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“性の世界は、同じ心理的な磁場にいる人々にとっては「生きる喜びの表れ」だが、その磁場から一歩離れたところに立つ者からは、下品で、レベルの低い人間の所行とされがちなのである” 『盆踊り 乱交の民俗学』 下川耿史 作品社

盆踊り 乱交の民俗学

盆踊り 乱交の民俗学

本屋さんで,帯を見てびびってはいけない.
帯表より

〈盆踊り〉とは、
生娘も人妻も乱舞する
“乱交”パーティ”だった!

日本人は、古代より性の自由を謳歌してきた。
歌垣、雑魚寝、夜這い、盆踊り…
万葉の時代から近代までの
民俗文化としての“乱交”の歴史

出版者だって少しは本が売れないと困るのだ.堂々と手にとって読む本である.巻末の参考文献,引用文献をみれば,それはあきらかだろう.だけど,帯には,さらに,追い打ちをかけるように,さらに,「秘蔵図版・多数収載!」などとある.確かに,多数の図版が本書の価値を極めて高めている.しかし,書店で広げるのに,何の躊躇もいらない,図版と写真である.
 裏帯より

 日本最古の“乱交”の記録は、『記紀』や『風土記』の「歌垣」である。古代日本では、宮廷人から農民までの男女が、おおらかに性の自由を謳歌していた。『万葉集』にも、歌人高橋虫麻呂の「人妻も我も交わらん、我が妻も人から誘われよ…」という歌が残る。そして、中世からは「雑魚寝」や「夜這い」、江戸時代には日本各地で「盆踊り」という形で乱交は行なわれ、明治以降も密かに続けられた。森鴎外も『ヰタ・セクスアリス』で、故郷・津和野の盆踊りでの「性的な体験」を記している。本書は、膨大な歴史文献・資料をもとに、古代より連綿と続く“民俗としての乱交”の歴史と文化をまとめた、初めての「乱交の民俗学」である。

このとおり,りっぱな,民俗学の本である.折口信夫宮本常一柳田國男を含む,過去の文献を押さえた上で,本書をおこしている.
 第2章:雑魚寝と夜這い
P.106

大原の雑魚寝は、この西鶴のベストセラーのおかげで、日本中に知らない人はいないというくらいその名が行き渡った。

P.111

1886年明治元年)三月に「五箇条のご誓文」が布告されると、これがさらに発展して、いつでも誰とでも寝てよい,と解釈されて、昼間でも、家の中でも、山の中でも、好きな女と寝ることが流行ったという。「ご誓文」に一つに、「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事を要ス」とあるのを、「飽きがこないようにセックスしてよろしい」と解釈したのである。

ほんとうかなあ.
第3章 踊り念仏の狂乱と念仏踊り
第3節 伊勢踊りと小町踊り
P.154

 御師(おし)とは、伊勢神宮の営業マンであり、伊勢神宮専門の旅行業者といってもよい。御師は祈祷師から始まるといわれ、平安朝末期、伊勢神宮に貴族階級が参詣するようになって、その祈願を取り次ぐ職業として誕生した。ほとんどが外宮の世話係で、その頃から参詣者に宿舎を提供する業務も行ったという。

第4章 盆踊りの全盛と衰退
P.199

つまり歌垣にしろ風流の世界にしろ、祭という非日常の心理を共有している人々にとって、性の関係を隠すということは端から考慮の外のものであった。
 ところがそこに、あえて関係を秘めたものにするというかたちが登場したのである。その典型的な例が「亡者踊り」であった。

P.208

 だが,街道筋の整備や社会の安定化によって旅人が増えると、主観的な共感の世界は客観的な批判にさらされることになった。(略)
性の世界は、同じ心理的な磁場にいる人々にとっては「生きる喜びの表れ」だが、その磁場から一歩離れたところに立つ者からは、下品で、レベルの低い人間の所行とされがちなのである。そして旅人などの第三者は、往々にして性的な共感に拒絶反応を抱き、旅行記などにも「下品だ」という感想を書き残した。

「盆踊りは乱交パーティだった」という結論は抵抗を覚える人もいるかもしれない.しかし,八尾の「おわら風の盆」もそうだが,顔を隠して踊る数々の盆踊りの写真をみると,納得感がある.西洋の仮面舞踏会もちかいものがあるかも.
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猥談―近代日本の下半身

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以前に読んだものとしては,これかな.