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“私たちはまず、判断の材料となる「事実」を知ることから始めなくてはならない” 『絞首刑は残虐か(下)』 堀川惠子 世界 2012年 02月号 岩波書店

世界 2012年 02月号 [雑誌]

世界 2012年 02月号 [雑誌]

1999年に発生した,いわゆる「光市母子殺害事件」は,2012年2月20日上告棄却により,犯人の死刑が確定した.本件は,被害者遺族である,本村洋氏の発言,活動が,マスメディアによって大きく報道されたという点で,異例であった.特に,本村氏の,犯人の死刑を望むという声ばかりが,繰り返しマスメディアによって報道され,ちょっと異様な状況にも思えた.
 第一に,被害者遺族の人権,権利保護の問題,第二に,犯行時少年であった犯人への死刑が妥当かという問題,第三に死刑制度そのものの是非に関する問題,が絡み合っているはずなのに,そのへんが整理されずに,表面的なところだけが,やや扇動的に報道されているような感がぬぐえないのだが.被害者遺族の人権,権利については,本村氏の活動によって一定の改善がなされた.

 さて,堀川惠子による,死刑制度に関する一連の著書を踏まえた上で,2回にわたる連載を読んだ.大阪パチンコ店放火殺人事件の法廷.59年ぶりに,「絞首刑の違憲性」が法廷で争われた,のである.
怒りと哀しみに包まれた法廷
ラブル証言―絞首による頭部離断と苦痛
土本証言―「正視に耐えない惨たらしさ」
刑事弁護人,後藤貞人が選んだ道

 後藤は、死刑廃止か存置かと問われれば、迷いなく廃止と答える。死刑の執行方法に残虐でないものなどない、とも確信している。だが、残虐性を法廷で争うことは、“残虐でない死刑”を容認することにも繋がりかねない。そういう意味で、土本の証言は危うい側面を孕んでいたともいえる。事実、後藤の元には、死刑廃止論者から「絞首刑の残虐性など些末な議論」との批判が寄せられていた。死刑廃止ではなく、絞首刑の残虐性を問うのはなぜか。

判決―「苦痛は当然甘受すべき」
裁判員はどう関わった?

 裁判員・被害者参加・死刑審理の三条件が重なった時,今回のような判決は予想された流れとみるのは、北海道大学の白取祐司教授である。「死刑を廃止した殆どの国で、民意は最後まで死刑容認でした。この問題は世論調査や多数決で決める性質のものではないように思います。昭和23年の大法廷判決は、残虐性は時代と環境によって変わると述べていますし、この時代に相応しい判断があっていいはずです。今回の法廷は、より高度で理性的な政治的決断のための判断材料の一つが出たと捉えるべきでしょう」

残された被害者と遺族
死刑のある国に生きる

 刑事弁護人,後藤貞人は五九年間、閉ざされてきた日本の法廷にひとつの風穴を開けた。しかし、彼が信じた法と証拠、そして裁判員の心は、司法の厚い壁を動かすには至らなかった。法曹界では「後藤で駄目ならあきらめろ」と言われる。だが、死刑制度を持つこの国で、市民は次々と死刑判決を下し始めた。そして法廷で明らかにされたような、絞首刑という残虐な職務の執行を他者に課している。死刑に正面から向き合うことは、辛く、苦しい。しかし無関心や無責任は、もう許されない。私たちはまず、判断の材料となる「事実」を知ることから始めなくてはならない。

【関連読書日誌】

  • (URL)それは、ある意味で“画期的な”法廷だった。二〇一一年の秋,大阪地方裁判所裁判員裁判で行われた、「絞首刑」についての審理。” 『絞首刑は残虐か(上)』 堀川惠子 世界 2012年 01月号 岩波書店
  • (URL)罪を犯すような事態に、自分だけは陥らないと考える人は多いかもしれません。しかし、入生の明暗を分けるその境界線は非常に脆いものです。” 『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』 堀川惠子 講談社

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

裁かれた命 死刑囚から届いた手紙

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死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの

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なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫 か 41-2)

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