を日本で接待した.その女性から「日本はすばらしい.一流国日本は,てっきり皆英語ができ,英語で教育を受けていると思っていた.ところが,まったく英語が出来ない.出来なくても,勉学をすることができ,会社の社長や大学先生になれるのですね.」と驚嘆されて,戸惑うところが可笑しい.

 ボストン滞在時に,同僚と,ニュージャージー地方の民話採集したエピソードに興味をもった.こういう視点でのアメリカ史に触れた経験がない.

 日本でフランス文学を大学で学んだ(はずの)著者は,アメリカの大学では,フランス文学の授業がフランス語で行われていることに驚き,大変苦労する.このことは,今でもよく言われることである.『発見術としての学問――モンテーニュ、デカルト、パスカル』(塩川徹也著,岩波書店)の中で,「わが国には二種類のフランス文学研究が共存しており、それが相互にまったく異質」であると喝破している.

 実は,加藤恭子というお名前は知っていた.私が知っていた加藤恭子氏は,生物学者であった加藤淑裕氏のことを書いた「伴侶の死」の著者としてであり,同じく生物学者であった団仁子氏の生涯を描いた「渚の唄」の著者としてであった.(加藤淑裕氏は,日本発生生物学学会長を務め,三菱化成生命科学研究所(当時)副所長であった研究者.発生学の講義を受けたことがある.

 一方で,フランス文学者としての著作者としての加藤恭子というお名前も見かけたことがあったのだが,まさか同一人物であるとは思っていなかった.私の知っている加藤恭子さんは,加藤淑裕夫人としての加藤恭子であった.だから,本書を読み始めてびっくり.1929年生まれの著者が,ご主人ととともに苦労をしながらアメリカで勉学を続けてきた体験記として読むこともできる.まさに,そのサバイバルの中で身につけた「たたかう技術」なのである.

 但し,これは「闘う技術」すなわち闘争の技術なのではなく,不当に負けない技術,相手を納得させるための技術であり,だから「たたかう技術」なのだと思う.

【関連読書日誌】
【読んだきっかけ】
言語学者の鈴木孝夫氏が,文藝春秋2011年7月号に,「日本人が英語で相手を言い負かす方法」と題する一文を書いている.「ご近所から国際会議まで。学校で絶対教わらない連戦連勝交渉術」という副題がついており,次の一文で始まる.

私がこのエッセイを書こうと思った直接の動機は昨年の暮れ、知人のフランス文学者である加藤恭子さんが送って下さった『言葉でたたかう技術』(二〇一〇年、文藝春秋)という本を読んだことである。

このエッセーは,アメリカのアスペン研究所(この研究所そのものが大変興味深いのだが)での滞在時における氏の体験記である.
【一緒に手に取る本】

伴侶の死 (中公文庫)

伴侶の死 (中公文庫)

単行本は,春秋社,1989/04刊
渚の唄―ある女流生物学者の生涯 (1980年)

渚の唄―ある女流生物学者の生涯 (1980年)

ニューイングランドの民話

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ことばと文化 (岩波新書)

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名著ですね.
しあわせ節電

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昔から節電を実践されていることで有名らしい.
発見術としての学問――モンテーニュ、デカルト、パスカル

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