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“東:その「無駄話」によって、本来は開けるはずだったのに閉じてしまっているコミュニケーションの回路が、再活性化されて動き出すからです。”“宮台:最近、面白いことに気がつきました。ソーシャルスキルのある人間ほど単純労働 を嫌がらないことなんです。” 『父として考える (生活人新書) 』 東浩紀, 宮台真司 日本放送出版協会

父として考える (生活人新書)

父として考える (生活人新書)

宮台真治と東浩紀の対談.今もっとも迫力のある発言ができるお二人による,鮮やかな切り口と,小気味よいやりとりが大変気持ちよい.この二人が,子供をもってはじめて,何を考えたかに興味があって読み始めた.
目次を眺めるだけで,本書の価値がわかろうというもの.

まえがき 東浩紀
第1章 親子コミュニケーションのゆくえ ―家族を考える
 時間感覚の変化・宮崎アニメへの反応・超越性への感性・生まれか育ちか・子は親に似る?・メディアを介した影響・上書きされる記憶・「なんてこったい」・男親なんかいらない?・子どもを介したネットワーク・「お受験」で失うもの・ファスト風土再考・父として東京から考える
第2章 子育てを支える環境 ―社会を考える
 ロスジェネ系議論の問題点・専業主婦願望の背景・高学歴と幸福・同質性の中の果てしなき見栄競争・共通前提の不在・三鷹から青葉台へ・隙間コミュニケーションの重要性・血縁を超えるネットワーク・高速道路無料化の是非・託児室をめぐる悪循環・職住近接を妨げるもの・まずは仕事と家庭を混ぜることから・「子ども手当」はセカンドベスト・子育てのインフラストラクチャー
第3章 均質化する学校空間 ―教育を考える
グループワークができない子どもたち・なぜ班活動は衰退したのか・ノイズ耐性のない親子・大学のサブゼミが機能しない・九二年問題―学校がホームベースではなくなった・均質化する東大生・ツイッター時代のマネジメント・ダダ漏れを前提に動く・ツイッター島宇宙をブリッジする・ジョブマーケットの現状・高プライド人間の末路・高学歴ワーキングプア問題に物申す・子は無意識を学ぶ・コミュニケーション能力は教育できるか・学区的共同体の再構築・「斜めの関係」で地域再生
第4章 コネ階級社会の登場 ―民主主義を考える
 運命の出会いと必然性信仰・バックドア問題・おひとりさま志向という錯誤・上野千鶴子現象・潔癖症のロジック・ロマンがなければ現実は動かない・「社会」概念の喪失・参照点としての沖縄・沖縄における風俗の役割・コネ階級社会化する日本・マスメディアの悪習をキャンセルする・民主主義2・0の可能性・新しい教養人モデル・オフラインの欠落をオンラインで補填できるか・娘たちから学んだこと
あとがき 宮台真司

 子供を持つ親にとってあたりまえのことなどが,才気煥発のお二人といえども,実際に子を持つ親になってみないと気がつかない,というのはあるらしい.これは,少しばかり衝撃的でした.
P.40

子どもを介したネットワーク
宮台:知識としては知っていましたが、子どもができて驚いたのは、新住民が本当に子どもがきっかけで旧住民ネットワークに入れることです。(略)マンションに住むことと一戸建てに住むことのちがいもわかりました。ちがいは旧住民ネットワークへの入りやすさです。(略)ところが、ゴミ出し当番でも、旅行などで都合の悪いときには順番を代わってもらうとか貸し借りの関係ができると、それが絆(きずな)のよすがになります。僕は「絆コスト」と呼びますが、そうしたことも子どもができて意識できるようになりました。
東:(略)「成長する時間」の問題と関係しますが、大人の場合は結局、いくら引っ越しを繰り返したとしても、それぞれ「かつて住んだ場所」のひとつにすぎない。いまある場所に根を下ろしていたとしても、潜在的にはいつでも動ける。唯一の場所にならない。ところがうちの娘にとっては、いまたまたま住んでいる「この場所」が原風景になってしまう。

