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“芭蕉の俳諧は侘びを重んじたが、人間そのものを「侘びさせる」としたら、究極のところは乞食である” 『 やさしい古典案内 (角川選書) 』 佐々木和歌子 角川学芸出版 (4/4)

やさしい古典案内 (角川選書)

やさしい古典案内 (角川選書)

句のものとに集う人々 − みんなで楽しく「座」の文芸
 中世の異空間から − 連歌
 詩の磁場をさがし − 松尾芭蕉
P.235

中世、近世を問わず、文芸の世界ではあいかわらず王朝の美意識への崇拝は続いていたが、そのネガフィルムのように、なにか寂れたもの、侘びたものへの愛着が中世半ば頃から生まれつつあつた。和歌に求められていた優雅さや幽玄という深みはそのまま連歌にも求められたのは前節述べた通りだが、そこに「冷え枯れた」感覚も重視され、それはやがて茶の湯にも取り込まれていく。村田珠光によって「侘び茶」が作り出されたが、「侘びる」とは不如意なこと、失意のこと。満足や充足は下品であつて、「足りない」ことが美しいと考えられた。唐物のきらびやかな茶器より適当にこねたような井戸茶わんが愛され、すこし欠けたもの、いびつなものに美を見いだした。その中世の侘びは、俳諧の「俗」という本質と相性がよかった。芭蕉俳諧は侘びを重んじたが、人間そのものを「侘びさせる」としたら、究極のところは乞食である。芭蕉には「乞食の翁」という句文が残る。
   窓含西嶺千秋雪 門泊東海万里船 (杜甫)
我その句を識りて、その心を見ず。その侘をはかりて、その楽しびを知らず。ただ、老杜にまされる物は、独り多病のみ。閑素茅舎(ぼうしゃ)の芭蕉に隠れて、自ら乞食の翁と呼ぶ。
   櫓声波を打つて腸氷る夜や涙
 最初に杜甫漢詩を挙げ、この詩を知っているけれど、その侘びの楽しみを自分のものにすることができない、私が杜甫に勝っているのは病気がちであることだけで、あばら家の破れやすい芭蕉の葉に隠れて、自分を「乞食の翁」と呼んでいる、という。そして舟の櫓が波を打つ音を聞きながら、腸も凍りつく厳しい寒さの夜、ひそかに涙を流す、と詠む。なんと俺びしい。というより、俺び住まいコントのような、作られた感じもある。しかし芭蕉はすべて体感しないでは詩を編み出すことができない、「身体のひと」だつた。それが深川への隠棲、晩年の旅ぐらしへとつながつていく。

P.243

決して芭蕉はよく言われるような「旅に生きた入」ではない。旅は人生の一時期に集中的に行われている。それは芭蕉が自分の新しい俳諧のために、旅という手段を見つけたことを意味している。四〇歳を過ぎた芭蕉は、新進気鋭の俳人ではもちろんない。新しい俳風が次々と生まれ出るとき、宗匠然として深川の新しい芭蕉庵で弟子を相手にしていても、自分は古びていくばかり。年月とともに自分も過ぎていくものの一つだと知った。
 『おくのほそ道』の冒頭にいわく、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」-月日は永遠の旅人。だから自分も旅人になれば、月日に寄り添って、つねに新しくいられる。考えてみれば「古人も多く旅に死せるあり」――我が愛する李白だって杜甫だって、西行も宗祇も、みな旅の途上で死んでいるじやないか。だから「予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず……」風に誘われ、さすらいの旅に出たいと思う。

平和の時代の贈りもの − ―「古典」から旅立つ江戸の文芸たち
 元禄の世に言葉が賑わう − 井原西鶴近松門左衛門
 近代の足音が聞こえる − ―読本、滑稽本、そして勝夢酔
P.261

 もっと大きな特徴は、つながっていた文章が一字一字切り離されつつあったこと。読みやすさを重視してのことであろうが、現在の独立したひらがなの萌芽がここに見られる。現在のひらがなは近世以降に一字一字の「活字」を組み合わせて文章にする活版印刷によって生まれたものだが、江戸時代後期にはすでに現れていたことになる。

これは言われてみればそうなのでが,知らなかった,気がつかなかった!
【関連読書日誌】

  • (URL)“単純ではない平易な文章が望まれるとすれば、その平易は、自分に即して生まれた必然性のある平易に限り有効である” 『「やさしい古典案内」のこと』 耳目抄310 竹西寛子 ユリイカ 2013年6月
  • (URL)古典文学の歴史をたたどることは、言葉と文字を連ねてきた日本人たちの物語。研究者ではない私は古典の腑分けはできないけれど、そっと横に添い寝して、古典の思いに耳を傾けるとはできるかもしれない” 『 やさしい古典案内 (角川選書) 』 佐々木和歌子 角川学芸出版 (1)
  • (URL)“信仰、もしくは出家が、この時代の女性の「自由」の限界点だった。紫式部は、そこで筆を置くのである” 『 やさしい古典案内 (角川選書) 』 佐々木和歌子 角川学芸出版 (2)
  • (URL)背負うには重すぎる人生を生きる人々が、今様には現れる。どんなメロディで、どんな声で、どんな思いで、人々は歌ったのだろう” 『 やさしい古典案内 (角川選書) 』 佐々木和歌子 角川学芸出版 (3/4)
  • (URL)“少年期からすでに退行的な気分に全身を蝕まれ、後ろだけを向いて生きてきた私は、種村さんの〈落魄〉を巡る考察に小躍りした。(そうだ、何もいらない。思い出だけが人生た)。落魄という最後の切り札を手に入れることで私は残りの人生を気楽に切り抜けらないものかと、小狡く考えたにちがいな” 『夢でまた逢えたら』 亀和田武 光文社

【読んだきっかけ】ユリイカ 2013年6月号
【一緒に手に取る本】

悪党芭蕉 (新潮文庫)

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芭蕉紀行 (新潮文庫)

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