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“本書が多くの人に受け入れられたのはそういうことだ” 『激しい愛憎と情念の世界』 (『あんぽん 孫正義伝』佐野眞一著 に対する書評) 佐々木俊尚 朝日新聞 2012年2月13日朝刊

あんぽん 孫正義伝

あんぽん 孫正義伝

ここでとりあげるのは,『あんぽん 孫正義伝』(佐野眞一著)に対する朝日新聞の書評.〈売れてる本>というコーナーで,評者は,ジャーナリストの佐々木俊尚氏.新聞書評にしては,珍しく,辛口の批評がされているので,強く目に留まった.評者曰く,「強烈に面白いノンフィクション」だが,「強烈な違和感がつきまとう」と言う.だが,氏の書評の方にむしろ違和感を覚えたのだが...
以下,書評より書き抜き.

本書はスタート地点で著者の孫氏への「いかがわしい」「うさんくさい」という感覚が基点とされ、そのうさんくささは例えば、「孫の目指す情報革命」は名もなきひたむきな人々の権威を奪って「人間関係をぎすぎすさせる」「人間は数式通り生きていない」といった、ステレオタイプな反テクノロジー感覚に満ちあふれている。

在日韓国人としての極貧の子供時代,差別の経験を,人間形成と結びつける見方,ある種のステレオタイプとして,確かに一般的にはあるかもしれない.だが,佐野の著書は,孫正義にもそのような体験があったことを赤裸々に掘り起こしたのであって,そして,その体験が人間形成や,現在の本人の価値感の形成に影響を強く与えたであろうことは,むしろ自然であろう.確かに,電子書籍に関しては,孫と佐野では意見を異にしているが,(孫正義伝であるのに,佐野自身の意見が強く出すぎているきらいはあるかもしれない),「ステレオタイプな反テクノロジー感覚に満ちあふれている」とは思わなかった.そして,

 このような感覚は、シニア層を中心にして今の日本社会のかなりの層の人たちの間で共有されているのだろう。彼らから見れば、新たな時代を作ろうとする孫氏やいま服役中のホリエモンといった人たちは、理解不能な宇宙人にしか見えない。

というように,「シニア層」を位置付けることこそ,ステレオタイプであるように感じる.

 著者は孫氏のパワーの源泉を、在日の一家の激しい愛憎、アジア的な情念の世界に発見している。日本人が高度成長に駆け上がっていたときに、敗戦直後さながらの極貧の家庭で、豚の糞尿(ふんにょう)と密造酒の強烈な臭いとともに育った。その埋められないタイムラグが、孫氏に対して日本人が感じるいかがわしさやうさんくささの集合的無意識だと論じるのである。

「その埋められないタイムラグが、孫氏に対して日本人が感じるいかがわしさやうさんくささの集合的無意識だと論じるのである」というが,佐野の本は,そのように論じていたかなあ.原本が手元にないので確認できないが,一部の人が感じるかもしれない「うさんくささ」,「アジア的情念の世界」,「反テクノロジー感覚」を結びつけて佐々木氏は評しているが,佐野氏がそのように論じているとは思えない.これらはそもそも別々に論じうるもの,論じるべきものであろう.

 時代の変化に途方に暮れる人たちは本書のこの分析を読み、「ああなるほど、そういう血筋と生育環境の問題なのか」とようやく納得できるのだろう。本書が多くの人に受け入れられたのはそういうことだ。

そのような納得をしてしまう人が確かにいるかもしれない.だが,それは,かなり興味本位の表層的な読み方だ.佐野の論が,そうした納得に読者を導こうとしているものだとは,私には感じられなかった.むしろ,うさんくささを感じさせている何かがあるのだとすれば,それを払拭するような,人間「孫正義」の核心をあぶりだしているように感じられるのである.
 但し,孫正義氏こことも,佐野眞一氏のことも直接面識がないものとしては,すべてがソフトバンクの積極的広報宣伝戦略の一環である,という可能性は「ゼロ」ではない,ということも頭に入れておく必要があるだろう.世の中にはその手の本は数多あるのだから.だけれど,「仮に」そうであったとしても,今回は気持ちよく騙されてみてもいいのではないかと,思うのである.
【関連読書日誌】

  • (URL)『お母さん、ぼくには何の財産も残さなくていいよ。ぼくは何もいらない。その代わり、勉強の面倒だけは見てください』” 『あんぽん 孫正義伝』 佐野眞一 小学館

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

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