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“「坂の上の雲」をのみ見つめて坂をのぼった人々が坂の上でみたものは何か。そこにはもはや輝く白い雲はなく、ただ人々は雨の中、坂をくだっていくことになる” 『坂の上の雲はどうなったのか』 和田春樹 図書 2012年 04月号 岩波書店

図書 2012年 04月号 [雑誌]

図書 2012年 04月号 [雑誌]

司馬遼太郎は,優れた作家であり,多くの読者を持っているが,その内容については,心酔する人がいる一方で,その歴史観に対して批判的な眼差しを向ける人もいる.後者の場合,特に藤沢周平の小説と比較されることが多いように思う.ここではそれはおいておいて,歴史家,和田春樹氏による小文は,NHKで3年がかりで放映された「坂の上の雲」は,司馬の主張をまげてはいないか,という疑義を提示している.

坂の上の雲』は,日露戦争の最後の戦い,日本海海戦で終わる.

 完全なる勝利、敵バルチック艦隊全艦撃沈をめざしてきた秋山真之はその目的を達したとき、その結果がうみだした惨劇、虐殺により誰よりも慄然とした。司馬はそのことが決定的な事実だと考えた。
 司馬はそのことをまず単行本五巻のあとがき(一九七二年五月)で触れた。そこでは徳冨蘆花について書き、その「読みつづけることが苦痛なほどの暗さ」について述べて、子規のあかるさと蘆花の憂鬱とを対比させた上で、こう述べている。

(略)かれの立案した戦術によって最初の三十分の猛射のあいだに大局を制したとき、敵味方の惨況をみて深刻な衝撃をうけ、この後かれの精神は海軍内部のひとびとのいたわりの中で守られた。

秋山真之は海軍をやめて出家しようとし、とめられると、自分の長男を僧にした。

戦争が生身の人間にもたらす悲惨さ,中世戦国時代の人々には当然のものであった悲惨さを,秋山は目の当たりにした.

 「坂の上の雲」をみつめて坂をのぼってきた楽天的な明治維新の子たちが坂の上でみたものがこの凄惨な世界だったのだ――これが司馬遼太郎の直接的結論なのであった。だから、全編の最終章は「雨の坂」と題されることになった。

小説の最後の情景に触れた後,次のように述べる.

 司馬はここでは日露戦争についての結論を書いていない。しかし、それはすでに単行本第二巻のあとがき(一九六九年一〇月)に書かれていた。

 要するにロシアはみずから敗けたところが多くて日本はすぐれた計画性と敵軍のそのような事情のためにきわどく勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。
 戦後の日本は、この怜悧な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを進行するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。(文庫第八巻)

きびしい重要な結論である。

そして,NHKドラマ「坂の上の雲」のナレーションに触れ,

語り手は「ロシアはみずからに敗けたところが多くて」までを読み、「戦後の日本は」から「民族的に痴呆化した」までを読まなかった。司馬にとってもっとも重大なメッセージを消し去ったのである。これは原作者に対する背信ではないだろうか。

という厳しい指摘をする.
そして,ドラマの最後「雨の坂」にも触れる.

坂の上の雲」をのみ見つめて坂をのぼった人々が坂の上でみたものは何か。そこにはもはや輝く白い雲はなく、ただ人々は雨の中、坂をくだっていくことになる。それを見届けた原作者司馬遼太郎の気持ちを無視して、何事もなかったように、出発地点の気分にもどるのであれば、ドラマ全編はいかなる意味があるのだろうか。

そして,徳冨蘆花トルストイに会って説得され,日露戦争肯定から戦争否定論に変わったエピソード,敗戦の時の首相で,海軍において秋山の一年先輩にあたる,鈴木貫太郎の自伝の引用

大陸さえ手に入れれば世界を相手にして戦争できるような誇大妄想的な考え方に転落して行った。そういう空気は明治末期から、大正、昭和を通じて、満州事変勃発頃には頂点に達し、この気持ちはさらに拡大して隣邦を侮視し、東洋の盟主ということを自ら唱えるようになった。誠に救われない道義的転落である。

した上で,

司馬の結論は鈴木の言葉に和するものであったと見ることができる。

と終える.歴史家ならではの文章で,感銘を受けるとともに,あらたな発見をした次第.
ドラマの「坂の上の雲」は残念ながら,第二部までしか観ていない.香川照之演ずる子規が印象的だった.
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