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“ダイモーンに対して取りうる最上の態度とは、それを避けることではなく、その声を耳を澄ませて聴き、そのいわんとするところを理解することだ。悲劇とは、自分のダイモーンを自覚できなかった者たちの敗北の物語にすぎない” 『再会と別離』 四方田犬彦, 石井睦美 新潮社

再会と別離

再会と別離

50を越えた人間二人が,再会し,自身の別離と,そして再開を語る.齢50を越えた人だけが語ることのできる人生の味わい.ここ2,3年四方田犬彦のものを随分読んできたが,なかなか深い1冊でした.四方田と石井の往復書簡からなる本.
P.8 四方田犬彦 to 石井睦美

実は電話を受け取った時のぼくは、1年にわたる長い旅を終えた直後だった。前の年の半分をイスラエルパレスチナで過ごし、後半をベオグラードを拠点としてコソヴォの難民キャンプのそば側 の大学で教鞭を執ることで過してきた。ぼくは人々が公然と憎悪を口にするさまを目の当たりにし、追害され屈辱に塗れて生きているさまを知った。これまで住んでいた町が宗教の違いによって突然に分断され、お互いに家を燃やしたり、聖所を破壊して墓を掘り返すといったことを繰り返している町に滞在し、プレハブ校舎の大学で教えたりしてきた。東京に帰ってきた時にはすっかり精神的に疲れていて、荒廃した感情を持て余していたところだった。悲惨と危険のさなかにある入々とそれにほとんど無関心な日本人とのあまりの差異に、ぼくは当惑していた。いったい自分が見聞きしてきたものをどのように他者に伝えればいいのか。

P.10 四方田犬彦 to 石井睦美

当時青土社に勤めていたきみは、雑誌『ユリイカ』がシュルレアリズムについて別冊特集を組むので、ルイス・ブニュエルについて寄稿してくれないかと、ぼくに依頼しに来た。おそらく特集の総監修者である巖谷國士氏の推薦があったのだろう。

ルイス・ブニュエル!!!!!
P,14 四方田犬彦 to 石井睦美

昔住んでいた家を入知れずそっと訪れてみせること。マルグリット・デュラスがどこかでその体験のスリルを、あたかも自分が幽霊になったかのような気がすると書いている。

P.15 四方田犬彦 to 石井睦美

友だちの数は死とか絶交で減っていくことはあっても、増えることはない。ぼくがエドワード・サイードダニエル・バレンボイムの対話集を興味深く読んだのは、彼らのパレスチナ難民への共感はさておいて、人間というものは真剣に自分の探求を続けているならば、60歳を越して初めて会っても真に深い友情を結ぶことができると教えられたからだ。

P.39 四方田犬彦 to 石井睦美: 中村真一郎の江戸文化人論3部作『頼山陽とその時代』『蠣崎波響』『木村蒹葭堂のサロン』

二番目の蠣崎波響の場合はまったく異なっている。中村真一郎松前藩の家老にして漢詩と画業に長け、政治的にも大行動家であったこのルネッサンス的人物を、20歳代から愛読してきた森鴎外の『伊澤蘭軒』にチラリと顔を覗かせているチョイ役として、以前から気にかけていた。それがある時フランスのブザンソン美術館の収蔵品のなかに、彼が若き日にアイヌの長老たち12人を描いた肖嫁画が発見されたという報せに接し、なんとかその謎を解明したいという気持ちが一気に高まり、それまで蒐集してきた数百点の資料をもとに執筆浴開始されたという。

P.58 四方田犬彦 to 石井睦美

ショーというアイルランド入はぼくにいわせれば、つかこうへいに似たところのある皮肉屋で、ロンドン人の言語行使における階級性を戯ってみせた。完壁に美形の存在を持えた瞬間、その人形に裏切られてしまう造物主。これはもっとも漬神的で辛辣な別離のあり方ではないだろうか。

P.60 四方田犬彦 to 石井睦美

この30年問ほどの自分の生き方を振返ってみると、ぼくはこう思う。自分の人生とは、いかに情熱的な恋愛といった観念から距離をとり、少しずつ少しずつではあるが、それを友情へと置き換えていくかという過程にほかならなかったと。またその友情とはいつしか、先取られた死への思いと密接に結びつくことになっていったと毛。その契機となった話をしておきたいと恩う。

