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“多くの学問分野は、何らかの矛盾の上に成り立っていますが、そこが盲点となって隠蔽されつつ共有されることで、分野が成立しています” 『原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―』 安冨歩 明石書店

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

前著『複雑さを生きる―やわらかな制御 (フォーラム共通知をひらく)』,『経済学の船出 ―創発の海へ』を読みかけていて,からずっと気になっていた著者である.これらは,さらっと読み流せる本ではないのである.深い内容でじっくり考えながら読んでいく文章である.著者は一応「経済学」専攻と書いてあるのだが,その内容はふだん知る「経済学」の枠にはどう理解しても納まらないものであったし,なぜ「複雑系」なのか,なぜ「モンゴル」なのかも不思議であった.その著者の,タイトルも過激な本書を,今回,一気に読み終えた. 
 副題が,「傍観者の論理・欺瞞の言語」である.さすがに鋭い!内容は,世の中の標準の一歩先をいっていると言えよう.
 執筆の動機は,前書きより.ごく自然な,内発的な動機,気づき.それに,正面からまじめに取り組む.学問に対する姿勢とはこうあるべきだと考えます.

こんな日が、いつかはやってくるのではないか、と私はずっと怯えていました。しかし、まさか自分が生きているうちには起こるまい、とタカをくくっていました。じつに愚かであった、と思わざるを得ません。しかしその日が来てしまいました。日本で原子力発電所の爆発する日が。

私はここ数年、「魂の脱植民地化」という研究を展開しています。本書はこの研究によって得られた成果を用いて、原発危機を生き延びる道を探す試みです。
(中略)
大企業などの組織はだいたいこういう感じです。まさに人間を型にはめるシステムで、ものすごい力で、人々を同じ方向に走らせます。こういうところにどっぷり浸かっていると、やがて神経が麻痺して疑問を持つ余地などなくなり、まともに思考できなくなります。バブル直前の銀行は、それがより一層激しくかつ無秩序に進行しておりました。そうやって「魂の植民地化」が起きていく現場を目の当たりにして、嫌になって私は銀行を辞めてしまったのです。

コンピュータの出現によって、そういった現象を数値計算によって研究できるようになって生まれた学問が、非線形科学です。私はこの分野の研究を10年ほどやりました。その結果わかったのは、暴走状態にある人間の振る舞いは、水の分子と大した違いはない、ということでした。これは私にとって驚くべきことでした。まさか人間の集団がそれほど単純な振る舞いに及んでいるとは、思いもしなかったからです。しかしひとたびそう考えると、いろいろとつじつまが合うのです。

自分自身の魂の作動は、他人からは見えないばかりか、自分でも見えません。マイケル・ポラニーという物理学者・哲学者はそのような作動を「暗黙の次元」における「創発」と呼びました。人間を含む生命には、記述を受け付けない暗黙の次元があって、それが我々を生かしているし、世界を成り立たせているし、進化とか発展をもたらしているというのです。科学も人間の営みである以上、暗黙の次元の上に成り立っているというのに、それをあたかも存在しないかのようにいうことが、科学の破壊性の根源であり、それはまた、科学そのものを破壊してしまう、というのがポラニーの主張でした。
これはウィトゲンシュタインという哲学者の「言語の限界」と同じものだと思います。
ウィトゲンシュタインはその主著、『論理哲学論考』の最後を、
 「語り得ないことについて人は、沈黙せねばならない」
という命題で締めくくりました。その語り得ない、記述し得ない範囲について、無理に記述しようとしたり考えようとしても仕方がないです。それを語ろうとすることは、無意味であるばかりか、それ自体が、冒漬なのです。

この方向に研究を進めた私は、アリス・ミラーとアルノ・グリューンという二人の思想家に注目しました。彼ら二人の共通の問題は、ヒトラーとその追随者・支持者がなぜ生まれたのかということでした。彼らが独立に出した答えは、子どもの頃に彼らが受けた、「教育」や「しつけ」に名を借りた肉体的・精神的虐待だ、というものです。

この二人の名前は初見.「「教育」や「しつけ」に名を借りた肉体的・精神的虐待」という結論はなるほど.

