“瞬発力と集中力と持続力を身につけて、知性と品性と感性を磨く。磨いて、磨いて、磨きつづける。あるとき、ふっと深い霧が晴れるように、何かが少しだけ見えてくる” 『私 デザイン』 石岡瑛子 講談社

私 デザイン

私 デザイン

アートディレクタの石岡瑛子さんが亡くなった.彼女もまた膵癌だと言う.海外に拠点をおいて活躍している人は,どんなに世界的な人であっても,日本のメディアでの露出が相対的に少なくなるので,一般の人に意外と知られていない,ということがある.私も本書が出版された2005年に,はじめてその名を知った次第である.本書を読むと優れた文筆家であることもわかる.
NewYorkTimesの記事[(URL):title=(URL)]によれば,

Eiko Ishioka, Multifaceted Designer and Oscar Winner, Dies at 73
By MARGALIT FOX
Published: January 26, 2012
Eiko Ishioka, a designer who brought an eerie, sensual surrealism to film and theater, album covers, the Olympics and Cirque du Soleil, in the process earning an Oscar, a Grammy and a string of other honors, died on Saturday in Tokyo. She was 73.

本書は,世界の名だたる表現者と一歩たりとも妥協をしない戦いをしてきた,その記録である.とにかくすごい.NHKでは,昨年2月放映された,プロフェッショナル仕事の流儀(URL)を再放送していた.
 あらためて本書,特にまえがきを再読してみると,この本は、彼女の戦いの記録であると同時に,若い人に向けた檄文,メッセージであることがわかる.まえがきより,
Computainment(コンピューテイメント)が幅を利かせ,デジタルなものが席巻する風潮に抗して,

そんな渦の中で自分を見据え、自分を見失わずに表現の道を真っ直ぐに歩いていくのは、並大抵のことではない。デジタル化されていない時代に表現者としての基礎を築き、デジタル化された時代にその価値を問いつづけ、挑戦しつづける私のような人間は、綱引き(タッグ・オブ・ウオー)の真ん中に立って落下せずに留まりつづけるロール・モデルになれるかどうか試されているようなものだ。

そして,次のように言う.

このような時代をサヴァイヴしていくために最も大切なことは、内側から湧き上がってくるほんとうの“自分力”を培うことかもしれない。

私がこの本に書いた十二のプロジェクトは、いずれもニューヨークを拠点にして手がけてきた数多くのプロジェクトの中から厳選してフォーカスをあてたもので、その表現領域はサーカスからハリウッドまで、多岐にわたっている。選択の基準は、私にとってエキサイティングなプロジェクトであったかどうかという、きわめて単純で、そしてきわめて独断的なものだ。

一度しか与えられていない人生を意義深いものにするために、他者とのコラボレーションを通してめったに得られない人間関係を築き上げたいというのが私の信念なのかもしれない。様々な分野の表現者が、他の創造者と親密な関係を築き上げ、そして刺激的な仕事を残していく。私はそういう関係を、かけがえのない大切な宝としていつまでも抱え込んでいきたいのだ。
“一生遊んで暮らしたい”と願う若者たちには共感を得られないかもしれないが、ここに、今から十数年も前に、ある雑誌のために書いた小文を引用してみたい。それは今もなお、私の心の奥深くを支配している思いなのだから。
“白いキャンバスを前にして、描くべき何かを持っていることほど幸せなことはない。瞬発力と集中力と持続力を身につけて、知性と品性と感性を磨く。磨いて、磨いて、磨きつづける。あるとき、ふっと深い霧が晴れるように、何かが少しだけ見えてくる。世界をリードするすぐれた表現者は、異ロ同音に私に向かって語りかける。表現者にとって最も大切なことはDiscipline(ディシプリン)(訓練・鍛錬)だと。私も二〇〇パーセント、同感である。”

以下,目次に沿って,

Works
石岡瑛子の世界
ハリウッドからサーカスまで

第一章
カンヌ国際映画祭芸術貢献賞受賞
映画「MlSHIMA」
三島由紀夫の生涯を美術監督として描写し、世界で大きな評価を受ける。国際舞台で活躍する扉を開きながらも、日本では公開されなかった幻の傑作。

この映画は,残念ながら日本では未公開.

第二章
グラミー賞受賞
マイルス・デイヴィス「TUTU」
ジャズの帝王を唸らせた、アルバムジャケットのアートワーク。スーパースター、マイルス・デイヴィスの入生を“マスク”と“ハンド”に焼きつける。

P.68
突然マイルスは、トミーの言葉をさえぎって私に向かい、「入種差別なんてものは、何もアフリカや黒人に限ったことじゃないんだよ。世界中にころがっている問題さ」と、すごい勢いで吐きすてるように言った。私はその剣幕にハッとしてマイルスを見ると、そこには、私がそれまで見たことのない厳しい表情をして遠くを見ている彼の横顔があった。

トップに立ったミュージシャンといえども,差別をここまで強く感じるアメリカ社会に衝撃を受ける.ハルベリーがアカデミー主演女優賞を黒人としてはじめて受賞したときのスピーチを思いだした.

