“土居の第一世代の弟子となった石川は、土居が亡くなる二〇〇九年まで四五年間、「土居ゼミ」に通い、最期まで師事した” 『永山則夫 封印された鑑定記録』 堀川惠子 岩波書店
- 作者: 堀川惠子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/02/28
- メディア: 単行本
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12/30深夜,NHKEテレでETV特集,『「永山則夫 100時間の告白」〜封印された精神鑑定の真実〜』が再放送されていた.再度,引きずり込まれるように,最後まで観てしまった.法学部生の娘とともに.NHKに感謝.
堀川惠子の新著である.堀川惠子のプロデュースによるNHKのETV特集,『「永山則夫 100時間の告白」〜封印された精神鑑定の真実〜』(URL)が2012年10月14日(日),21日(再)が放映された.またいずれ書籍になるであろうと待っていたところ,岩波のより出版.早速一読.引き込まれるように1日で読了.
堀川惠子という人,次から次へと埋もれていた記録を引き出す才人である.
私にとって本書の発見は,石川医師との出会いであり,土居健郎の再発見である.『甘えの構造』の著者としてしか知らなかった土居健郎の著作を読んでみようと思う.
日本社会を震撼させた連続射殺事件の犯人、永山則夫。生前、彼がすべてを語り尽くした膨大な録音テープの存在が明らかになった。100時間を超える独白から浮かび上がる、犯罪へと向かう心の軌跡。これまで「貧困が生みだした悲劇」といわれてきた事件の、隠された真実に迫る。
序章 事件
P.7
そして2012年−−。長く封印されてきた、ある鑑定記録の存在が明らかになった。
生前の永山が、すべてを語り尽くした膨大な録音テープである。100時間を超える死者の言葉は,少年が連続射殺事件へと向かう心の軌跡をくっきりと浮かび上がらせていた。その記憶の彼方に見えてきたもの、それは、ある家族の風景だった。
容赦なく吹き付ける強風が、やがて伸びやかな木々の成長を止め、頑強な岩までも変形させてしまうように、それは少年の人生の歯車を少しずつ狂わせた。幾度か訪れた救いの機会は見逃され、悲劇への秒針は刻まれていった。
少年事件の根を「家族」という場所に探ろうとする時、必ず問いかけられる疑問がある。
−−同じ環境に育った他の兄弟は、立派に成長している
このもっともらしい問いかけは、少年の心の闇を照らし出そうとする光をいつも遮断してきた。しかし、100時間の独自は、その問いに対しても明白な答えを突きつけていた。
永山則夫の死刑執行から一六年、事件はようやく再考される時をむかえたのである。
第1章 語らぬ少年
第2章 医師の覚悟
P.39
永山の生い立ちを読み終えた石川医師は、生涯の師とあおいだ精神分析医、土居健郎の指導を思い出していた。土居健郎(一九二0−二00九)は、日本人の心理特性や人格構造を「甘え」という視点から分析し、その病理の研究で知られる日本の精神医学の大家である。独自の視点で日本人論を展開した彼の代表作『「甘え」の構造』(弘文堂、一九七一年)は大ベストセラーとなり、世界各国で翻訳された。石川医師は、後に永山則夫の精神鑑定を引き受けた最大の理由の一つは、土居健郎との出会いがあったからにほかならないと思うのである。
P.41
自身の研究に、これ以上はない学会のお墨付きを得て、石川はさらに統計学の立場に特化した研究を進めていく。今度は、100人と、同数の一般少年を調べるという大規模な比較研究を始めた。
(中略)
具体的には、身体的、器質的、家族関係、心理的、社会文化的などのあらゆる面で、非行少年と非行のない少年とを比較し、統計学的に有意な差を導き出して非行の原因を突き止めようというもので、いわば多元的原因論を探る試みであった。
しかし、その実験はやがて、完敗を喫することになる。いくらそれらの差を並べて組み合わせたとしても、非行の原因や過程を知るには無効であることが明らかになったからだ。
P.44
土居は次のように語って石川を諭したという。
「医学は本来、臨床から出発し、臨床こそ医学の目的である。それゆえ臨床は、それ自体が研究となりうるし、またなるべきであり、実験的精神によって行われなくてはならない」
「治療関係の中で得られる所見は極めて人間的であり、一見もっぱら主観的な事柄から成り立っている。一方では治療者の主観があり、他方には治療を求める患者の主観があって、この両者が関係して起きる事柄をなるべく客観的に記載したものが治療関係における所見である。その意味で治療関係についての所見は自然科学的事実とは異なるものの、客観性に関する限り何らの遜色はない」
つまり臨床も立派な科学であると、土居は太鼓判を押してくれたのである。
後日談になるが、土居の第一世代の弟子となった石川は、土居が亡くなる二〇〇九年まで四五年間、「土居ゼミ」に通い、最期まで師事した。
第3章 家族の秘密
第4章 母と息子
第5章 兄と弟
第6章 絶望の果て
第7章 別離
P.310
その判決から三四年目の2012年、当時の合議の様子の一部が初めて明らかになった。