そればかりか、いわゆる「学問分野」を成り立たせているものもまた、同様の「盲点の共有」ではないかと考えています。多くの学問分野は、何らかの矛盾の上に成り立っていますが、そこが盲点となって隠蔽されつつ共有されることで、分野が成立しています。それゆえ「専門家」は「専門用語」を必要とするのです。そうすることで「専門外」の人々を排除して、「盲点」が露呈しないようにするためです。かくして「専門家」は、全く頼りにならない、利権を漁る集団と化します。

そこで問うべきは、なぜ入間がロボットになっているのか、どんなタイプのロボットになっているのか、どうしたらロボットになることを止められるのか、ということです。このように問いを立てることで、私は、学問的に「魂の植民地化/脱植民地化」という問題を厳密に論じることができる、と考えています。
この学問の特徴は、自分を例外扱いすることができないことです。なぜなら私自身が、すでにこのロボット化社会の一員として作動しているのであって、同じ盲点を共有しているからです。この研究の問は、常に自分に向かってきます。その問いの力によって自らの盲点をえぐ抉り出し、意識化することで前進することが、この研究の最も重要な点です。
ですから、「魂の脱植民地化」は、常に自分自身を含む学問となります。そればかりか、それは自らの盲点を挟り出すための学問でさえあります。(深尾2009年、2010年)

 敢えて,目次をそのまま列挙しておきます.

はじめに
東大話法一覧
第1章 事実からの逃走
燃焼と核反応と/魔法のヤカン/名を正す/学者による欺隔の蔓延―経済学の場合/名を正した学者の系譜/武谷三男の「がまん量」/高木仁三郎・市民科学者/小出裕章と「熊取六人組」/玄海原発プルサーマル計画をめぐる論弁との闘い
第2章 香山リカ氏の「小出現象」論
香山氏の記事の出現/原発をネットで論じている人々の像/ニートや引きこもりの「神」/仮面ライダー小出裕章/小出裕章=「ネオむぎ茶」説/「原発問題=新世紀エヴァンゲリオン」説/インターネヅトの意味/関所資本主義の終焉/お詫びのブリ/真理の探求へ/真理の探求からの逃避/香山氏はなぜこの文章を書いてしまったのか
第3章 「東大文化」と「東大話法」
不誠実・バランス感覚・高速事務処理能力/東大関係者の「東大話法」/東大工学部の『震災後の工学は何をめざすのか』/東大原子力の「我が国は」思想/工学研究の「計画立案」/東大原子力の中期計画/東大原子力の野望/東大原子力の長期計画/東大原子力文書の東大話法規則による解釈/傍観者/池田信夫氏の原発についての見解/池田信夫氏の「東大話法」その1/池田信夫氏の「東大話法」その2/池田信夫氏の「東大話法」その3/池田信夫氏の「東大話法」その4/池田信夫氏の「東大話法」その5/池田信夫氏の「東大話法」その6/鈴木篤之氏の「東大話法」/「東大話法」の一般性
第4章 「役」と「立場」の日本社会
「東大話法」を見抜くことの意味/「立場」の歴史/夏目漱石の門立場」/沖縄戦死者の「立場」/日本版プラトニズムとしての「立場」/職→役→立場/原子力御用学者の「役」と「立場」/天下りのための原子力/福島の人々が逃げない理由
第5章 不条理から解き放たれるために
原発に反対する人がオカルトに惹かれる理由/槌田敦エントロピー論/化石燃料原子力/地球温暖化/出してはならないもの/人間活動の生態系/人間の破壊/熱力学第一一法則と人類の未来/原子力のオカルト性/「日本ブランド」の回復へ
あとがき

第1章 事実からの逃走
P.50 武谷三男の「がまん量」

つまり、「許容量とは、安全を保証する自然科学的な概念ではなく、有意義さと有害さを比較して決まる社会科学的な概念であって、むしろ『がまん量』とでも呼ぶべきものである」ということです。この武谷さんの思想は、日本人の学者があちこちの会議で主張したことから世界的に知られるようになりICRP(国際放射線防護委員会)なども基本的にその考えを採っています。公害問題などの概念化において、武谷さんの「がまん量」という考え方は、このうえなく重要な役割を果たしています。(武谷前掲書、71頁)

