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“近藤さんの本は海外情報や面白おかしい話の羅列ではない。人間と国という大きなテーマを考えながら書いたものだから、彼が亡くなってからずっと支持されている” 『美しい昔 − 近藤紘一が愛したアジア」』 最終回「ゆんの父親」 野地秩嘉  SKYWARD 2012年 8月号 日本航空インタナショナル

JALの機内広報誌(市販品).上記の写真は古いが,2012年8月号で発見.
SKYWARDの連載「美しい昔 − 近藤紘一が愛したアジア」の最終回!知らないところでこんな連載が進んでいたとは.しかも筆者は野地秩嘉(のじつねよし)ではないですか.札幌から博多への機内でこの文章を読んだのだが,博多に着いたら野地の本で知った,信秀でやきとりを食べてみようと思っていた矢先である.
近藤紘一は,産経新聞記者で,1979年「サイゴンから来た妻と娘」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞.1980年ボーン・上田記念国際記者賞受賞.1986年46歳で病に斃れた.
近藤の一連エッセーを読んだものには,残されたベトナム人の妻と,フランスへ行った娘さんの行く末が気になったままであるはずである.近藤は,ベトナムで,11歳の娘一人がいる子持ちのベトナム人女性と知り合い結婚する.妻となった女性の底抜けの明るさと力強さが印象に残るのだが,その娘の名が「ゆん」である.連載最終回である本稿のタイトルは,「ゆんの父親」である.この最終回では,近藤紘一の最後と,それを見守る妻と娘,そして野地がフランスへ「近藤ゆん」に会いに行ったことが語られる.ゆんは,もう50歳.結婚して息子がいるが,息子の名は,ジュリアン・コウイチ.お父さんの名前を息子につけたのだ.
父親の死に際して,死ねるものなら一緒に死にたかった,というゆんは次のように語る,

「人間にとって、私の国とはそこに住んで暮らしていて心地よい国のことではないでしょうか。
(略)
 私はお父さんの本を読んだことはありません。日本語もわかりますから、読もうと思えば読めます。でもお父さんを思い出してしまうから、一生、読むことはないでしょう。」

近藤さんの本は海外情報や面白おかしい話の羅列ではない。人間と国という大きなテーマを考えながら書いたものだから、彼が亡くなってからずっと支持されている。

【関連読書日誌】

  • (URL)あの「戦勝祭」の朝、雨上がりの広場で「独立と自由」のスローガンを見ながら、私はやはりハノイには総てが許されたのではないか、と思った” 『サイゴンから来た妻と娘  (文春文庫)』 近藤紘一 文藝春秋
  • (URL)彼ら自身は平凡な市井の人ではあるが,やっている仕事は非凡なのである” 『日本一の秘書―サービスの達人たち  (新潮新書 411) 』 野地秩嘉 新潮社
  • (URL)『サービスの天才たち』 野地秩嘉 (新潮新書

【読んだきっかけ】
札幌・博多のJAL機の中で.娘がベトナムに行くというので,近藤紘一の本を薦めたばかりだった.
【一緒に手に取る本】

アオザイ女房―ベトナム式女の生き方

アオザイ女房―ベトナム式女の生き方

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)