“そこで生きざるを得ない人たちが、ある意味、一所懸命に暮らしている町だから、邪魔をしてはいけない” 『さいごの色街 飛田』 井上理津子 筑摩書房

さいごの色街 飛田

さいごの色街 飛田

飛田を取材して,「真っ当な」本にするということが可能なのだろうか,と思っていた.しかも書き手は女性である.比較的治安によい日本といえども,普通の人は決して触れてはいけない世界,というものがあるのも事実である.ただ,インタネットの普及で,本当のことが多くの嘘とともに,見えるようになってきてもいる.これも,情報のフラット化の一現象か.
 足かけ12年に及ぶ取材の結果である.むしろ,女性だから可能だったのかもしれない.生粋の大阪人でなければ,すなわち,大阪弁がしゃべれなければ無理であったろう.
 「飛田」の名を初めて知ったのは,リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の被告が,長い逃亡生活の中で,飛田に出入りしていた,という記事を読んだときである.実は,以前取り上げた,『潜入ルポ ヤクザの修羅場 (文春新書)』で飛田のことが触れられているのである.警察に守られた街,として.
 著者,井上理津子氏自身によるブログが(URL)にある.
 本書は,その手の興味本位で取材できる類のものではないだろう.いつの世,どこの場所でもなくならない女性哀史であると同時に,近現代文化史でもある.
第1章 飛田に行きましたか
第2章 飛田を歩く
P.40 スニーカーを売る露天にて.

「何言うてんねん。ナイキやで。ブランドやから強いで。両足やで」

さすが大阪!
P.49 飛田の「本物の」料理屋「鯛よし百番」社長

「前は、飛田は普通の人が来るところと違いましたやん。こんな場所のこんな古くさい店に来る人おるんかいなと思ってましたけど、いつの間にやら情緒あるとか何とか言うて若いOLさんまで店に来はるようになったの、正直言うてびっくりしてます。ついには、大阪府登録文化財に指定されてしまいましたし」

第3章 飛田のはじまり
P.83 1872年(明治5)芸娼妓解放令,発令の経緯

 ざっくり言う江戸時代まで当たり前の存在だった遊郭だが、この芸娼妓解放令は、横浜港沖で起きた「マリア・ルーズ号事件」をきっかけに発令された。上海から南米ペルーへ向かう途上だったこの船から一人の中国人が逃亡し、「我々二百三十一人の中国人は船内で奴隷扱いを受けている」と助けを求めた。日本政府は中国人たちを保護し、「船長は無罪」という司法判決を下すが、人道上の問題として、中国人たちを船長に引き渡すことを拒否した。これを不服としたペルー人弁護士が、「日本にだって娼
妓という奴隷が数万人もいるじゃないか」と"逆切れ"発言をした。そのため、明治政府が「国際問題に発展すると面倒だ」と大慌てで「遊廓業者は娼妓を解放しなさい」と発令したのだ。

P.90 料亭経営者によれば

「遊廓というのは、江戸時代から特別の場所やった。"御用"なヤツが入り込んで来よったら、奉行所に代わってソイツを捕まえて処刑する権限が与えられていたんよ。遊廓の廓(郭)という字は、城の中と同じで、そういう権限があることを指してるんや」

P.94 てらし,は変換できませんでした.

 飛田遊廓の営業形態は「居稼(てらし)」だった。
 「居稼」は、妓楼に自分の部屋を与えられ、そこで客を取る形態のこと。芸者のように、置屋でスタンバイし、お呼びがかかって座敷に出向く形態「送り」に対して、こう呼ばれた。

P.101

 飛田開業三日後の一九一九年(大正八)一月一日。大阪毎日新聞には、羽仁もと子が「自分の才能を役立たす為に人は皆職業に従ふもの」、大阪朝日新聞には、平塚雷鳥が「(日露)戦後の婦人問題」と題し、女性に自分の意志をもって生きることを促す一文が大きく飾った。遊廓に暮らす彼女たちに、そんなメッセージは届くべくもなかった。

P.106

 滋賀県八日市市(現東近江市)にあった八日市新地遊廓では、娼妓になる儀式として、女性を、死者の湯灌に見立てた「人間界最後の別れ風呂」に入れ、その後、土間に蹴落とし、全裸で、麦飯に味噌汁をかけた「ネコメシ」を手を使わずに食べさせた。人間界から「畜生界」に入ると自覚させたのだという。

P.111

「おや?」と思ったのは、「飛田遊廓組合」が組織された、開廓の翌々一九二〇年(大正九)から一九四一年(昭和+六)まで二十二年間にわたって飛田遊廓取締を務めた高岩友太郎という人が元巡査だったことだ。警察との関係を疑うのが自然だろう。

P.116 1929年の本,(松川二郎『全国花街めぐり』)

