“戦争が煽り立てる「明快さ」が、ある種大きな解放感をもたらすものであること、どのような社会にも、戦争に加担することによって暖昧さや迷いを解消してしまえるという誘惑があること” 『娘の眼から―マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンの私的メモワール』 メアリー・キャサリンベイトソン, 佐藤良明, 保坂嘉恵美訳 国文社

娘の眼から―マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンの私的メモワール

娘の眼から―マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンの私的メモワール

とてつもなくすごい本.マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンのことをその娘メアリー・キャサリンベイトソンが書く.しかもメアリーも学者故に,冷静,客観的,論理的記述.その記述の中に,マーガレットとグレゴリーの秘密が明かされていく.アメリカを,世界を代表する(した)知性の姿.
P.52

ともかく当時の父と母が生きていた世界には、一丸となって最優先に目ざさねばならない至上命令が掲げられており、二人は戦時体制に具体的な貢献を果たすべく、実際あれこれ試行錯誤を重ねていた。後年になってグレゴリーは、目的意識というものに懐疑的になっていった。戦争が煽り立てる「明快さ」が、ある種大きな解放感をもたらすものであること、どのような社会にも、戦争に加担することによって暖昧さや迷いを解消してしまえるという誘惑があること−−父は自分の疑いを、よくそんなふうに説明していた。

P.62

マーガレットのアイディアが、実際数えきれぬほど多くの子供たちの育児に影響を与えたとすれば、それは単に母の著書だけによるものではなく、母の担当医であったベンジャミン・スポツク博士の育児書によるところが大きい。

P.66

母は、実験的な教育への意欲が高まった時代に成長した人間であり、西欧の“近代的”育児法がもたらす弊害を痛切に自覚し始めた時代に仕事をした人間である。また、神経症という病いの重荷がのしかかったのも母の世代であった。自分の娘のかかりつけの小児科医としてスポック博土を選んだのも、じつのところ、彼が過去に精神分析を受けたことがあったからにほかならない。

P.100

父の知的な問題意識は、メタ・メッセージというものにあった。つまり、複数の行動がまったく同じものに見えたとしても、そうした伝達行動を分節していくと、一部は、「遊び」であったり、「求愛」であったり、「脅し」として確認できるようなサインとなるということである。私たちは、親密な愛情表現と認めうるようなメタ・メッセージがこめられた行動を採取しようと、海岸沿いを行ったり来たりさまよい歩いた。

P.110 エリックとは,一時期ATRで研究をしていたエリック

グレゴリlが長年はめていたオニキスの形見の指輪に付いていたのと向じ、コウモリの翼とイニシャルを彫り込んだ印が二つあったが、のちにこれらは、私から異母弟ジョンとグレゴリーの義理の息子エリックに譲られた。メダルのうちのいくつかは、いろいろな科学学会から祖母に送られたものであった。総じてこれらのコレクションから感じられるのは、重々しい生真面目さだった。

P.128 意外な事実

長年にわたって博物館は、マーガレットの基地としてかけ替えのない仕事場であったけれど、学者の世界で実力にふさわしいポストが与えられない多くの女性たちの例にもれず、母もまた、不安定な準管理員(母が管理員のポストを得たのは、一九六四年のことである)の地位に甘んじていて、その役割も暖昧だった。それでも母はさまざまな問題をうまく切りぬけながら、首尾よくオフィス塔における自分自身のワーク・スペースを広げていった。競争することに関心のない同じオフィスの男性たちのなかにあって、母は自分の研究資金を調達もし、出勤退館時間を限定されない自由を拡充していった。

P.165

ベイトソン家にもミード家にも女権運動の闘士がいたという話も聞かされた。私の曽祖父がケンブリッジ大学副総長〔総長を置かず、これが最高職である〕という男性社会の砦というべき職にあったとき、意を決して夫の腕を取って歩くことを続けた曽祖母のことだとか。しかしそういう話をしながら、伝統的な女の役割を軽視するようすを見せたことはない。むしろ、街を歩きながら乳母車と出会うときなど、足を止めてなかの赤ちゃんをのぞき込む喜びを私に教えようとするのだった。

P.174

(「サイバネティックス」の語源となったギリシャ語は、英語のガヴァンメント〔統治=政府〕と同根である。)

P.184 なんかいい話

アメリカを旅するときも、世界を渡り歩くときも、マーガレットはそれらの写真をひとに見せては、自分がただの「学会の顔」でも「生けるシンボル」でもなく、家庭をもっ一人の人間だということを強調していたのである。そのカードは、空を背景に何羽かの鳥が舞い上がるという絵柄で、「みずからの翼のみにて舞い上がる鳥は、高くを翔ばず」というウィリアム・ブレイクの引用があった。そこに私はひとこと、「この真実を誰よりもよく知っているお母さんへ」と書き加えておいたのだった。

P.192 マーガレットとグレゴリーの離婚後,グレゴリーはベティと再婚.

