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“大正という時代は明治の生真面目さが熔解しはじめた時期である” 『伊藤野枝と代準介』 矢野寛治 弦書房

伊藤野枝と代準介

伊藤野枝と代準介

 時代の空気をつかむのは難しい.大正という激動の転換期.その時代をよむことができる.大杉栄とともに憲兵に虐殺された伊藤ノエの育ての親が代準介.その代準介の一代記として読むことが出来る.代準介の曾孫が著者の妻,という関係で,古い代の自伝を読み起こしつつ,時代考証とともに,新たな事実を明らかにしていく.著者は,コピーライターをしていたプロの書き手である.内容の質の高さ,バランス,文章の読みやすさ,すべて過不足のない良書.
帯から

 新資料でたどる伊藤野枝の真実
 伊藤野枝を精神的にも経済的にも深い愛情で支え続けた代準介.ふたりの人物像を明らかにし、代の自叙伝「牟田乃落穂」から大杉栄、野枝、辻潤玄洋社頭山満らの素顔を伝える。

第一章 長崎の空の下
1話 代準介の生い立ち 2話 代準介の長崎時代 3話 代準介の成功 4話 伊藤ノエ、長崎へ 5話 準介、キチ、千代子、ノエ 6話 一年弱の長崎 7話 代、頭山満に会う 8話 鈴木天眼を当選させる
第二章 育英の男
9話 「東の渚」 10話 伸びる木 11話 ノエ、上野高女に入る 12話 辻潤と会う 13話 ノエ、仮祝言を行う 14話 ノエの「わがまゝ」 15話 ノエ出奔、辻の下へ 16話 代準介、九州へ戻る
第三章 新しい女
17話 ノエ青鞜に入る
P.84

平塚は創刊の辞に、「元始女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である」の言葉を掲げ、男尊女卑の日本の風潮に挑み始める。因みに、表紙のクレオパトラの如き絵は、長沼智恵子(一八八六−一九三八、高村光太郎に嫁ぐ、洋画家)の筆による。彼女も日本女子大で平塚の一年後輩だった。

18話 私は本当にひとりきりだ

 この慄くような、孤立孤独の一行の台詞こそが、代や辻の家族というより、大家のお嬢様方に伍していくための覚悟の言葉であり、自己実現のための、彼女自身へのアジテーションだったといえる。野枝は「女梁山泊」の編集部の中で自らを発揮するために、自らの生い立ち、逆境の境遇、ライバルたちが経験していない貧困や抑圧を脚色することで、太万打ちしていくしかなかった。
 代準介は野枝の「わがまゝま」や「出奔」を読むも、意に介さない。野枝からの誹誘中傷表現を不憫にも思い、「あれはあれで、闘っているのだろう」と言ったと我が家には伝わる。

19話 「新らしい女」宣言 20話 青鞜二代目編集長 21話 不倫事件の真相と顛末 22話 辻一(まこと)の事
23話 大正の女たち
P.102

平塚らいてう(本名「明」、一八八六〜一九七一、「青鞘」発刊者、評論家)は、若き日に妻子ある森田草平(作家)と心中未遂事件を起こしている。「青鞘」編集長時代に、当時は珍しいことだが、五歳年下の奥村博(画家)と恋に落ちている。彼女は奥村のことを「つばめ」と呼称し、以来、年下の男性の恋人のことを世間では「若いつばめ」と呼ぶようになる。

P103

山本有三が昭和十年頃、大正の空気を総括するように書いたのが「真実一路」。真実に生きることの身勝手さと難渋さを描いてくれた。真実に生きるとは聞こえは良いが、一方では多くの人々を傷つけていくものだ。

第四章 大杉栄に奔る
24話 大杉栄と出会う 25話 野枝と中條百合子 26話 野枝と野上彌生子 27話 野枝,流二を流す 28話 大杉との愛欲 29話 野枝,御宿を出る 30話 野枝,大阪の代家へ 31話 野枝の金策
第五章 女性解放運動
32話 日蔭茶屋事件の後 33話 底辺女性の解放論 34話 大杉という人物 35話 出産のつど福岡へ 36話 代,頭山に私淑
37話 野枝と赤攔会(せきらんかい)
P.150

 大正九年(一九二0)二月十七日付の報知新聞の記事がある。
社会主義に関する図書の売行きは羽の生えたように飛んで行き、クロポトキンマルクスの著書は、丸善に着荷しても書架に三日と留まらぬという好景気で、社会問題に関する本でなくては夜も日も明けないという現状を見ても、如何に我が読書界がこれらの図書に渇えているかが分かる。(中略)最近、警視庁ではこれらの読書子の警戒をして、各図書館は勿論、主な書屈に刑事を派し、社会主義に関する本を閲覧したり購入する人については一々尾行して住所姓名を確かめ、読書子を気味悪がらせている」
 時代がこうであるから、大杉の著書「クロポトキン研究」(アルス)他一連の著作は、東京帝国大、慶応大、早稲田大の学生たちを中心に相当に売れた。

