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“緊張と矛盾と分裂の社会の中で大人になるであろう君たちは、開かれた思考力、批判的な知性によって、また偏見をもたず寛大さによって、立ち向うことが出来なければならない” 『若き死者たちの叫び―ヨーロッパレジスタンスの手紙  (現代教養文庫)』 片桐圭子 社会思想社

わが家の文庫本棚をながめていたら,本書を発見.以前に言及した,『イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25 冨山房百科文庫 (36)』(P・マルヴェッツィ,G・ピレッリ編,河島英昭他訳,冨山房)同じ類の本.1979年刊の初版だが,消費税のシールが貼ってあるので購入したのは1989年以降.購入経緯は不明.現在絶版.
 本書には,訳者あとがきや解説がないので,翻訳経緯は不明.『イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25 冨山房百科文庫 (36)』の参考文献を読んで,この二書の相違が判明.冨山房版は.“Lettere di condannati a morte della Resistenza italiana. 8 settembre 1943-25 aprile 1945”の訳.同じ編者による次の2冊が日本で出版されている.

 随分前に絶版になった本書を検索してみたところ,古賀一典さんという方がブログで取り上げていていました.中学生版として編まれたとのことですので,その序文にあたる,「若い読者への手紙」全文を引いてみたいと思います.

 若い読者への手紙
 これは普通と違った、少しばかり風変りな本であることを、まず君たちに告げなければなりません。この本はずっと以前に、多くの人びとによって、さまざまな情況のもとで書かれたものです。そのなかには、労働者、学者、農民、教師、軍人、学生、主婦、聖職者、政治活動家がおり、女性と男性、大人と若者がおり、大西洋からヴォルガ、北海から地中海にわたる全ヨーロッパ一六ヶ国の市民たちがいます。そして、手紙やあるいは短かい伝言で構成された本です。両親や子供たち、人生の仲間たちや闘いの仲間たち、兄弟や姉妹、先生や教区の人びと、男友達や女友達に宛た手紙です。
 それはまた、タバコの箱やトイレット・ペーパーの切れはし、そして本の余白や独房の壁などに書かれたものなのです。これを書いた人びとに共通するのは、自分がやがて処刑されるということを知っていた、ということだけです。彼らのほとんどは、ファシズムにたいしてノーといい、戦争にたいする闘いを宣言し、世界を変えるために闘ったがゆえに、その代償を支払わねばならなかったのです。またある人びとは、《劣った人種》に属しているという理由だけで、殺されねばなりませんでした。そしてまた、ある人びとは、単なる嫌疑、個人的な復讐、偽りの通報などによって殺されたのです。
 このなかのある人びとは、最後の手紙を書いたのち、まだしばらくの間、数週間か数日の間、生きていました。またある人びとは、数時間いや数分後に処刑されたのです。若者向けの作家であるわたしの気持からすれば、君たちに、愉快な物語や冒険の本を読むようにといいたいのです。ではなぜ、このように深刻で重苦しい、そして悲しいこの本を読むようにすすめるのでしょうか。それは、君たちにとって、さまざまな情況にたいする反省と討論の唯一の特別なチャンスだと思うからです。だからといって、尊敬や崇拝の念をもって読まなければならないような神聖なテキストを手渡すのではない、ということにとくに注意して下さい。ここに登場するのは、ごく普通の人びとです。わたしたちと同じように毎日希望をもって生活し、それぞれの考えをはっきりさせ、より高い意識にたどりつくよう、学んだり、反省したり、討論したりしていた入たちなのです。

 おそらくそのことは、次のような疑問をひき起すでしょう。この時代には何が起ったのだろうか。どのような情況の下で、これらの女性や男性、そして若者たちは生きていたのだろうか。どうして、またどういうことのために、彼らは死んだのだろうか。こうしたことについて、内容のある議論を望むなら、そうした現実や、わたしや君たち、そして君たちよりももう少し年長の人びとと同じような、ここに登場する人びとの中に入り込み、彼らがわたしたちに伝えようとしたのは何なのか、ということに耳を傾ける必要があるでしょう。
そうすれば君たちは、デソマークの船員、オーストリアの大工、ソヴィエトの農民に共通するもの、ギリシャの若い母親、ベルギーの司祭、イタリアの年配の大工に共通するものなど、彼らの多くに共通した立場、思想、行動を見出すでしょう。そしてまた、偶然に事件にまき込まれた人と自ら選んで危険と責任を負った人との違い、熟考したうえで選択を行なった人と、本能的な、感情的な、そして道徳的な衝動によって行動した人との違い、伝統的な思想、愛国主義、同胞愛、来世の報いーにょって支えられていた人と、革命的な新しい展望、綱領、思想の伝達者であった人との違いが、次第にはっきりとしてくることでしょう。
 そして最後に、こうした相異のなかの相異、そのなかで個性というものの素晴しさが、浮び上ってくるに違いありません。このことは、つまりわれわれの一人ひとりが他の人びととは異なった唯一の存在であり、われわれの一人ひとりがそれぞれの人生に意味を与えることができるということです。そして同時に、君たちの胸の中に、ひとつの時代-破廉恥と恐怖の時代、だが人間と歴史にたいする情熱、高潔、信頼の時代の生きた映像が形づくられることでしょう。