ベティがグレゴリーと別れたのは五八年、その後グレゴリーは息子のジョンが滞在しているとき以外は一人でコルビー・アベニューの家での暮らしを続けたが、六一年にロイス・キャマックと再々婚。ロイスは病院の精神科で手伝いをしていたソーャル・ワーカーで、エリックというジョンとほぼ同年齢の連れ子があった。六三年になると一家は、ヴァージン諸島のセント・トーマスに移り、そこでグレゴリーはジョン・リリーとイルカのコミュニケーションの研究にいそしむ。六四年から七一年まではハワイ、その間六九年に娘ノラが誕生し、七二年には一年かけて世界を回り、カリフォルニア州サンタ・クルーズに近いべン・ロモンドに居を構えた。

P.248  氏か育ちか

グレゴリーの主張はこうだつた。いかなる種もそうだが、ことに人間のように、交配可能な個体群聞にこれほどのヴァリエーションが見られる種において、それぞれの変異のタイプのあいだに認知すべき違いなど存在しないとみなすのは、偏見にとらわれてはならないはずの科学的合理精神に真っ向から反するナンセンスである。これにたいしてマーガレットも情熱的に応酬した。多様性というものをすぐに優劣の差に結びつける人間の性癖が消えてなくならないかぎり−−個体間の精神的なヴァリエーションが「知能指数」というような粗暴で文化的偏見にみちた集計値に置き換えられるようなことが続いているか、ぎり−−この間題を科学的に研究することはできないし、またそれを進めるべきでもないと。

P.299

グレゴリーは、行動主義心理学を揶揄するお気に入りの逸話をいくつも用意していて、折りにふれて語ってきかせた。そのほとんどは、実験心理者たちが、コンテクストを見そこねているという点、それどころか学習枠を超えてもっとも低次の論理レベルをすら見通すことができないとい点を突く話になっていた。

P.304

自分の妊娠を知ったとき私は、母親になれば注意が子供に釘づけにされるから、いっそのこと母子間コミュニケーションの研究をやってしまおうと決心をした。
(中略)
乳児の声にも私は注意を向け、当時まだ学問的に注目されていなかったタイプの発声の分析にいそしんだ。音声学者の耳には、あまりにかすかで無意味に聞Lえる声でも、はじめて子の母となったものが、その高められた注意を向けるとき、それは意味をともなって聞こえてくるものなのである。

P.314 アーサー・ケストラー

アルプバッハの会議からは、最終的に二冊の本が誕生している。ふつうの報告書と、その会議を題材にしてケストラーが書いた小説『コール・ガールズ』だ。(その小説には、ケストラーの部屋のヴェランダで私たち父娘が話したエピソードも織り込まれている。)私たちが魂の高揚を感じていたのに比べて、ケストラーの気持ちはくすぶっていた。『コール・ガールズ』は最終的には、ケストラーの主宰した会議にたいする怒りと侮蔑の表現になっている。もちろん、怒りの対象が、実際そこに集ったひとたちだったとはいえないが、その種のひとたちに、そしてそこで展開したプロセスにたいしてケストラーが苛立ちを覚えたことはたしかである。

P.343

一度母はやや語気を強めて、あなたのしたがることはいまどきの普通の若者と全然変わりはしないのに、車を欲しがるに二十で結婚したがるにも、すぐ上等な理由をつけようとするんだから、と言ったことがある。男の友人が離婚の理由を述べ立てようとするとき、私はいつもその言葉を思い出す。世代の半数にもあたる男がみんな、結婚の束縛から逃れるさいに、僕の場合、理由はみんなとは違うんだ、と弁舌をふるうのだ。文化のパターン通りに動いているからといって、その人間個人の切迫感や決断の悲壮感を軽んじていいことにならない。そのことを私は母から教わった気がする。