第三章
ニューヨーク批評家協会賞受賞
ブロードウェイ演劇
「M.バタフライ」
「ムッシュウ・バタフライ「は「マダム・バタフライ」の裏返し。東洋と西洋のあいだに横たわるファンタジーを真紅の舞台美術で奏で、皮肉の帝国・ブロードウェイに新風を巻き起こす。

第四章
「映像の肉体と意志―レニ・リーフェンシュタール」展
ナチス党大会、ベルリンオリンピックの記録映画を監督した映像の巨人レニ・リーフェンシュタール。その波乱と情熱の人生をたどった展覧会を総合プロデュース、演出およびデザイン。

第五章
アカデミー賞コスチュームデザイン賞受賞
映画「ドラキュラ(Bram Stoker’s dracula)」
巨匠コッポラ監督の胸に飛び込んで、一心不乱に駆け抜けたハリウッドでの創造の旅。“誰も見たことのないドラキュラ像”創造への執念がつかんだ栄光のオスカー。

P.170

私ははじめに、歴史上の甲冑を徹底的に研究した。どのように様式化され、肉体を保護(プロテクト)する機能はどうなっているのか、というような研究である。その上で私のデザインは、歴史上の甲冑を調べ、そのどれかをアレンジするというようなものではなく、オリジナリティにこだわって、こだわって、こだわらなくてはならない。それを実現するためにも、技術的な解決法、肉体の構造との関係を学びとる必要があった。

P.173

フランシスはこの案を開発するにあたって、私に次のようなヒントをくれた。「ドラキュラは若いころ、プリンスとしてトルコのイスタンブールに長く滞在していたから、トルコの文化の影響を受けているはずだ」と。

Coppola and Eiko on Bram Stoker's Dracula』(Collins Pub San Francisco,1993)によれば,フランシス曰く,制作費は,映画のいろいろな部門に分配して,帳尻を合わせる.それが監督の仕事の一つ.だが,暎子だけは,自分ののぞんだものをすべて得た,と.

第六章
ブロードウエイプロダクション
「デビッド・カッパーフィールドの夢と悪夢」
天才マジッシャンと組んで、ブロードウェイの観衆を酔わせた驚異と官能のイリュージョン…それは、不可能を可能にしてみせる世界。

P.205 DC(デビッド・カッパーフィールド)のこと.

DCは、ある収集に強い執着を持っている。その収集とは、マジックの歴史に名を残してきた名マジッシャンたちに関するあらゆるアートをコレクションすることで、それを未来に残したいという野心である。マジックに関するアートのコレクターとしては世界でも類をみないスケールで、1991年に美術館「The International Museum and Library of Conjuring」を設立したが、一般公開していない。唯一、訪問を正式に申請した学者のみが入館を許可される。

P.221

一緒に仕事をしているうちに次第にわかってきたことは、マジックに関するアイディアやディテールの表現はもちろんのこと、ビジネスのこともすべて、つまりDCはワンマンショウの表も裏もすべて、自分で切り盛りしているということだった。マジック装置の技術的な側面に関しても彼の指示のもとで解決していくのだから、把握しているのは当然のことだった。

P.244

最後に私は、DCのもうひとつの顔について話をしてみたい。一九八二年、彼はプロジェクトマジック(Project Magic)というノンプロフィットの団体を設立した。それは、身体障害者リハビリテーションのプログラムに"手を使うマジック"を普及させ、治療に役立てると同時に、患者の自信を高め、自分に対しての価値観の発想を豊かにしていく運動を広めることでもある。現在では、約三十ヵ国、千に近い病院に、この運動が普及している。近々身体障害者用の、マジックを使って治療する方法を解説したハンドブックも出版される予定になっている。ショウビジネスのスターと、身体障害者救済事業の関係を理解することは、今の私にはできる。

第七章
オベラ「忠臣蔵
日本発のグランドオペラを制作し、世界のオペラ界に挑む。作曲三枝成彰、演出ヴェルナー・ヘルツォークとともに、日本を代表する実話をオペラに仕立て上げる。

P246 ヴェルナー・ヘルツォークが靴の底を食べたというエピソード。探偵ナイトスクープでも,そんなのがありました.