第六章 大正の風と嵐
38話 自由を求めて

♪待てどくらせど来ぬひとを宵待草のやるせなさ今宵は月もでぬそうな♪
 作曲は多忠亮、作詞は本郷菊富士ホテル以来、野枝や大杉と交流のあった竹久夢二である。後々、野枝の孫にあたる、辻一(まこと)の長女野生(のぶ)は竹久家の養女となる。
 同年の「酒場の唄」(作詞・北原白秋、作曲・中山晋平)も頽廃的である。

39話 またまた女児
40話 大杉,日本脱出
P.166

 しかし大杉の『日本脱出記』を読むと、彼はこの入獄中、なんと酒に挑む。入獄三日目で白ワイン一本の四分の一を飲めるようになり、二四日目には半分を空けるようになる。パリの監獄は政治犯にはワインを夕食につけている。さすがフランスである、粋である。大杉も「一犯一語」から、ついに「一犯一酒」まで、とにかく時間を無駄にしない、明るい努力家である。

41話 大正の嵐
42話 右と左の激突
P.173

 大正十二年九月一日、午前十一時五十八分、関東大震災が起こる。死者九万一000人、被害家屋五二万七〇〇〇戸.浅草一二階は八階から折れる。皮肉な事に,治安を守るべき警視庁は真っ先に焼け落ちる。ちょうど昼餉の時間であり,いたるところから火の手が上がり,東京は焦土と化した。鎌倉八幡宮の屋根は崩れ落ち、大仏様は一メートルほど前に動いた。

43話 関東大震災
第七章 大虐殺、そしてその後
44話 甘粕とその一派による虐殺
45話 代準介上京
P.186

 この九月二十五日の東京朝日新聞によると、
「甘粕大尉は極めて謹厳な精神家で、酒も飲まず道楽も持たず、(中略)平常は無口で読書を好み、(中略)また部下に対しては慈父の子供に対するが如き暖かみを以って接していた。(中略)部下も同大尉を心から敬愛し、今度大尉が軍法会議に目されたことに非常に同情を表し、身代わりさえ切望している部下が少なくないと伝えられている」
と記事にしている。
 如何に国や軍にとって不都合なアナキストとはいえ、まったく無抵抗の二人、で殺めた殺人犯をこのように賞賛的に書くのか、真意が知れない。

46話 大杉事件顛末 47話 遺児らを連れて 48話 今宿での葬儀 49話 死刑囚の品格
50話 国際問題
P.203

 大正十五年(一九二六)の五月、眞子は二年八カ月育てられた代家を後にする。春吉尋常小学校四年生の時、橘アヤメ(虐殺された橘宗一の母、大杉栄の末妹)が代家と伊藤家の大変さを思い、眞子を引き取ったのである。その後、眞子は大杉勇(大杉栄の弟)の手で育てられ、横浜紅蘭女学院(現・横浜雙葉高校)を卒業し、昭和十一年に博多に戻る。

P.206

代は遠縁の頭山満を人生の師と仰ぎ、頭山のために奔走してきた。されども、この事件を機に多くの社会主義者たちとも交流する事となり、彼等のその正義感、教養、知性、人品、かつ弱者への愛情深きを知り、彼等もまた国を憂うる人間であるという思いに到った。

51話 内田魯庵

大杉栄・野枝邸(豊多摩郡淀橋町)の隣には、内田魯庵(一八六八〜一九二九、評論家、翻訳家、小説家)が住んでいた。

52話 最後の手紙
余話 頭山満と代準介
【関連読書日誌】

  • (URL)ブルジョアの排撃,つまり、全体主義の時代風潮とは、そのようなかたちで、大衆の側からの「平等」への願いを含んでいる” 『きれいな風貌―西村伊作伝』 黒川創 新潮社
  • (URL)人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る” 『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』 黒岩比佐子 講談社
  • (URL)漢籍的教養の上に西欧的教養を積んだものたちが「明治一五年以前生まれ」なら、白紙の上に西欧的教養を積んだのが「明治一五年以後生まれの青年たち」であろう。武士的道徳が消滅したのち、大衆的流行文化と経済万能主義の大波を浴びつつ人となった世代、ということでもあろう” 『 「一九〇五年」の彼ら ― 「現代」の発端を生きた十二人の文学者 (NHK出版新書 378) 』 関川夏央 NHK出版

【読んだきっかけ】一昨年書評などでずいぶんと取り上げられていました.
【一緒に手に取る本】

ルイズ 父に貰いし名は (講談社文芸文庫)

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なりきり映画考

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