右陪席だった豊吉彬元裁判官による証言である。豊吉元裁判官は、石川鑑定が採用されなかった事情について次のように証言した。
「合議で三人の裁判官が話をするわけなんですが、石川鑑定を読んで鷲きましてね。『これじゃあ極刑、無理じゃねえか』と言って
いた人もいたほどでした。私自身、あのような立派な精神鑑定書は見たこともなくて、その後の自分の裁判でも何かと参考にさせてもらいました。だけど、当時の裁判官には心理学的な知識もありませんし、どこか『所詮は医者が言っていることだから』というような雰囲気がありましたよね。
裁判の結論は決まっていましたから、排斥するより仕方がない、そう、仕方がないということになってしまうんです。ある結論を導き出すために、ある証拠を否定しなくてはならない。そういう時、良いところは言わないで、悪いところを見つけて、それで敢えてひっくり返すと、そういうことでしたね。それは今だって変わらないんじゃないんですか?」
P.314
昭和五六年(一九八一)八月二一日、東京高等裁判所の船田三雄裁判長は一審を破棄し、永山則夫に無期懲役判決をドす。
船田裁判長の判断の根底には石川鑑定の存在があったと、当時の弁護士、大谷恭子氏は打ち明ける。
「正直言って、私は判決を読むまでは、裁判所がどこまで石川鑑定を採用するかということはまったく意識してなかったんです。ところが判決を聞いた瞬間から、えっと驚いたのは、無期懲役にした理由に少年事件であるということが第一に挙げられ、しかも『精神的成熟度』という言葉を使って、彼を一八歳に満たない精神的な成熟度、だったと判断していたんです。それはもう衝撃でした。その言葉は、石川鑑定にそのまま出ていたんです。だから、あれは全面的に石川鑑定に依拠して出た判決だと私は確信を持ちました」
終章 2枚の写真
五年前、遺品の中にあった精神鑑定書の存在を初めて知った時、私は、その意味が分からなかった。だが、それから後に石川医師から話を聞き、永山が語った膨大な録音テープに耳をかたむけるうちにようやく理解できた。主の居なくなった独房に、たった一点だけ残されていた鑑定書。それが、何を物語っているのかを。
死刑が執行されるその日まで、永山則夫は生涯、「石川鑑定」を手放さなかったのである。
P.336
しかし、「これは自分の鑑定じゃないみたいだ」という、氷山の一言は、石川医師の人生をもまた、大きく変えてしまっていた。
「あれは表面的な言葉だったかもしれないけど、僕は真面目だから、真に受けて……。本当に真に受けちゃったですね。だから、彼は僕の人生を変えたでしょうね。あの事がなかったら、犯罪精神医学をもっともっと研究していたでしょう。犯罪の本当の原因を突き止めなくちゃ、刑事政策も治療もあったもんじゃないんですけど、日本は余りにも、それをやらないで来ましたよね。調べれば調べるほど、本当の凶悪犯なんて、そういるもんじゃないんですよ、人間であれば……」
そう語りながら、医師の右手は愛おしそうに古い鑑定書を撫でていた。暫く無言の後、つと顔をあげ精一杯の言葉を繋いだ。
「でもね、悔いはないですよ。精神療法の方がもっともっと患者さんの治療も出来て、人のためになりますから。精神鑑定も、犯罪学の研究も大事だけどね、実際に治療しなきゃ、医者ですから……」
石川医師の目は、穏やかな光を取り戻していた。
【関連読書日誌】
- (URL)“罪を犯すような事態に、自分だけは陥らないと考える人は多いかもしれません。しかし、入生の明暗を分けるその境界線は非常に脆いものです。” 『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』 堀川惠子 講談社
- (URL)“たった一人でもいい、真剣に、本気で、自分を愛してくれる人がいれば、その人は救われる。それが父や母であればよいけれど、それが叶わないこともあるだろう。” 『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』 堀川惠子 日本評論社
- (URL)“今こそ、私たちの来し方を振り返り、戦後の再スタートの土台に据えた精神を思いおこすべきだろう” 『チンチン電車と女学生』 堀川惠子, 小笠原信之 日本評論社
- (URL)“私たちは当たり前のように享受しているこの「戦後」を、二度と「戦前」に引き戻してはならない” 『日本の戦争 BC級戦犯 60年目の遺書』 田原総一朗監修 田中日淳編 堀川惠子聞き手 アスコム
- (URL)“それは、ある意味で“画期的な”法廷だった。二〇一一年の秋,大阪地方裁判所の裁判員裁判で行われた、「絞首刑」についての審理。” 『絞首刑は残虐か(上)』 堀川惠子 世界 2012年 01月号 岩波書店
- (URL)“私たちはまず、判断の材料となる「事実」を知ることから始めなくてはならない” 『絞首刑は残虐か(下)』 堀川惠子 世界 2012年 02月号 岩波書店
【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】
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- 作者: 土居健郎
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