 武谷前掲書とは,『原子力発電 (岩波新書 青版 955)』(武谷三男編,岩波新書,1976年)を指す.大震災から1年が経とうとしているが,高木仁三郎をもちろんのことであるが,物理学者の武谷三男坂田昌一書物が引かれるようになったことは,良いことだと思う.世代を超えて語り継がれるべき業績(論考)であるはず.
P.57 

この本の最後には、「友へ高木仁三郎からの最後のメッセージ」という文章が収録されています。高木さんの「偲ぶ会」で公表されたものです。そのなかの以下の部分を見れば、どれほど正しく事態を認識し、将来を予見していたか、明らかでしょう。
『残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でも、それはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの1年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。(高木2000年、182〜183頁)』

「この本」とは,高木が病床で執筆した『原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)』(岩波新書,2000年)を指す.
 第2章 香山リカ氏の「小出現象」論 
では,香山リカの発言に対する厳しい指摘。香山は,2011年7月1日に,「小出裕章氏が反原発のヒーローとなったもう一つの理由」を著し,その内容が大きな批判を呼び,7月5日に「お詫びと補足」を掲載.本書ではその両方に対する厳しい批評.香山の,

私たち精神科医は、逃避する彼らと現実との接点を作ることに腐心してきました。
しかしいま、それはインターネット社会の発達によって困難になっています。

という発言に対し,次のように言う.

すでに述べたように、これは精神科医の八つ当たりに過ぎません。もしそう思うなら、自分たちの「腐心」と称するものが、何か間違っていたのではないかと、真剣に反省すべきです。それをしないでネットのせいにしてはいけません。このような認識は、彼女が精神科医業界という閉じたタコツボの中に逃避していることを明らかにしています。
(中略)
しかしインターネットの発達によって、そういう世界は足元が崩れつつあるのです。なぜなら、拙著『経済学の船出』で論じたように、20世紀に隆盛を極めた「関所資本主義」が、機能しなくなりつつあるからです。関所資本主義とは、コミュニケーションのボトルネックを創り出して、そこを支配することで巨額の利益を得るシステムのことです。

P.109

彼女がこの文章を書いてしまったのは、この「お詫びと補足」の中で、自らの隠された真実を露呈するためだったのでしょう。人間の無意識というものは、本当に強力であって、本人の意識などお構いなしに的確に作動するという精神医学の主張の正しさが、改めて示されたことになります。

香山が無意識のうちに露呈してしまったという真実とは何か.
 3章 「東大文化」と「東大話法」
 ある知人による東大教授の行動パターンとは,

徹底的に不誠実で自己中心的でありながら、
抜群のバランス感覚で人々の好印象を維持し、
高速事務処理能力で不誠実さを隠蔽する、

P.115   当然のことながら,すべての東大教授がこうというわかではないし,東大の限らずこうした人はどこにでもいるのであるし,著者も東大教授であるが,

これも東大流の不誠実とバランス感覚の賜物なのですが、彼らは、自分が悪辣な人問であることを隠すために、自分と同じ特性を持った人を、激しく非難する、という挙に出ます。この手口に私も何度も騙されました。「あいつはいい加減だ」とかいって、身近な人を非難するので、「この人はさぞかし、いい加減じゃないのだろう」と思っていると、その本人がものすごくいい加減だ、というようなパターンです。

東京大学大学院工学研究科は、東日本大震災福島第一原発事故を受けて、「震災後の工学は何をめざすのか」という文書を出す(5月9日発表、11日一部改訂)。

2011年3月11日の震災は歴史に残る災害となりました。この未曾有の災害と国家的危
機に直面して、科学技術を国礎とするこの国において、工学の使命と果たすべき役割につい
て、我々工学部・工学系研究科はあらためて考え行動したいと思います。

これに対し,「これは、じつに厚顔無恥な文書だと私は思います。」という.そもそも,「科学技術を国礎とする」という異常な言葉遣いが気になるという.
 工学部の原子力国際専攻が出した文章に対しては,

これは上の「国礎」思想と関連しています。自分たちが国の基礎である「科学技術」なるものを手中にしているのであり、それゆえ自分たちが「国」を代表しているのだ、という意識です。それゆえ、自分が言っていることは、「国」が言っているのであり、それゆえ「我が国」が言うのです。
それに続けて「全世界は日本が……貢献するのを注視しています」と、これもまた厚かましくも、「全世界」を主語にして語っています。