この本は、東北から九州まで百二十一か所の遊廓を泊まり歩いて書かれたガイドブックだ。(中略)
遊廓目的の男の旅行が何らやましくなかった時代なのである。

P.118 被差別部落の関わり

それにしても、夜中の二時、三時にも、三味線や小鼓、拍子木を打ち鳴らして歌う門付芸人、法界屋もいて賑わっていたとは。法界屋は、被差別部落の人たちの生業だった。飛田から一キロも離れていないところに、西浜や渡辺という被差別部落があった。

第4章 住めば天国,出たら地獄―戦後の飛田
P.124

まず、「兵隊も金やね」という話から。自分は炊事軍曹になるはずだったが、「腹巻きに千五百円ほど
いつも入れて、金を持っていたから、昭和十九年十月に召集免除になり、終戦は飛田で迎えた」と。

P.127

不思議なのは、敗戦を境に、それまで飛田の貸座敷の「大家」だった大阪土地建物が飛田から忽然と姿を消したことだ。

第5章 飛田に生きる
P.198 飛田経営者の昔物語.今やっているNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」を思いださせる.

落ち着くと、本町でレースを付けたシュミーズの製造を手がけた。出来上がったシュミーズを「女の人がたくさんいるところで売ろう」と飛田へやって来たのが、この町との関わりの始まりだという。
「昭和三十年くらいでしたか。飛田は、黒山の人だかりやったからね。シュミーズは瞬く間に売れた…」

P.208 さんびゃくだいげん(三百代言) これは変換できた.弁護士の昔の呼び名,蔑称

三百代言。「もと、資格を持たない代議人(弁護士の元の呼び名)を軽蔑して呼んだ言い方。相手
を言いくるめてしまうこと。『三百』は三百文の略で、価値が低いことのたとえ。『代言』は代言人の略
で、昔は弁護士のことをこう呼んだ」のだそうだ。

P.211

「そうや。けど、裏には裏の世界があるのは、我々の世界も政治の世界も企業も一緒よ。手入れする時は、警察が事前に業者側に連絡を入れよるん」

P.216

「ヤクザの三大御法度、知ってますか?」
「知りません」
「窃盗、強盗、豆泥棒。外れたこと、すんなって(笑)」
「豆泥棒って?」
「他人の女を寝取ることやがな(笑)」

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P.218 暴力団事務所を取材

心が揺れたが、断ったのは、先の組長に「ヤクザから、紙パックの牛乳とか封をしているもの以外のものをもらっても、絶対に手をつけるな。中に何が入ってるか分からんから」と忠告されていたからだ。

第6章 飛田で働く人たち
P.228

 壁面に「感謝状」なるものがいーつも掲げられている。西成警察署長と西成交通安全協会会長が「一致団結組織をあげて交通安全のために尽された」、大阪府知事が「常に府税の納税に協力して本府財政の確立に寄与せられました」、大阪市消防局長と大阪市公衆集会所防火研究連合会長が「法令をよく守られ消防用設備の充実と火災予防を図り部会の強化発展につくされました」'……。
 飛田新地料理組合が、公的機関から「感謝」されてきたというのも妙だが、何より驚いたのは、マントルピースの上に飾られた写真である。料理組合の組合長と茶髪の弁護士が二人でにっこり笑顔で写っている一枚が、そこにあったのだ。
 「あれ?これ橋下知事。『行列のできる法律相談所』に出ていたころの橋下知事ですよね?」
 「そうや。組合の顧問弁護士。一回、講演に来てもろた時に写したやつやな」と幹部。

あとがき,から

 「民俗学とは、ある地域やある集団が古今共通して共有する『クセ』である」と、民俗学者神崎宣武さんが、『聞書 遊郭鳴駒屋』に書いておられる。本書は「学」ではないが、そういった「クセ」が累積し、多重化した一つの地域の姿を描いたものとして、読んでいただけたらと思う。
 なお,本書を読んで、飛田に行ってみたいと思う読者がいたとしたら、「おやめください」と申し上げたい。客として、お金を落としに行くならいい。そうでなく物見にならば、行ってほしくない。そこで生きざるを得ない人たちが、ある意味、一所懸命に暮らしている町だから、邪魔をしてはいけない。

【関連読書日誌】

  • (URL)ヤクザは利口でできない,馬鹿でも出来ない,中途半端でなお出来ない” 『潜入ルポ ヤクザの修羅場  (文春新書)』 鈴木智彦 文藝春秋
  • (URL)私は一九六〇年代の後半から山口組暴力団を見続けて来ましたが、そろそろ終わりだろうと思っています。暴力団は構造不況業種で、もう行くところまで行き着いてしまったと見ているからです。” 『暴力団  (新潮新書) 』 溝口敦 新潮社
  • (URL)人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る” 『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』 黒岩比佐子 講談社

【読んだきっかけ】
新聞か雑誌にて.目を疑った.
【一緒に手に取る本】

大阪 下町酒場列伝 (ちくま文庫)

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飛田百番―遊廓の残照

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ヤクザ崩壊 侵食される六代目山口組 (講談社+α文庫)

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はじまりは大阪にあり (ちくま文庫)

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