P.42

東:子どもにとっては根無し草という概念はありえません。いくら短い期間でも、ある場所にいればそこに根をはやしてしまうし、それは一生の中で特別な経験を構成する。親にとっては流動性だと感覚されているものが、子どもにとっては流動性ではない。この「世界観のギャップ」は重要だと思いました。いまの社会では、すべての決定で流動性が前提となっているというか、流動性の確保こそが正解=リスクヘッジだと見なされる傾向がある。しかし子どもの存在はその前提に真っ向から挑戦してくる。

P.52

東:バリアフリーとかユニバーサルデザインというのは、弱者への配慮云々という高尚な言説以前に、公共性や普遍性を実質的に確保するための最低限で具体的な倫理のことだと思うのです。幼児や高齢者をシャットアウトしたところに、公共性はない。(略)
宮台:うちの近所に篠山紀信さんやアラーキー(荒木経惟(のぶよし))とも一緒に行ったことがある「海路ドマー二」という地中海料理の店がありますが、ここも子どもが暴れても大丈夫。娘が手がつけられなくなって困っていると、優しいお兄さんやお姉さんが出てきて相手をしてくれます。ドマー二は「隠れ家」的なところですから身内のパーティにも使えます。

P.62

宮台:前章で新住民・旧住民問題に関して触れたけど、絆には「絆コスト」がかかり、ひとは「絆コスト」を払ってはじめて相互扶助のネットワークにぶら下がれる。子どもがなく、結婚もしないということは、「絆コスト」を払っていないだけでなく、相互扶助ネットワークから外れているので、老後を税金でケアしてもらうことを意味します。

東は,子育て世代と独身者の間の意見の対立になるから,数字できちんと語った方が良いという.これに対し,宮台は,原理は至極簡単だと言う.一つには,社会がうまくまわることの恩恵は皆がうけており,教育や子育てが社会がうまくまわるために必要な以上は,国家の事業に支払って当然.二つには,子供にぶら下がることができず,将来国家にぶら下がるしかない子供のいない人たちは,その分税金を使うのだから,応分の負担をして当然.
P.65

宮台:東大で教えていても、そこにいる学生が勝ち組とは到底思えません。なぜなら、とても幸せになれそうにない学生が山のようにいるから。森川嘉一郎氏の言うように、実際「自分はダメ」という意識を持つ高偏差値大の学生が山のようにいる。「子どもの幸せ」をトータルに考えると、さまざまなことを犠牲にして、高偏差値大に入るやつって「どうよ」っていう問題がありますね。

P.68

東:そもそも学歴や資格は、どこに行っても通用するけれど、そのぶん薄っぺらな数字でしかない。裏返せばそれらの数字は、本来の固有の才能が華(はな)開かなかったときのためのリスクヘッジの道具でしかない。ほとんどのひとがそれを誤解している。(略)
これは自戒も込めて思いますが、最近の世の中ではリスクヘッジが重視されすぎている。要は不安ベースの社会ということですが、学歴の問題に限らずあらゆる問題に関して同じことが言える。リスクヘッジのための選択が第一に来ていることが、いろいろな歪(ゆが)みの原因だと思います。

P.81

宮台:僕はどうしても隙間志向が強いので、隙間で子どもたちがこっそり秘密基地をつくったりして遊ぶ経験から生まれる「共同性を構築する力」ってバカにできないなと強く思う。

P.82

東:ひとことで言えばセキュリティがゆるかった。いまはそういう空間はない。その変化は確実に犯罪の減少に寄与しているはずです。だから、隙間がなくなったことが一概に悪いとも言えない。
しかし、それが子どもにとって遊びにくいこともたしかなんです。実際に青葉台は子どもの僕にとっては不愉快な空間でした。しかし親には同じ空間が安全な空間に見える。このギャップが本質だという感じがします。親になるというのは、そのギャップに自覚的になるということです。

