“どんなささいなことがらについてでも、それを愛し、そのことについて調べたり、試したりしている一群の人々が必ずいる。そのような人々は通常、地球上の各地に散在してそれぞれ日々の暮らしを送ってはいるのだが” 『世界は分けてもわからない (講談社現代新書) 』 福岡伸一 講談社

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

すっかりベストセラー作家になってしまった福岡伸一氏であるが,『プリオン説はほんとうか?―タンパク質病原体説をめぐるミステリー (ブルーバックス)』をかなり昔に呼んだのが最初で,実によく書けた啓蒙書だと感心したものである.それ以来,ベストセラーになるが故に敬遠してきたのだが,最近,読みはじめて改めた上手な書き手だと認識した次第.いわゆる大衆向けの書では決してなく,読者を選んでいるとも言える.生物学や脳科学を少しは知っている人たちは,茂木健一郎著作は敬遠するかもしれないが,福岡伸一著作のよい読者にはなり得るのである.
 あるとき世の中を騒がせた,あのマーク・スペクターのデータ偽造事件が最後の締めなのだが,福岡はこの一件を扱う立派なサイエンスノンフィクションを十分書けるだけの知識と文筆力があったはずだが,敢えてそうはせず,『世界は分けてもわからない』という哲学で本書を貫き通すのである.抜群のストーリーテリングをもって憎いばかりの仕掛けや木の実を散りばめてある.
 例えば本書の冒頭は次のように始まる.

どんなささいなことがらについてでも、それを愛し、そのことについて調べたり、試したりしている一群の人々が必ずいる。そのような人々は通常、地球上の各地に散在してそれぞれ日々の暮らしを送ってはいるのだが、やはりそのことについてのこまごました情報やささやかな発見を、ときに交換したりひかえめに自慢したくなるものである。

そして「国際トリプトファン研究会」出席のため,パドヴァで乗った路線バスでの光景に移る.

通路の向かい側の席には小柄な女性が座っていた。国も歳も見当はつかないが、それほど若くはない。旅行者風のリユックサックを足元に置き、分厚い本を読んでいた。時々、向こう側の窓に目をやると、ずっと読書に集中している彼女が視界に入る。ぺージを繰る瞬間、背表紙がちらりとみえた。Hannah Arendt 私は彼女の横顔をそつと盗み見た。彼女もまた、私とは全く別の、小さな縦穴をずっと掘り続けているのだろうか。人々のそのような行為は、いつか別々に地下の水脈に到達し、暗い場所を流れる水はしかし互いに通い合っているような、そんなことは果たして起こることがあるだろうか。

なにげなく,ハンナ・アーレントを出してくるあたり.あざといとも言えるのだが,うまいな,と思います.
P.43 ランゲルハンス等の発見に触れた第1章は,次の文章で終わる.

暗転した視野の内に見えるもの。そしてその外に捨象されてしまったものの行方について、何かを語ることができればよいと私は願う。

P.52 ヴエネツィア爛熟の影

 須賀敦子の名前を知ったのはいつの頃だろぅ。彼女が作家としての短い著作活動の期間を終えてこの世を突然去って以降のことであるのは間違いない。それまでうかつにもこれほど美しい文章の存在を私は知らないでいた。

P.55 須賀敦子の歩いた道

彼女の文章には幾何学的な美がある。柔らかな語り口の中に、情景と情念と論理が秩序をもって配置されている。その秩序が織りなす文様が美しいのだ。ことさら惹かれたのは、本を書くに至るまで彼女がずっと長い時を待っていたという事実だった。幾何学を可能にしたのは彼女の人生の時間である。彼女の認識の旅路そのものである。彼女の本を読むにつれ、そのたたずまいに引きこまれていった。彼女の歩いた道を彼女が歩いたように歩いてみたかった。彼女が考えたように、自らの来し方を考えてみたかった。

須賀敦子の書いたものはほとんど読んできたが,幾何学的な美,という表現には,なるほどなと思う.
P.138 膵臓の異常

もしかりに、あなたの肩甲骨と肩甲骨のあいだ、背中の中央部に不審な痛みを感じることがあるとすれば、それは要注意シグナルである。膵臓の異常は、腹痛というよりは背中の痛みとなつて放散することが多いからだ。そして膵臓の痛みは、重大な帰趨をたどる。

P.161 人の視覚系の話.マッハバンドとCG

ヒトの内部がもともと持ち合わせている、このおせっかいな認識によって、せっかく磨き上げた宇宙船の表面がざらついてしまうことを回避するため、セガの平山氏らは特別な工夫を施して画像処理を行っている。それは企業秘密に属することなのだろうが、誤差拡散と呼ばれるものらしい。門外漢の私にはそれがどのようなものか詳しく説明することはできない。が、おそらく「モザイク消し」に似た、トーンジャンプのデフォー力シングのようなものではないだろうか。

P.236

同時期に、ラツカーとスベクターは共同名義で、科学誌「サイエンス」に自分たちの成果を取りまとめて報告する特別論文を寄稿した。冒頭には、G • K •チェスタトンの次の言葉が引用されていた。
「天空の城に建築学のルールはいらない」

本書の最後は次の一文で締めくくられる.

世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。

おそらく,還元主義を意識して書いた本なのだろうと思う.
 各章の冒頭には,聖書,小説,詩などさまざまな素材から採られた引用が置かれている.NHK朝ドラ『あまちゃん』風に言えば「わかるやつにだけわかりゃいいんだ」といったところだろう.第4章など,団まりなの文章からだ(「あえて擬人的表現のすすめ」)
【関連ブログ】

  • (URL)この勇気を与えたのは、家に戻つた父が読めと示唆した、鴎外の史伝『渋江抽斎』ではないか。読了後、抽斎の妻五百(いお)も須賀には「灯台のような存在」となつた” 『須賀敦子の方へ』 第一部最終回「海の彼方へ」 松山巌 考える人 2013年 春号 新潮社
  • (URL)人類はいまだに闇や死を恐れている。だからことさら自らを鼓舞して、万物の長のような顔がしたいのだ。そして地球を守っているように思いたいのである。しかし懐中電灯の電池が切れてしまえば、人間は闇の中で途方にくれるしか能がない生き物である。” 『マリス博士の奇奇想天外な人生 (ハヤカワ文庫 NF) 』 キャリー・マリス, 福岡伸一訳  早川書房
  • (URL)わざわざ本屋に行って、本を見たり、触ったり、買ったり,僕らは 本屋好き。” 『BRUTUS 2011年 6/1号』 マガジンハウス

【読んだきっかけ】一度,訪ねてみたかった,鳥取市定有堂書店で購入.鳥取まで行って買う本か!という話もあるが,それはたまたま.定有堂は,普通の町の本屋さんだが,全国の書店員が訪れる本屋として有名なのだそうだ.
【一緒に手に取る本】

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