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“悲しみの谷では、翼を広げよう” 『死の海を泳いで―スーザン・ソンタグ最期の日々』 デイヴィッドリーフ, David Rieff, 上岡伸雄訳 岩波書店

死の海を泳いで―スーザン・ソンタグ最期の日々

死の海を泳いで―スーザン・ソンタグ最期の日々

 末期癌,骨髄異形成症候群(MDS)と宣告されてから死に至るまでの9ヶ月の闘病記である.だが,宣告された主が,スーザン・ソンダクとなれば,これは特別な意味を持つだろう.
 ソンダクは20世紀を代表する知性の一人であり,文学者であり,哲学者であり,思想家であった.そして何よりも,理性の人,思索の人である.1975年,第四期の転移性乳癌を宣告されたソンダクは,科学と意思の力でこれに打ち勝つ.自分が,確率に打ち勝てる人間だと信じて生きてきた人なのだ.
 この理性の人,信仰を持たない人が,残酷な宣告を受けて,うろたえる.著者は,ソンダクの息子でジャーナリストのデイヴィッド・リーフである.
帯から

何があっても生き残ること,
おそらくそれこそが母の死に方だったのだろう.

P.16

エリアス・カネッッティにこんな戯曲がある。登場人物たちはみな首からロケットをぶら下げて日常生活を営んでいるのだが、そのロケットには彼らが死ぬ年が書かれている。この前提自体が戯曲の要点だ。このようなことを知った上で生きていくとしたら、人生の経験は処刑場への控えの間で過ごすようなものになってしまうのである.

P.28

当時、医師が癌患者に嘘をつくことは標準に行われていた。率直に語ることがあっても、悪いニュースは患者本人にぶつけるのではなく、家族に伝えるのが普通だった。

ソンダクが乳癌と宣告された1975年当時,アメリカでのことを指す.
物語は,医師A氏による残酷な,身も蓋もない宣告から始まる.患者に心の準備ができているかどうかなどに何の斟酌もすることなく,「治癒の可能性はな,長期間の寛解をもたらすような治療法もない」と.
最近,BSアーカイブス ハイビジョン特集「百万回の永訣 柳原和子 がんを生き抜く」を観たのだが,柳原和子が彼女の治療に関わった医師を集めて行った議論の主題のひとつが,告知の仕方であった.医師は,希望を持たせつつもできるだけ正確に状況を知らせようと試みるが,患者のほうはそれを一度に引き受けるだけの余裕がない.時間を掛けて,回数を重ねて,告知することはできないのか,というのが柳原の主張であった.

P.38

「私たちは生きるために、自分自身に物語を語り聞かせる」。これは,ジョーン・ディディオンの賞賛に値する文章だ。母の闘病生活を振り返りながら、私の心にはしばしばこの文章が浮かんでいる。

P.41

1975年,母が乳癌と診断された時、第四期の転移性乳癌患者の生存率がいかに低いかを打ち明けていたら、母は処置に取り組む勇気をもち得たであろうか?母の死後、日記を読んでいると、私はひとつのことに圧倒されてしまう。母が誇りにしてきた意志の強さに圧倒されるのでは想像していたのだが、実際には母の絶望の深さに圧倒されるのだ。

P.86
リンパ腫協会が出版している小冊子『骨髄異形成症候群』について

ジョン・ダンの詩を巻頭に掲げるとか、葬送行進曲のCDをつけるといったことは、誰も求めてはいない。しかし、ここでは言葉と現実とのギャップがあまりにも大きすぎて、ほとんどの患者にとって有害なものとなっている。

この,ジョン・ダンの詩とは,「死驕るなかれ」か.岩波新書青版に.『死よ驕るなかれ (岩波新書 青版 (40))』(ジョン・ガンサー (著), 中野好夫,矢川 徳光 (翻訳) が三十年以上前に読んだ記憶がある.医師による癌克服にむけた奮闘記であったか.中野好夫訳だったんですね.この書名が,ジョン・ダンの詩由来なのです.
P.60

そしてもしも、その底にある目的が不老不死なら、あるいは少なくとも現在では想像できないほど人生を長引かせることであるとすれば、戦争という隠喩が心に訴えないわけがないではないか?結局のところ、戦争においては一方の側が負かされるのだから。母の評論「隠喩としての病い」は、かなりの部分において、病いとの闘いを軍事的な比喩で語ることへの非難であり、そのようなイメージは「好戦的な人に突き返してしまおう」という訴えで終わっている。

P.65

かつてイギリスの作家ジョン・バージャーは、愛することはの対極は憎むことではなく「引き離されること」だと述べた。

P.75

イギリスの偉大な科学者、J.D.バナールは、どこかで次のようなことを書いている。「欲望の歴史があり、運命の歴史があり、人間の理性はどうしてもその二つを区別できない」と。

P.84

母は回心することはなかった。母の無神論は死ぬまで岩のように硬かったし、それは癌を患う以前の向こう見ずな時期から変わらなかったのだ。

P.87

母の日記を読んでいると、それが必ずしも事実ではないことがわかる。乳癌の手術とそれに続く処置を、母はこうした態度で経験したわけではなかった。しかし、母は後になって、自分の経験をそのような形で記憶するようになったのであり、この「書き換え」こそ、母がその後の人生を生きていく上での支えとなったのだ。