P.351

的確な言葉を選ぶことに、マーガレットは多大な思考を費やした。言葉づかいによって読者の反応が違ってくることを熟知していた母は、不適切なフレーズを使ってしまったときにはきびしくみずからを諌めた。母がマリファナの「合法化」を提唱したときも、たいへんな騒ぎになった。そのとき母は、マリファナに関しても堕胎に関しても問題は「非犯罪化」のほうにあるのに、そこのところをきちんと理解せずに軽率に「合法化」という一言葉を用いたことを悔んでいたようである。

P.365

死の迎え方、死の扱い方について、マーガレットはたくさんの考えを私に与えてくれていた。五0年代なかば、母はむやみな医学的介入から自分を守るための文書を書き上げてもいたのである。まだ尊厳死の考えが一般化していない時代に、母は自分が真に自分でいられなくなってなお生かされるのはゴメンだという先駆的な宣言を行ったのだ。それは今日の基準からして、相当徹底したものだった。精神的な能力が少しでも失われた時点で、あるいは言語活動と身体活動の両方に少しでも支障をきたした時点で、それ以上の生は望まない−−と母はさっぱり宣言したのである。

訳者あとがきより  この本の価値は,このあとがきに書かれているとおり,加えて名訳.

だが両親の華麗な生きざま、ダイナミックな思考の飛跡の物語を求めて本書に接する読者は、しばらくの戸惑いのあと、ため息まじりの感嘆を味わうことになるかもしれない。少なくとも僕はそうだった。八年前、新刊のハードカバーを手にしたのは、ちょうど「ニュー・アカデミズム」の喧噪のさなかのことで、僕自身“ポストモダンの源流”とか“惑星大の思想家”とか“関係性のパラドックスを見すえる”とか、ベイトソンを讃える軽やかなキャッチコピーの流通に手を染めていた。そんな僕にこの本は冷水を浴びせかけた。なんて真剣な、なんて重い、なんてリアルな、なんて希有な本なのだ−−あのときの衝撃は、訳し終えたいま、むしろ強まっている。
 それは単にキャサリンが、両親のこころに、近親者ならではの共感と批判をもって踏み入っているせいばかりではない。本書が「希有な一冊」になっているのはなによりも、子が親を理解しようする、そのパーソナルでインティメートな知の試みが、学術の探求と切り離されることなく、本全体を貫いているからである。もちろんキャサリンに別の書き方ができたとは思われない。グレゴリーとマーガレットは、「家族」も「性格」も「関係」も、「世代」も、「愛」や「聖」さえも、自分たちのサイエンスの基本タームに抱え込んでしまう学者だった。キャサリンは科学の眼の注がれるなかに生まれ落ち、強烈な理念の輪のなかで育てられたのである。
 本書は、その娘による「おかえし」の本だと考えるとおもしろい。エージェントから来た翻訳の条件に、「原題 WIth aDaughter's Eye に変更を加えないこと」という珍しい一項があった。今度は娘が、娘の眼から語りますからね、という宣言がこの題にはこもっていると僕は見る。
 グレゴリーの死の前に構想され、足掛け五年の歳月を経てできあがった本書は、単なるメモワールを超えて、真正な人間探究(サイエンス)の営みになっている。時を遡って自分の存在の深みをたずね、二人の張りめぐらせた関係性のネットワークをたぐりながら、家族の小宇宙をより大きな宇宙に重ねあわせ、それらを結び合わせるパターンの糸を発見していく。この科学は「詩」を排除しない。いわゆる「客観的な視点」にみずからを絞り落とさない、つとめてトータルであろうとする人間が、自分を包み育んできた世界の全体を書き留めようとするとき、できあがったものが一篇の文学作品としての印象を残

【関連読書日記】

【読んだきっかけ】
10年ほどまえ,丸の内の書店でたまたま見つけた本.すごいすごいと思いながら拾い読みをしては,手元においていた.昨秋,改めて通読.もう絶版なんだろうなあと思いながら持ち歩いて読み続けていたところ,京都大垣書店の棚にあるではないですか.さすが大垣書店
【一緒に手に取る本】

新版 天使のおそれ―聖なるもののエピステモロジー

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デカルトからベイトソンへ―世界の再魔術化

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女性として、人間として―五つの創造的人生から学ぶ

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精神と自然―生きた世界の認識論

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