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“最初の球状パールは一九〇七年に二人の日本人科学者によって作られたとされているが、最近の研究では、その技術も、おそらくは真珠そのものも、彼らより先にウィリアム・サヴィル=ケントが開発したものだろうと考えられている。” 『最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』 ケイト・サマースケイル, Kate Summerscale, 日暮雅通訳 早川書房

最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件

最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件

(2011-9-23の追記)
大昔,道徳か何かの授業で,伊勢湾で真珠の養殖を成功させるまでの苦労物語を学んだ記憶がある.その主役のひとりが御木本幸吉であり,御木本幸吉は真珠産業を築いた人であり,MIKIMOTOの創業者である.
高校生の頃,伊勢湾に真珠養殖の見学行ったことがあり,また,御木本幸吉に真珠養殖の相談にのったとされる,箕作佳吉は日本の動物学の創始者であり,東京大学動物学教室の初代教授でもある.
そんな縁もあって,真珠には縁があったのだが,真珠とは何の関係ないと思っていた本書で,

最初の球状パールは一九〇七年に二人の日本人科学者によって作られたとされているが、最近の研究では、その技術も、おそらくは真珠そのものも、彼らより先にウィリアム・サヴィル=ケントが開発したものだろうと考えられている。

という記述がでてきてびっくり.ウィリアム・サヴィル=ケントは,ロード・ヒル・ハウス殺人事件の主人公の一人なのである.というわけで,調べてみました.
英語版Wikipediaでは,

Despite the common misperception, Mikimoto did not discover the process of pearl culture. The accepted process of pearl culture was developed by the British Biologist William Saville-Kent in Australia and brought to Japan by Tokichi Nishikawa and Tatsuhei Mise. Nishikawa was granted the patent in 1916, and married the daughter of Mikimoto. Mikimoto was able to use Nishikawa's technology. After the patent was granted in 1916, the technology was immediately commercially applied to akoya pearl oysters in Japan in 1916. Mise's brother was the first to produce a commercial crop of pearls in the akoya oyster. Mitsubishi's Baron Iwasaki immediately applied the technology to the south sea pearl oyster in 1917 in the Philippines, and later in Buton, and Palau. Mitsubishi was the first to produce a cultured south sea pearl – although it was not until 1928 that the first small commercial crop of pearls was successfully produced.

Wikipedia contributors, "Pearl," Wikipedia, The Free Encyclopedia, http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Pearl&oldid=451623291 (accessed September 21, 2011).
日本語版Wikipediaでは,

養殖貝による真珠生産の歴史も古く、11世紀の中国などで既に行われているが量産することは難しかった。日本では1893年に箕作佳吉の指導をうけた御木本幸吉が英虞湾神明浦で養殖アコヤガイの半円真珠の生産に成功し、1905年、英虞湾の多徳島で真円真珠の生産に成功している。
 養殖貝による真珠生産の発明者は、日本では西川藤吉・見瀬辰平の2人があげられる。1907年見瀬辰平が、はじめて真円真珠に関し「介類の外套膜内に真珠被着用核を挿入する針」として特許権を獲得した。続けて西川藤吉が真円真珠生産に関し真珠形成法の特許を出願する。この一部が前述の見瀬辰平の特許権に抵触するとして紛争が起こる。調停の結果、西川籐吉の名義で登録し特許は共有とすることとなった。この養殖貝による真珠生産の特許技術は海外ではMise-Nishikawa Methodとして知られている。 また1916年および1917年に西川藤吉の特許が4件登録された。西川藤吉は既に亡くなっていたため、息子の西川真吉が権利を受け継いだ。現在の養殖貝による真珠生産の技術は西川藤吉のこれらの技術に負うところが多い(西川藤吉は御木本幸吉の次女の夫である)。

Wikipedia contributors, "真珠," Wikipedia, http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%9C%9F%E7%8F%A0&oldid=39242603 (accessed September 20, 2011).

英語版では,「英国人生物学者William Saville-Kentが開発した」と記載されているのに対し,日本語版では,彼の名前は登場せず,「養殖貝による真珠生産の発明者は、日本では西川藤吉・見瀬辰平の2人」となっている.「日本では」となっているところが気になる.

ちなみに,本書によれば,

彼(Kent)はその手法の詳細をプロジェクトの後継者に明かすことは拒んだが、文書にして銀行に預け、彼の死亡時に開示することには同意した。

とある.さらに,原注によれば,(本書の魅力の一つは,詳細な注がついていて,引用元などが記載されている点である)

最初の球状パールは一九〇七年に…ウィリアム・サヴィル=ケントが開発したものだろうと考えられている。
 オーストラリア人の真珠専門家、C・デニス・ジョージは、日本人の二人の真珠パイオニアの義父は一九〇一年,木曜島に数ヶ月滞在してウィリアム・サヴィル=ケントの養殖手法を目にしていたと指摘している。ジョージはまた、サヴィル=ケントは生前、完全な真珠の養殖にも成功しており、一九八四年、この真珠を一連にしたものをブリスベーンの女性獣医師がひと組所有していることが判明し、アイルランドのある家族がもうひと組を所有していると言われている、と述べている。Savant of the Australian Seas(一九九七年、改訂二〇〇五年、A.J.Harison著)を参照。

【関連読書日誌】
“探偵というものが生み出されたのは、ごく最近のことでだった” “ヴィクトリア朝時代の探偵は、俗世における予言者や聖職者の代役であった” 『最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』 ケイト・サマースケイル, Kate Summerscale, 日暮雅通訳 早川書房
【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

真珠をつくる (ベルソーブックス)

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真珠の博物誌

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以下の2冊は絶版のようですが,面白そうなタイトルです.
美しき真珠戦争―そのグローバリゼーション

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