 この本を読んで君たちは、もしその時代に生きていたら、どんなだったろうか、また何をしただろうか、とふと自分に問いかけることでしょう。しかし、ここで慎重に考えなければなりません。今日、簡単であたりまえの選択のように思えることでも、当時はきわめて多くの困難、きわめて知的な配慮そして強い精神力が必要とされていたのです。当時わたしたちは、わたしたちを取巻いていた嘘と偽りの網の目を通して事実をみなければならなかったのです。まわりのすべてにたいして、《良識》や慣行や平凡な日常生活と訣別する必要があったのです。時にはそれは、より身近なところから始まりました。これが、なぜ優れたしかも誠実な人びとが、今日の君たちからすればごく当然のことのように思われる選択を、しなかったのかという理由なのです。ほとんどの人びとはファシストであったか、それともファシズムを打倒すために何もしませんでした。彼らはごく少数の例外を除いて、悪者でもなければ愚者でもなかったのです。彼らは我慢し、順応していっただけなのです。ある人びとは心から信じて行動しました。だがその方向が間違っていました。
 こうした人びとを批判することは正しいとしても、すべてが過ぎ去った今日、自分だったらパルチザンだったろうとか、解放戦士だったろうに、と言い切ることは、余りにも容易なことなのです。わたしたちすべてがそうであったように、もし君たちが当時生きていたとしても、沢山の、しかもきわめて困難な中にあったでしょう。わたしたちの多くが間違ったように、碧たちの多くも間違ったことでしょう。

 しかし、その時わたしだったら何をしただろうかーという問いそのものが、誤った問いなのです。君たちは当時そこにいませんでした。しかも、当時生きた人と同じ状況に身を置こうとすること自体、無意味なことなのです。正しい問いとはそうではありません。いかにして偽りと真実をはっきり区別することのできる状態に身をおくか、いかにして今日だされている選択にたいして、正しい側に立つかということなのです。
 ぜひ知っていてほしいのは、レジスタンスはファシズムの敗北で完全に終ったのではない、ということです。今日も生き続けているファシズムの心情や方法にたいして、またあらゆる決定権を少数者に与えるといういかなる制度にたいしても反対するということは、継続しているのです。それは、自らの独立のための、植民地主義帝国主義にたいする人民の闘いや、人種差別にたいする闘いのなかに、生き続けています。つまり、搾取する者と搾取される者、抑圧者と抑圧される者、余りにも持ち過ぎる者と飢えのために死ぬ者とがあるかぎり、そこにはつねに、いずれの立場に立つか、という選択があるのです。
 あちらでもない、こちらでもないという中間に立つことは、ファシズムのもとで、あちらでもなくこちらでもなかった、ということと同じことなのです。それが結局は、ファシズムを助け、強化したのです。多くの人がいうように、今日の状況はより複雑で入り組んでおり、選択はよりむずかしい、ということが本当であるとしても、古いものと新しいものとの間の衝突がいつもある、ということだけは忘れないでほしいのです。間違いを犯すかも知れないが、新しいことは、古いことよりも良いということは、確かなのです。

 さて、こうした目的で、君たちは、英雄とかひとつの主義のための殉教者と呼ばれる人々の最後の言葉や伝言を読もうとしていますが、読むことを通じて、また討論を通じて、わたしたちは新しい個人、新しい精神の旗手になろうではありませんか。かつては、祖国のために死ぬのは甘美なことであり、理想のために犠牲となるのは美しいことだと教えられてきました。しかしわたしたちは、そうではなくて、殺されるということは、いかなる場合でも野蛮なことだ、といいましょう。それは殺される側の人にとっても、殺す側の人にとっても野蛮なことなのです。生命の意味は、喜びのなかにこそあれ、苦しみや悲しみのなかにはありません。与えられた状況のなかで、危険をおかしたり、危険に立ち向うことは正しいことだとしても、また殺したり殺されたりすることは、不可避なことであるかも知れませんが、そうしたことを何か美しいこと、お手本として話すことは止めましょう。良心的な人間がのがれることの出来ない厳粛な必然性として話しましょう。
 君たちがこの『若き死者たちの叫びーヨーロッパレジスタンスの手紙』を読むにあたって、ここでわたしがいいたかったのは、緊張と矛盾と分裂の社会の中で大人になるであろう君たちは、開かれた思考力、批判的な知性によって、また偏見をもたず寛大さによって、立ち向うことが出来なければならない、ということなのです。

【関連読書日誌】
(URL)銃口の向きを変えるためには、おのれの肉体の消滅を賭けて、思想の変革を果たさなければならない” 『イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25  冨山房百科文庫 (36) 』 P・マルヴェッツィ, G・ピレッリ編 河島英昭 他訳 冨山房
【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25 冨山房百科文庫 (36)

イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25 冨山房百科文庫 (36)

上記の原書は下記