第八章
オペラ「ニーベルングの指環」四部作
オペラの伝統を打ち破り、観客を翻弄するコスチュームデザインでオランダ国立劇場に成功をもたらした、リヒャルト・ヴァーグナーの大作オペラ四部作。

P.297

ニューヨークにもどってはじめに私がやったことは、ピエールの助言にしたがって、サー・ゲオルグショルティの指揮による全曲を徹底的に聞き込むことだった。次にリブレット(歌詞)を深く理解することだった。
言葉の問題は私が西洋で仕事をするときに必ずついてまわる難題のひとつで、英語でも深いところの意味をしっかり理解するのは容易なことではなく、常に、厚い綿入れの衣服の上から痒いところを掻くようないらだたしさがついてまわる。それがドイツ語となれば、全くお手あげなのである。
まず、日本からリブレットの全訳本をとりよせて目を通してみた。ドイツ文学の学者でヴァーグナーのオペラに精通しているらしい訳者の仕事なのだが、なぜか表現が岩のようにカチカチで、ちっとも感情が伝わってこない。私はすぐにそれを放棄してしまった。
「指環」全四部作で歴史上最も有名になった仕事、それはフランスの舞台演出家バトリス・シェローがバイロイト音楽祭のために一九七六年に制作し、初演から一九八〇年までの五年間、毎年上演され話題を呼んだものだが、そのビデオを入手して、その英語の宇幕スーパーを参考にすることにした。シェローの「指環」は見事な出来栄えだった。芝居の演出にかけてはバリバリの腕を持っているシェローの演出だけに、とにかく面白い。

第九章
映画「ザ・セル
異常連続殺人犯の闇の世界を視覚化するという大胆な試み―不気味でありながらセンシュアルなコスチュームデザインが、映画の全く新しい方向を生む。

P.332

コマーシャルフィルムのディレクターがハリウッドの劇映画に参入した例で顕著なのは、と言うよりもパイオニアになったのは、七〇年代にイギリスで次々とコマーシャルフィルムの傑作を生み出した四人のサムライたち、つまり、リドリー・スコット、アラン・パーカ、エイドリアン・ライン、そしてヒュー・ハドソンだった。

第十章
ミュージックビデオ
ビョークCOCOON
天賦の才能にあふれるミュージック・パフォーマー、ピョークとのコラボレーション。裸体のビョークを主題に画期的なミュージックビデオを監督。

P.378

ビョークのミュージックビデオで最高の傑作は、クリス・カニングハムの演出による「All is Full of Love」だ。クリスはモデルメーカーを長くやっていたので、自分で二体のロボットをデザインした。両方とも顔はビョークになっている。クリスがロボットなら、私に残された主題は裸体しかない、裸体という主題に挑戦するのは私の役割のような気がしたわけで、そんな単純なところから私の発想は出発している。

第十一章
シルク・ド・ソレイユ
「VAREKAI」
クロバット・パフォーマンスと舞台芸術がおりなす究極のサーカス。目には危険きわまりなく見えて、絶対安全を確保できる魔法のコスチュームをデザイン。

第十二章
ソルトレイク冬季オリンピック
“アスリート遺伝子”をテーマに、レーシングウエアをデザイン。より速く、より強く、より高く、そしてより美しい、オリンピックの革命的ウエア誕生。

P.448

私がデザイナーとして最も大切にしているキーワードはEMPATHY(エンパシイ)(感情移入)である。

あとがきより,世界の石岡瑛子を生んだDNA

母、石岡光子を中心とする私のファミリー全員の支えも計り知れない。グラフィックデザイナーであった父、石岡とみ緒が築き上げた家族は私にとってのオアシスであり、それがあるおかげで私はここまで大胆に生きてこられたのかもしれない。仕事におけるFearless(恐れを知らない)な私をつくったのは、家族というオアシスなのだ。事実、様々な理山で挫折しそうになるたびに、私はこのオアシスに逃げ込み、癒しを得て、再び戦場に向かうということを繰り返して生きてきた。
パートナーのニコ・ソールタナキスは、ギリシャ人とアイルランド人の混血で、大袈裟に言えば、ホメロスジェイムズ・ジョイスの国の血が結合している。自らもフィルムメーカーとして激戦地に揉まれているから、私の深い理解者として、そしてブレーンとして、様々な面でサポートを惜しみなく提供してくれている。彼に助けられなければ、ここまで来ることはできなかったであろう。

松岡正剛千夜千冊1159夜(URL)には,氏による,本書の優れた評がある.親交のあったお二人のエピソードなどもあり,必読.再びNYTimes の記事より,

Ms. Ishioka is survived by her husband, Nicholas Soultanakis, whom she married last year; her mother, Mitsuko Saegusa Ishioka; two brothers, Koichiro and Jun Ishioka; and a sister, Ryoko Ishioka.

【関連読書日誌】
【読んだきっかけ】
手元にあるのは,2005年9月の初刷り.書評か.
【一緒に手に取る本】

石岡瑛子風姿花伝―Eiko by Eiko

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同色対談 色っぽい人々

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Coppola and Eiko on Bram Stoker's Dracula

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