P.84

宮台:大阪万博の時代に『時間ですよ』という大家族ドラマが大人気でした。天地真理もそこで人気が爆発した。むかしから社会学者が指摘するように、ああした血縁的な大家族は日本に存在したことはない。「ひとつ屋根の下」に大勢いたとしても、実際には従業員だったり、丁稚奉公だったり、要するに血が必ずしも繋がっていないひとたちでした。

P.98 日本において男性の育児休暇取得率が低いことについて

宮台:結局、ネックとなってきたのは、ある種のホモソーシャリティだと思うんですよ。体育会的な集団主義がずっと日本の会社文化を覆っていました。いま、そのホモソーシャリティがせっかく崩れつつあるのだから、仕事も家庭も子育ても一度全部混ぜ、その中で新しい共同性をつくっていけばよいではないですか。「オルタナティブな共同体」の要ですよ。

P.105

宮台:日本のような経済社会では、親夫婦や兄弟姉妹夫婦が、近所に住んでいるなんて贅沢は滅多にありません。だから、血縁を超えた相互扶助のネットワークが重要になります。それには、あずけてケガをしたときに責任問題がどうのこうのと噴き上がりすぎると、相互扶助ネットワークという共有財が破壊されます。そのことにも注意するべきですね。

P.110 国際学力調査において日本の順位が下がり続けていることについて

宮台:どうして下がったのか。教育社会学者の藤田英典さんは、理由は、日本がグループワークをしなくなったからだと指摘しておられる。逆に、最高位のフィンランドは、グループワークを中心にしている。グループワークは、中位値よりも下の子の成績を上げる働きをします。つまり全員一〇〇人だとすると、五〇番目よりも下の子の成績を上げる働きをします。
(略)
能力別編成では、中位値より上のひとたちの成績もさして伸びません。同じ実力ないし同じ家庭環境の子ばかり集めるからです。どういうことかというと、まず承認の問題があります。教える喜び、仲間が向上するのを見る喜び、仲間からリスペクトされる喜び、など、人間関係の中でたがいの存在を承認し合うことによって動機づけられる経験が失われる。つまりエンジンがなくなるんです。

P.113 なぜ班活動は衰退したのか

宮台:「大人たちの勘ちがい」とは「優先順位の混乱」のことです。子どもの頭を良くしたいと思ったり、喧嘩に強く育てたいと思うのはわかります。でも、だったら「頭のいいひとと仲良くなる力」や「喧嘩に強いひとと仲良くなる力」のほうがずっと重要でわきます。普通、そうしたことは、だれもが弁えるべき常識でしょう。むかしはそうした常識がありあしたよ。

P.123

宮台:つけ加えると、「援交第三世代」は八六年生まれ以降ですが、九五年のオウム真理教事件阪神淡路大震災をはっきり憶えていません。就職の面接担当者や人事担当者の話を聞くと、入六年生まれ以降になると、グループワークができないとか、怒られるとヘコんじゃうだけじゃなく、不安でオドオドしていて、マトモに話ができない子が増えると言います。僕の実感でもあります。

P.125

宮台:学校に還元できない背景もあります。若い子をずっと調べてくると、一九九二年が分水嶺だとわかります。九二年にカラオケボックスブームが起こり、歌えば拍手の繰り返しで、音楽が社交ツール化して、のめり込んで聴いたり歌ったりすることがなくなります。同じ頃から小室哲哉の音楽がはやり始め、音楽がストリートの応援歌と化していきます。

P.129 均質化する東大生

東:筑駒が特に顕著で、そのあと入った東京大学文科-類(文1)も基本同じなんですが、あまり夢を語る同級生とかいないんですよ。別に将来やりたいことなんてなくて、とりあえず成績が良ければなんとかなるから、リスクを最小化するためには東大行っておくか、文1に行っておくか、そのあとは官僚になっておくか、という発想なんですね。

P.134

東:僕は大学教官でもありますが、本当は、教育の場は、教師と生徒が完全に対等な自発甲参加の場でなければいけないと思うんです。完全に対等というのはどういうことかと言えば、生徒が教師を切る自由があるとともに、教師も生徒を切る自由があるということです。また生徒同士も切り合う自由がある。僕の私的勉強会は、メンバーは完全に自発的な参加であって、いつ来なくなってもいい。逆にいつでもみなに相手にされなくなる可能性がある。そのときは僕は面倒見ないから、という形にしています。