P.138 原子力推進に関わってきた学者の当事者意識の欠如を指摘して,

こういった重い責任を負っている人々がこの有様ですから、普通の原子力御用学者に当事者意識を期待しても無理というものでしょう。原子力に40年にわたって反対し続けてきた小出裕章さんが、講演のたびに、「力及ばず原発を止められず、このような事態になったことを、原子力に関係するポストに着いている者として、謝罪したい」とおっしゃっていることと比べれば、彼らの傍観者ぶりは驚異的です。

P.144 矛先は,経済学者池田信夫氏の発言に向かう.池田氏とは,

池田信夫氏という経済学者をご存じでしょうか。プロガーとして有名で、池田氏のプログは、大変なアクセス数で、しかも官僚・大企業・マスコミなどのエリートや、その予備軍であるエリート大学の学生といった人々がよく読んでいると聞いています。

P.151 原発に関する見解は,池田氏と同意見の部分と,意見を異にする部分とがあるが,氏の発言には,著者のいうところの「東大話法」の典型例が散見されるという.

「誤解を恐れずに言えば」という枕詞も東大話法によく出てきます。一般的に東大関係者がこの
枕詞を使うときには、何か変なことを言っているので要注意です。

P.167

核燃料サイクルの不備は、大半の反原発論者の指摘するところで、なぜ河野太郎氏だけが持ち上げられるのか不思議です。これは河野太郎氏の機嫌を損ねないようにする、一種の「バランス感覚」のなせる技のように感じます。
そのうえで、次のような発言をします。
『再処理をあきらめて貯蔵するだけなら、途上国に開発援助と交換で引き取ってもらうことも可能である。』

 この池田氏の発言に,著者は強く反応する.そういう行為は卑怯だ,と言うのである.私も全く同感.
第4章 「役」と「立場」の日本社会
P.233 『人間と放射線』(明石書店,新装版、2011年)の著者,ジョン・W・ゴフマン博士について,

ゴフマンさんはもともと、マンハッタン計画の一部を担っていたカリフォルニア大学バークレー校でプルトニウムの分離の研究をしており、後に医学に転じて心臓医学の正教授となりました。1960年代にアメリカの原子力委員会からの依頼でリバモア研究所の副所長に就任し、生物医学研究部門を設立しました。膨大な人員と巨額の予算を同委員会から与えられて、放射線が人間や生物に与える影響の研究を行いました。1969年にゴフマンさんは、低線量放射線の影響が少なくとも20倍は過小評価されている、という原子力委員会の期待に真っ向から背く結論を出しました。ゴフマンさんは予算を絶たれ、リバモァ研究所を辞任し、1973年にはカリフォルニア大学の教授職も退き、2007年に亡くなるまで、市民科学者として活動しました。
私は学者の言うことを信頼するかどうかを判定するには、その人の主張することを吟味するだけでは不十分だと思っています。その人が立派な人なのかどうか、それが大切であって、立派な人であれば言うことを信じるし、下らない人であれば、たとえ書いたり言ったりしていることが一見立派に見えても、あるいは偉そうな肩書きや顔つきをしていても、それだけでは信じてはいけない、と考えています。

第5章 不条理から解き放たれるために

科学技術の発展と化石燃料の利用とによって状況は大きく変わりました。人間活動の作り出す
さまざまの物質と廃熱の流れが、地球の循環を大規模に混乱させ始めたのです。
しかしそれでも、化石燃料は所詮、昔の生き物が集めて作った物質の塊ですから、そこから出
るゴミは、まだ生態系によって利用可能なものもあります。たとえば、化石燃料を燃やして出て
くる二酸化炭素は、光合成にとって不可欠のものであり、それが増えても、光合成が増えれば、
何の問題もありません。

本書の冒頭に掲げられた,氏の言う東大話法とは,
東大話法一覧

 規則1  自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
 規則2  自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
 規則3  都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
 規則4  都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
 規則5  どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
 規則6  自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
 規則7  その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
 規則8  自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
 規則9  「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
 規則10 スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
 規則11 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
 規則12 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
 規則13 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
 規則14 羊頭狗肉
 規則15 わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
 規則16 わけのわからない理屈を使って、相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
 規則17 ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
 規則18 ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
 規則19 全体のバランスを常に考えて発言せよ。
 規則20 「もし○○であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。

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