“その社会に生きている者が、あまりにどっぷり埋没していて俯瞰することができない、そういうときに、その社会の外から現地社会を相対化した像を見て、漠然と感じていた諸問題が、くっきりと見えてくる” 『「宗派は放っておけ」と元大臣は言った』 酒井啓子 みすず 2012年9月号
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酒井啓子氏のこのエセーは,そうした研究の醍醐味をイントロにしつつ,中国政治社会,イラクの政治文化社会が,いかに誤解されているかを解く.私たちは,イラク社会について,いったい何を知っているか.中国社会について何を知っているか.いかにマスメデイアによって植え付けられたKWのみに引っ張られているか.あるいは,少し本を読んで勉強したつもりになっていても,いかに限られた情報,知識だけから全体を知ったような気になっているか.
原子力についても同様である.
私にとって,イラク戦戦争については,インディペンデント紙の記者パトリック.コバーン氏による,『イラク占領』によって多くを学んだ.でも,そのうち忘れてしまうのですね.継続的に意識しておかないと.これが人間の怖いところです.大事なことは,いつまでも言い続けないといけない.たとえ,同じ内容の繰り返しであっても.
さて,酒井啓子氏の文章より,
皆が気がつかなかったことを発見すること。当たり前と思っていたことがまったく別のことを意味することに気がつくこと。これぞ、研究の醍醐味だ。過去の研究を上手にまとめただけの、研究というよりお勉強の上手な若手研究者の報告が多いなかで、加茂氏のような「発見」は貴重である。
この加茂具樹氏とは慶応大学の研究者.氏の日本比較政治学会における発表をきいて興奮したという.
中国共産党の一党支配のもと、中国の国会にあたる人民代表大会などただのお飾りにす、ぎない、と考える先行研究が多い中で、加茂氏の議論は、いや、そうではない、国民の利益代表として、人民代表大会は
もっと重要な役割を果たしているとみるべきだ、と考えるところから始まる。
彼の研究のすごいところは、その圧倒的な実証分析にある。
(中略)
その作業を通じて、氏は、同人民代表が共産党の代理人として働くだけではなく、むしろ選挙で選ばれた選挙区の代表者として行動していることを証明する。これは、一党独裁、権威主義体制のもとでの議会がただの統治手段の末端として利用されているだけ、とする一般論に対して、強烈な反証を示すものだ。
それだけではない。筆者が心の中で拍手喝采したのは、氏が、人民代表大会以上に中国人民政治協商会議が重要だと「発見」した、と述べたときだ。中国政治研究の素人にとっては、人民代表大会に比べて、政治協商会議は馴染みが薄い。
ここから話題は,氏の専門であるイラクへと移る.
その数少ないイラク研究の多くは、イギリス植民地時代以来続いてきたオリエンタリスト的な「後進国」に対する物珍しきか、イギリス統治政策の延長で宗派社会や少数民族、部族社会をいかに扱うかといった、中東社会に対するありがちな「中東H宗派、部族日モザイク社会」的視点が主流を占めていた。あるいは、一九四〇年代以降台頭してきたパアス党や共産党など、左派系のナショナリスト思想が欧米の関心を集め、それら左派政党のイデオロギーやそれが出現した背景などを分析する研究が盛んだった。
そのような通説を打ち破って、当時のイラク政治研究の金字塔を打ち立てたの、が、ハンナ・バタlトゥという学者の、『イラクにおける旧社会階級と革命運動』という大著である。
アメリカに限らず、イラク統治の古い歴史を持つイギリスですら、メディアが堂々と「イラクは英国支配
前はシlア派のパスラ州、スンナ派のバグダード州、クルドのモlスル州の三つに分かれていた」などと報じる始末であった。この認識、三つの州に分かれていたという点では正しい。だが、それがそれぞれ、宗派やエスニシティを代表していた、という理解は、大間違いである。在英の中東史家は、この間違った認
識を、繰り返し手厳しく批判し、訂正するのに一苦労していた。にもかかわらず、「イラクは宗派と民族に分かれて、統一的な国家を運営するのは難しい」という欧米のイラク観は、その後弱まるどころか、ますます当たり前視されていった。
話題は,さらに,
『イラクに限らず中東諸国の多くは、七〇年代までは世俗的なるものを良しとする、近代化路線をとって
きた。そこでは、宗派や部族、民族など、本人の努力によらない天賦の要因ではなく、職業や階級、思想で社会の構成が決められるのだ、と考えられてきた。』という中で育ってきた中東知識人の価値観,さらには,外国人が地域社会を研究することの意味に及ぶ.学問とは何かという根源的な問いに及ぶのである.
その社会に生きている者が、あまりにどっぷり埋没していて俯瞰することができない、そういうときに、その社会の外から現地社会を相対化した像を見て、漠然と感じていた諸問題が、くっきりと見えてくる。そういう作用を、地域研究ができればいいのではないかと思う。現地社会に生きる人々が、いわく言い難いこととして抱えているさまざまな事象を、言葉と論理で像を結び、それが現地社会の人々に、しっくりくる説明として受け入れられること。「知の搾取だ」と非難されることなく、他国の社会を研究するということは、そういうことではないか。
そんな「発見」が、一生のうちに一回でもできれば、研究は楽しい。
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