P.137

宮台:あと「情報ダダ漏れ問題」については、ゼミの出席者全員に、他の出席者の発言につ,いての厳密な守秘義務を課しています。普通だったら誤解されるかもしれないような、ざつくばらんな政治的発言を、ハイ・コンテクストを前提として、奨励していますからね。コンテクスト抜きに伝わってしまえば、たいへんなことになりかねません。

P.141

東:東ツイッターの利点があるとすれば、弟子同士の嫉妬関係や人間関係のこじれみたいなものを、早期に発見するのに役立つということでしょうか。しかし、そんなことに妙に詳しいのも教師として問題がある。両義的ですね。

P.144

東:というよりも、いささか逆説的に言えば、ツイッターはむしろそのほうが社会的効用を高めるメディアなのではないか。みな、本業とは別に無駄話ばかりしていればいい。しかし、その総体こそが、じつは知の効率的な組織化に資することになる。どういうことかというと、その「無駄話」によって、本来は開けるはずだったのに閉じてしまっているコミュニケーションの回路が、再活性化されて動き出すからです。それは個人的な実感です。ご存じのように僕はこの一〇年間、現代思想からサブカルチャー評論まで、分裂したいろいろな仕事をやっていて、読者がいくつかの集団に分断してしまっていた。ところが、ツイッターをやり始めたら、その読者が驚くべき速度で一体化していくのですね。それは単純に驚きでした。

P.145

東:しかし、ここで重要なのは、ツイッターの「ハブ」機能は、そこで「大文字の教養」的な、啓蒙的な内容が流れていることではなくて、もっと裸の素の人間が露わになることによって可能になるということなんです。そこに可能性があるのではないか。
人間の知的能力には限界があります。現代社会が直面しているのは要はその限界であり、これは機械力によっては超えられません。人間そのものの身体的な限界だからです。たとえばいままでは、グーグルが登場したといっても、憲法学者のキャス・サンスティーンが『インターネットは民主主義の敵か』(毎日新聞社、二〇〇三年)で指摘したように、ネットサービスは原理的に島宇宙を強化することしかできないから、共和主義にとっては障害になるのだという意見しか存在しなかった。実際にそれは正しい。それでみなが頭を悩まして、一〇年経ったときに、「なんだ、眩きを一四〇字に制限すれば良かったのか1」と、いわばコロンブスの卵のようにツイッターが現れた。これはすごいことだと思うんですね。

P.147 ジョブマーケットの現状

宮台:たしかに希望だとは思いますが、いまでも大学生に占めるツイッターユーザーの割合は一割台です。グループワーク能力もなく、ツイッターのハブにもなれない、にもかかわらず、幼少期から勉強ができたために大人たちの覚えがめでたく、プライドだけ高いような、かなりの割合を占めるだろう連中を、どう介助していくかという問題が残ります。

P.152 高プライド人間の末路

宮台:最近、面白いことに気がつきました。ソーシャルスキルのある人間ほど単純労働
を嫌がらないことなんです。
(略)
つまり、ある幅以外の仕事は仕事に見えていないのが問題なんです。
(略)
ここにもうひとつ問題がある。いまの大学院生の多くが単純労働を間違って捉えていることです。単純労働でも大(へ)丈夫ですというひとたちは押しなべて「単純労働は非クリエイティブだ」と理解しているが、じつは単純労働の中にも習熟がある、と彼は言います。それまで注意を集中しなければできなかった作業が、次第に自動的にできるようになるプロセスのことです。
(略)
だから堀内君は「単純労働まで広げれば仕事はいくらでもある」という僕の言い方は間違いだというわけです。「そもそも大学院生の多くには単純労働に耐える力がないのだから」と。このことをいろんなひとに振ってみましたが、「本当にそうなんだよ」とだれもが首肯(しゅこう)します。ちなみに、単純労働に必要な資質は、じつは頭脳労働にも必要なんです。