癌研究は日進月歩だ.しばらくの寛解が得られれば,その間に新たな治療法が生まれるかもしれない.
P.89

このように見ていくと、母の物の見方は理性というよりも信仰に近いものと思われるであろう。悲しいかな、私もそのことに気づかずにいられないし、あるレベルではそれが正しいと思う。しかし、母の理性に対する信仰は、そう、理性を超えていただけではない。
(中略)
しかし、母は何度も何度もこう繰り返していた(サイードは母がMDSと診断される数ヶ月前に死んだ)。「カレが人生を数年引き延ばすことによって、やり遂げた仕事を見てごらんなさい」

P.94

ジェローム・グループマンの好きな言葉のひとつに、次のキルケゴールの文章がある。「人生とは後から振り返らないと理解できないのに、先を見越して生きなければならない」。母に対し、してやれなかったことのすべて―やりたくなかったらしなかったのか、できなかったのかは、実のところ大きな問題ではない―に関する罪の意識について考える時,私はしばしばこの言葉を思いだす。

P.96

私が自分の演じた役柄に関してある程度の慰めを得られるとすれば、それはこう考えることからだ。
 母には、自分自身の死に方で死ぬ権利があったのである。

P.132

そして私に何度も、自分には希望と意思しかなかったという信念を語っていた。希望と意思の力で、母は見捨てられた少女時代を切り抜け,アメリカの南西部を脱出してシカゴ大学に行った。シカゴでは十七歳にして私の父のプロポーズを受け入れたが、
(略)
その七年後、どんな障害があろうと自分の人生を作り変えられる―(略)ひとつひとつヴァージョンアップしていける―という同じ信念から力を得て、その結婚から自らを解き放ったのだ。

P.134

政治的な視点に加え,近年強くなってきたエコロジカルな視点から見ても、母は世界がこれ以上良くなるという希望をあまり抱いていなかった.それどころか、控えめに見ても、世界はひどくなるだろうと直感していた。しかし,こうしたことは知的な結論であり、腹の底で感じるような結論ではない。よく言うように「知性のペシミズム、意思のオプティミズム」なのである。単純な真実は、母はいくら生きても充分ではなかったということだ。母は存在すること自体を楽しんでいた―それくらい単純明快だった。あそこまで生を掛け値なしに愛した人はいなかったろう。

P.140

私は悩まずにはいられない。母と親しい人たちが頑張って与えようとした偽りの希望は、最終的に母を慰めることになったのだろうか、それとも孤独を増しただけだったのだろうか。

P.141

死に瀕した患者のケアをする医師たちはしばしば「希望を再構成する」という表現を使う。これは、致命的な病いにかかっている患者が、生き続けることを望むのではなく、愛する者たちと最後に深いつながりをもてるようにする―これまで言えなかったことを言い、訊けなかったことを訊く―その手伝いをするのだ。

P.142

彼の経験の中では「お母様の“光の死にゆくことへの怒り”は典型からかけ離れていました―物事の〈実際の〉状態を考え、お母様がこれまで経験してきたことや、明々白々な治療後を考えれば。

私の好きな詩,ディラン・トーマスの“Do not go gentle into that good night”からだ.
P.155

マグリット・デュラスは、死を目前にした時期の凄まじい日記の中で、次のように率直に語っている。「私は無になるという事実と折り合いがつけられない」。
(略)
「死は“自己”から脱却しない限り耐えがたいものである」と母は書いている。しかし、人生であのようにたくさんのことを成し遂げてきた母が、それだけはどうしてもできなかった。

P.157

最期を迎えるにあたって、私は母にデュラスのようなパニックよりもブレヒトのような落ち着きを望んでいたと言ったら、それは良く見れば愛の表現だが、おそらくは空しい感傷にすぎないだろう。

P.160

我々にできることは―この言葉を自分が信じているかどうかは自信がないのだが―中国の詩人、北島(ペイ・タオ)とともに、せいぜい次のように言うだけである。「人の考えたことが語られ、書き留められたなら、それは別の生命をもち,肉体とともに消滅することはない」

P.165

母がスローン・ケタリング記念癌センターで乳癌の化学療法を受けている時、母は自分自身に「明るく振る舞おう、ストイックになろう、冷静になろう」と呼びかけているのだ。それから母はこう付け加えている。「悲しみの谷では、翼を広げよう」

この翼とは「想像力」のことだろう.今読んでいる、出久根達郎の『日本人の美風』で,美智子皇后の言葉にある「飛翔する翼」.
訳者あとがきより

私には有名人に会ったり、話をしたりする趣味はからきしないし、翻訳をするときには訳者として自分の名前など出したくもない性格なので(レヴィ=ストロースの『野生の思考』の英訳版には訳者名の記載がなく、私にとっては今でも理想の本である。翻訳家などという肩書きを振り回すひとを眼にすると、今でも苦笑してしまう)。

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