“銃口の向きを変えるためには、おのれの肉体の消滅を賭けて、思想の変革を果たさなければならない” 『イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25  冨山房百科文庫 (36) 』 P・マルヴェッツィ, G・ピレッリ編 河島英昭 他訳 冨山房

イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25 冨山房百科文庫 (36)

イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25 冨山房百科文庫 (36)

 ファシズム政権に対抗するレジスタンスとしてイタリア内戦の中,捕らえられ処刑されていった若者たちの遺書を訳出したものである.そんなに多くの読者が得られるとは思えないこのような本を丁寧に訳出した,河島英昭氏ら訳者の努力には頭が下がる思いである.
 巻頭にある河島英昭氏による解題と,巻末の訳者後記は必読であろう.何度読んでも胸打たれるものがある.全文引用したいところだが,そうもいかないので,一部のみ.

解題冒頭より.イタリア文学者としての氏の立脚点.

 イタリアの民衆はファシズムの試練に耐えた。その苦しみと、戦い抜いた喜びの上に、今日のイタリァの文化は築かれている。あまりにも重いこの歴史的事実への反省なしに、私たちはイタリァの文化を語ることができない。文学もまた文化の一環である以上、反ファシズム闘争への考察を抜きにしては、それを直接の基盤とする戦後イタリァの文学を、語ることができない。と同時に、イタリアの文学を検討する場合には、敢えて言うが、たとえばルネサンス文学の研究をするときにさえも、この視点をはずすわけにいかない。

訳出した理由.

 しかしながら、いつまでも覚えておこうと決意する、永遠の瞬間が、たちまちに日常の雑事の波間に見失われてゆくように、私たちはとかく歴史的事実のあいだに埋めこまれた真実を忘れがちである。戦後三十数年を経て、日本におけるイタリァ文化の研究や紹介も、乏しいながら種は播かれた、と言ってよいであろう。そしてその望ましい穂を実らせるためにも、彼我の文化の土壌になるべき反ファシズム闘争の差異を、その貴重な経験の有無を、ここに改めて確認しておく必要がある。そのために、ささやかながら、私たちは本書を訳出した。しかも私たちの意図は、いわば外面から考察を加える、状況や運動の研究あるいは分析に対して、民衆の個々人の心のなかのありさまを内面から少しでも明らかにしたい、という点にある。

ファシズムに立ち向かって斃れた人々について,

 それにしても、イタリァにおいて、なぜ反ファシズム闘争が可能であったのか? 本書の《手紙》の老若男女の書き手たちは、どのようにして個人の苦しみと歴史の苦しみによく耐ええたのか? この疑問に対する答えは、掛け替えのないこれらの魂の記録の一篇一篇の行間に、いわば無限の深淵となって、垣間見えるであろう。それらを覗きこむたびに、私たちは目の眩む思いがする。

同時期に日本の民衆が体験したこととの違いは何か.

この甚だしく不幸な時期にあって、いわば体制の犠牲者としての魂が、なかったわけではない(たどえば『きけわだつみのこえ』のように)。だが、私たちは苦しい共感をもってそれらの記録に接することがあっても、それらが〈レジスタンス〉の記録でなかったことだけは忘れないでおきたい。なぜならば、彼らの銃口は―たとえば学徒動員された兵士のそれは―別の方角へ向けられていたのであるから。本書の手紙本文や略歴から容易に読みとれることだが、イタリア抵抗運動のパルチザン兵のなかには、正規軍からの脱走者が数多く含まれていた。銃口の向きを変えるためには、おのれの肉体の消滅を賭けて、思想の変革を果たさなければならない。

訳者後記より.訳出にあたって心がけたこと二つとは,

第一は、原書の精神を尊重して、収録された手紙類を、余すところなく、その体裁どおり忠実に邦訳しようとつとめた点である。私たちはつねに共通の認識として確かめあってきた。これらの手紙のどれをとってもーたとえそこに互いに似かよった表現をはらむ揚合があっても―その一通が他の一通と取り換えられないことを。それはあたかも一つの魂が他の魂と取り換えられないのと同じであった。それゆえ、私たちはこの本を、正義の戦いに斃れた入びとの魂の記録として、私たち後代の者に託された遺書として、読み抜きかつ訳し抜こうとつとめた。邦訳の題名はそのような私たちの意志を表わしている。したがって、私たちは訳出にさいし、この正義の戦いに参加しておのれの命を擲った人びとの、個々の、そして多様な、思想と行動様式に留意しつつも、一つの考えに―とりわけ政治的な一つのイデオロギーの観点に―偏らないようつとめた。これが私たちの心がけた基本的な態度の第二である。

訳出の過程で書かれた膨大な訳注は,紙数の制約で収録されていないという.いかにも惜しい.

堀田善衛が『ゴヤ』の中で描いていたスペイン内戦のことを思いだした.内線とは同じ同胞同士,ともすれば昨日まで心を許した近隣同士の殺し合いになる,という点において悲惨でもあり,真の若いまでには長い月日を必要とする.

【関連読書日誌】
“私たちは当たり前のように享受しているこの「戦後」を、二度と「戦前」に引き戻してはならない” 『日本の戦争 BC級戦犯 60年目の遺書』 田原総一朗監修 田中日淳編 堀川惠子聞き手 アスコム
【読んだきっかけ】
買ったのも,読んだのもずいぶんと昔.河島英昭氏のエッセーがきっかけだったか.今でもときおり寝床で拾い読みすることがある.自らの背筋を伸ばすために.
【一緒に手に取る本】

日本の戦争 BC級戦犯 60年目の遺書

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ゴヤ  1 スペイン・光と影 (集英社文庫)

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