P.166

東:ここまで話を進めてきて、ようやく問題がクリアになってきた感じがします。三〇年くらい前までの産業資本主義社会あるいは前期近代社会―呼び名はなんでもよいですが―においては、労働者が売るのは技能であり知識だった。そして知識や技能の差は、公教育で埋めることができる。ところが、情報資本主義あるいは後期近代社会あるいは再帰的近代社会に入ると、コミュニケーションの能力が直接に資本に結びつくようになる。そしてその傾向はネットの普及によってますます加速し全面化している。
ところが、その肝心要のコミュニケーション能力は、その定義上、教育になじむものではない。少なくとも、学校で四〇人に向かって、講義で教えられるようなものではない。とすると、どうすればいいのか。それがこれからの社会あるいは教育の課題ということになりますね。

P.168 学区的共同体の再構築

東:明治以降、地名や町名にはほとんどなんの意味もなくて、学区だけがかろうじてコミュニティとして機能してきた。そして続けて藤村さんが指摘したのですが、実際に日本の建築史を見ると、コミュニティをつくるときはまず学校をつくるのだと。ヨーロッパならば教会をつくるときに、日本では学校をつくる。前近代において共同体の中核だった寺社の機能が失われたあと、日本では学校は、教育機関であることに加え、共同体の核としての機能も果たしてきたわけです。

藤村氏とは若手建築家の藤村隆至氏.これは,中村哲氏の本で読んだ,アフガニスタンにおける教会の役割を思いだした.
P.181 運命の出会いと必然性信仰

宮台:僕の『サブカルチャー神話解体』(増補版・ちくま文庫、二〇〇七年)などを読み込め嘆入れ替采可能性は関係の履歴によってつくり出すしかない、すなわちコミュニケーションを重ね、関係性を深めることによってしか唯一無二のパートナーは見つからないものだと書いてあるんですが。
(略)
でも、このことに固執すると「ホームベース」がつくれないので、関係の履歴によつて入れ替え不可能性をつくり出すこともできません。「ホームベース」をつくることは、あらが偶発性に抗って「決断」することと同義です。必要な「決断」を「必然性信仰」によってスポイルするのは、論理的に間違いです。こうした袋小路に入り込んだひとが多すぎます。

P.184

宮台:『サブカルチャー神話解体』に書きましたが、ひとを過剰な偶発性にさらすアーキテクチャに強いられる形で、偶発性に免疫がないひとたちがそうなってしまっているだけの話です。僕的に言えば、「必然性信仰」は、偶発性に免疫がないことを示すヘタレの証です。要は、なにもかも偶発的でいいんです。なにもかも適当でいいんですよ。

P.186

東:実際、「お受験」にしてもコミュニケーション能力にしても、女の子の場合、結局はそのバックドアの実現のためであることが多いわけですよ。というか、僕たちは言論人だからまだ特殊なのであって。そういう感覚のほうがいまだ普通ですよね。
それで、そういうバックドアがある人生って、僕はどうも感覚的によくわからないわけです。だから、女の子をどう育てるかもわからなくなってしまう。娘を見ていて素朴にそう感じるんですが。

P.189

宮台:これは示唆的です。僕は「ホームベース無自覚問題」と呼びます。まさに「チャレンジするにも余裕から」。帰る場所があるから頑張れるんです。仕事に失敗しても感情的安全を回復でき、承認をもらえる場があるからこそ、失敗を恐れず突き進める。仕事上の真のリスクヘッジは、信頼できるパートナーを見つけることを含めたホームベース形成能力です。

P.190

宮台:結局、女の子だけじゃなく男の子にとってもバックドア問題は重要です。わかりやすく言えば「困ったときに助けてくれるひとがいるかどうか」なんです。「だれかに助けてもらえるかどうか」は「だれかを助けてあげられるかどうか」と表裏一体です。「愛されるかどうか」は「愛せるかどうか」と表裏一体です。シンプルと言えばシンプルなことで、「自分が幸せになろうと思えば、ひとを幸せにするしかない」「ひとを幸せにできる人間しか、幸せにはなれない」という基本公理です。愛されるというのは媚びることじゃない。媚びてもひとを幸せにできませんから。