P.68 四方田犬彦 to 石井睦美

ある時からぼくは新しい友だちを見つけるたびにこう空想する癖を持つようになった。今、ぼくはこの入と親しく話している。何の虚栄心も利害関係もなく打ち解けあい、他愛もない話をしながら、幸福な時聞を過ごしている。けれども幸福はいつか断ち切られることだろう。ぼくたちはお互いの意志や気持ちでは抗しきれない偶然によって別れ別れとなってしまい、しばらく続いた連絡屯いつしか疎遠となり、ついにはまったく音信が辿れなくなってしまうだろう。今ぼくの目の前にいる入物の死を、ぼくはどのような形で知らされることになるだろうか。

P.108 四方田犬彦 to 石井睦美

それからぼくは、マルグリット・デュラスのことを思い出した。戦時下から解放直後にかけて執筆された彼女の日記を読むと、この駆け出しの作家がいかに悲痛な尉れを自分に課してきたかが、こと細かに記されている。

P.110 四方田犬彦 to 石井睦美

きみは別れることで、別れられた側よりもはるかに大きな傷を背負い込み、(ちょっと非情な表現になるかもしれないけれど)死の刻に到るまでその別離から逃れられないでいることだろう。とはいえポール・ヴァレリーの詩ではない誤、いつも耳元に聴こえてくるのは、「さあ、風が立った。生きなければ」という、あの懐かしい旋律ではないだろうか。

P.114 四方田犬彦 to 石井睦美

ぼくが父親となることを拒絶してきたのは、端的にいって子供に命名するという暴力に耐えられなかったからだ。それは子供に一生消すことのできない烙印を押すことに他ならない。
(略)
ぼくの心中深くにまで根を降ろしているこのプロメテウス・コムプレックスは、ぼくに多くのハリウッド映画を観ることを困難にしている。ぼくは平然と先住民を殺害するジョン・フオードの映画が、日本で疑問に付されることなく堂々と公開されていた時代に出遅れてしまったことを、幸運なことだと考えている。それはつまり、アメリカ進駐軍が父性的な眼差しのもとに西部劇を、被占領国の子供たちの頭脳に刷り込んでいた時代でもあった。このぼくの嫌悪は、フォードの映画のここかしこに見受けられる父性的な入物設定に耐えられないことに起因している。と同時にぼくは、周到な批判的手続きを経てジョン・フォードを継承しようとするクリント・イーストウッドにも、まがい物めいた胡散臭いものを感じざるをえない。彼は他者である日本人を観客としてまず懐柔することで、ひとたびは凋落したハリウッドの世界支配体制の再編成を露骨に目論んでいるからだ。その背後にある庇護者としての父親の限差しに対し、ぼくは巧妙に設えられた嘘しか見ること淋できない。西部劇とロラン・バルトを同時に愛すると平然と口にする黄色人種のインテリを信用できないのも、もっぱらそのためだ。

P.124 四方田犬彦 to 石井睦美

きみの手紙を読んだ。親愛なる石井睦美。きみが服喪のさなかにあることが、それでよくわかった。ぼくはもうこれ以上のことを知るべきではないと思う。なぜなら秘密というものに対しもっとも礼儀正しく振舞う方法とは、それを意味もなく扶じ開けることではなく、いつまでも秘密のままに剛田めておくことだからだ。秘密の威厳に敬意を払うことだからだ。ぼくはいつもそう考えてきた。

古代ギリシャ人は,人生を決定する力を三つに分類していたという.
 (1) 『テュケ』 偶然.当事者の内面とはいささかも関係のない,純粋に予測不可能な出来事.飛行機が遅れる,宝籤が当たる,など
 (2) 『モイラ』 人間の意思を越えて,いきなり外部から襲いかかってくるもの.戦争が勃発し婚約者が戦争に取られ,婚期を逃す,広島に住んでいて原爆に被爆する,など
 (3) 『ダイモーン』 個人に取り憑いて,人間と神々,魂と現実の間をとりもつ力.人を危険な目に遭わせることもあるが,全体として人をより高いところへ導いてくれる.

ダイモーンは自分が自分であることに本質的に関わっているため、取り替えることができない。自分のダイモーンをそれと気付くのは自分だけで、他の人にはそれはわからない。ダイモーンに対して取りうる最上の態度とは、それを避けることではなく、その声を耳を澄ませて聴き、そのいわんとするところを理解することだ。悲劇とは、自分のダイモーンを自覚できなかった者たちの敗北の物語にすぎない。

P.141 石井睦美 to 四方田犬彦

あなたとの手紙のやりとりをしたこの何か月ものあいだ、ずっとわたしはわたし溺生きた別離について考えてきました。過去がどのようなものであっても、未⊥米がどのようなものになるとしても、わたしたちは今を生きることしかできないのだということに、わたしはあらためて思い至るのです。わたしたちは一瞬を常に限りなく生き続けるだけなのだと。その一瞬には、過去もなく未来もありません。

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