“これは高野さんが続けてきたエキプ・ド・シネマへの信頼感がもたらした結果だったと思う” 『高野悦子さんを悼む  映画作家の心届けた人』 羽田澄子 朝日新聞 2013年2月19日

岩波ホール総支配人の高野悦子さんが亡くなった.氏の,『母 老いに負けなかった人生 (岩波現代文庫)』を読んだばかりだったと言うこともあるが,何より,岩波ホールの映画に精神形成の幾ばくかを負っていると自覚するものにとって,感慨深いものがある.『木靴の木』が最初だった記憶する.ビスコンティタルコフスキーも,岩波ホールが出会いの場だった.それほどたくさん観てきたわけではないが,今でも,神保町界隈に出た時には,1食抜いてでも,上映中の映画を観て帰ろうかという誘惑に駆られる.
 そして岩波映画と言えば,川喜多かしこさんであり,羽田澄子さんである.記録映画作家である羽田さんが,自主作品『薄墨の桜』を製作した時の思い出を語っている.

 この映画は批評家も製作スタッフも映画関係者も誰も評価してくれなかった.「こんなものは人に見せるものではない」と注意してくれた監督もいた.しかし高野さんは興味を持たれ「これは是非,上映会をやりましょう」と言われ,77年春岩波ホールが一晩空く日を選んで,私の「映像個展」を開いて下さった.

 当時はドキュメンタリー映画の上映に,入場料を取る習慣が無かった時代なのに,800円の入場料を取っての上映だった.「金を取ったりしたら客は来ない」という映画関係者が多かったが,上映は満席で立ち見も大勢という有様だった.
 私は驚いた.これは高野さんが続けてきたエキプ・ド・シネマ(“映画の仲間”というフランス語.岩波ホールを根拠地として,川喜多かしこさんとともにはじめた名画上映の運動体)への信頼感がもたらした結果だったと思う.

【関連読書日誌】

  • (URL)私が介護の原則は「説得より納得」ということに気がつき、母の希望にそった、母中心の介護に変えたとたん、母はみるみる回復した。母の痴呆は介護に対する不満、私に対する最大の抗議だった” 『母 老いに負けなかった人生 (岩波現代文庫)』  高野悦子 岩波書店
  • (URL)よくできたかどうか分からないけれど、かあさん、ぼくはひとリの人間になった。行って、そして生きてきた。あなたに祝福がありますように” 『約束の旅路 (集英社文庫) 』 ラデュ・ミヘイレアニュ, アラン・デュグラン, 小梁吉章訳 集英社

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

私のシネマライフ (岩波現代文庫)

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黒龍江への旅 (岩波現代文庫)

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エキプ・ド・シネマの三十年

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