P.192

東:しかし、単なる若者の錯誤では片づけられないところもある。というのも、上野千鶴子さんのベストセラー、『おひとりさまの老後』(法研、二〇〇七年)が、世代のちがいにもかかわらず似た主張をしているように思うからです。むろん、上野さんも水無田さんも宇野くんも、表面的には共同体の多様性や相互扶助の価値を賞揚するわけです。しかしその背後にあるのは、徹底した不安なんですね。いつひとりになってもいいように、あらゆるところにコミュニケーションの回路を張りめぐらせておこう、というリスクヘッジ。そこでは家族への信頼は、むしろリスクを高めることとして警戒の対象になる。件の水無田・宇野対談でも、最近家族に精神的意義を感じるひとが増えてきたが、その傾向は「ヤバい」と断言されています。ふたりがこの対談本を読んだら、やり玉に挙げられるかもしれません。

P.195

東:上野さんは日本ではフェミニズムの代表と見なされていますが、彼女独特の強迫観念的な個人主義は、フェミニズム本来のものかどうか疑問です。そしてそれは、明確な理論としてというよりも、曖昧な「気分」として下の世代に継承されている。女性としての自立は家族への依存と矛盾すると、なんとなく思われている。しかし、それが男性であろうと女性であろうと、他人への依存を否定するところに新しい社会の構想が生まれるはずがない。

P.196

宮台:上野さんの場合、他の団塊世代ご同様、ご自身の家族的トラウマから来ているから、責めても仕方がない。やっぱり読者の問題です。上野さんの本にトラウマを感じない人は、読者リテラシーに欠けます。

P.197

東:僕がこの問題が深刻だと思うのは、上野さんは個人主義者だからいいとして、多く労馨には現実に夫顯て、子どもがいるわけでしょう。そこで『おひとりさまの老後』を読んでふんふん頷いているのもどうなのか。彼女たちは一方で共依存による利得を長い間享受しておきながら、他方でそんな自分を引き受けられない、本当の人生は別にあったはずだと夢見ているところがある。

P.198

宮台:それらを考えると、上野千鶴子さんは、「いいとこどりの発想」をすることで読者に媚びているだけです。これではポストモダンの社会システムを変えられない。「家父長制の責任は男が負うから男がすべての責任を負うべきだ、自分たちは自分たちでやっていきます」は、強者による「いいとこどりの発想」で、僕に言わせれば無貴任です。
馬鹿男をつくり出した責任は、馬鹿っ母にもあるし、馬鹿妻にもあります。まあ、読者に媚びて言えば、男はしょせんは馬鹿ですから、ホモソーシャリティでは立ち行かなく、母や妻から諭されたり学んだりしない限り、フレームを変えられません。そうしたサイクルの上に制度があります。制度を男が支え、女はその犠牲者だというのは愚昧です。

P.202

宮台:第3章で申し上げた、平等理念は虚構だから不必要であるという考えも、複素数問題と関連しています。社会科学には「必要な虚構」という概念があります。啓蒙思想にまで遡る伝統です。ルソーについて論じられるように、一般意思が虚構であるごとはさして問題でなく、「必要な虚構」かどうかだけが問題です。「必要な虚構」は、専門人には「ゲームに必要な前提」ということで構わないが、多くのひとにはそういうわけにはいきません。

【関連読書日誌】
“信頼してもらう,愛してもらう力を身につけることが大切なのだ.”  『特集 就活の虚実』 宮台真司 週刊ダイヤモンド 2月12日号
『『七人の侍』と現代――黒澤明 再考』  四方田犬彦  (岩波新書)
【読んだきっかけ】
読んだのは今年の1月.震災前.
【一緒に手に取る本】

郵便的不安たち# (朝日文庫)

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インターネットは民主主義の敵か

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日本の難点 (幻冬舎新書)

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思想地図〈vol.5〉特集・社会の批評(NHKブックス別巻)

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