”森繁さんが鮮明に憶えているのは、その人との間に残った〈悔い〉の思いなのである。他にもエピソードはいろいろあったろうに、まず思い出すのは〈悔い〉なのだ。あの時こうしてやればよかつた、どうしてあんなことを言つてしまつたのだろう、いま会えるものなら会って詫びたい――そればかりだった” 『私があなたに惚れたのは』 久世光彦 主婦の友社

私があなたに惚れたのは

私があなたに惚れたのは

NHKクローズアップ現代で,2013年9月4日に,「33年目の向田邦子 なぜ惹(ひ)かれるのか」が放映.もう33回忌というのに向田邦子が書いたもので絶版になったものはないという.黒柳徹子是枝裕和氏らへのインタビューのほか,澤地久枝氏が登場していた.澤地久枝向田邦子の交流はしらなかった.
本書の1/3をしめる第一部は,『「ままや」で逢った人たち』である.向田邦子も,久世光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)も鬼籍に入り,「ままや」も閉店してしまったけれど,そこに集った人々の交流の残り火は今も暖かかい.
P.31 向田邦子の歌

「ままや」には音楽がない。なくて淋しいと言っているのではなく、ないからいいという意味である。有線放送も入っていないし、お客が歌っているのも見たことがない。「ままや」ではお酒も出しているわけだから、つい盛り上がってということだってありそうなものだが、十何年の間にそういう光景をついぞ見かけない。別段、高歌放吟は困りますとも言っていないのに、誰も歌おうとしないのである。と言って、変に静かな店でもない。ちゃんとほどほどに賑やかである。笑い声が絶えないし、カウンター越しの調理場では、店のお兄さんたちの威勢のいい声が飛び交っている。ただ、音楽の類いだけがない。ふと気つくと、これは一つの個性かもしれない。

P.44 風吹ジュンさん
NHKで『坂本龍一 音楽で楽しむ 大河ドラマ』総合テレビ 2013年9月22日(日)後3:05〜3:48 というのをやっていた.大河ドラマ全52作品のオープニングテーマを振り返る!という趣向.ゲストは,坂本龍一風吹ジュン岩井俊二
寺内貫太郎一家の続篇で,梶井芽衣子の代わりの女優に,風吹ジュンが起用された.向田邦子は当初反対していたという.悠木千帆(ゆうきちほ)は,いまの樹木希林

風吹ジュンさんには、それまでいろんなことがあったのだと思う。決して幸せではなかったようである。心を閉ざすことは知っていても、開くことを知らなかった。それをストーリーの上で、だんだんに開くように書いてあげたのが向田さんだった。苔がほんの少しふくらみ、それが次第にほころんでいくのを向田さんは丁寧に書いた。ついふざけたふりをして誤魔化そうとする風吹ジュンさんを押さえつけ、根気よく話相手になってくれたのが悠木さんだった。「無能の人」でたくさんの演技賞を貰った今曰の風吹ジュンさんは、この二人が作った。いつだ
つたか、「ままや」でご飯を食べたとき、テーブルの上に並んだものを見て、風吹ジユンさんが涙ぐんだことがある。向田さんの家によばれた夜に出たのとおなじだというのである。

P.65

こんど講談社から出た本を届けがてら、久しぶりの和子ちやんの顔を見にいこう。「触れもせで」の続編の「夢あたたかき」である。前の「触れもせで」のタイトルは、与謝野晶子の《やは肌のあつき血潮に触れもみでさびしからずや道を説く君》からいただいたので、こんどは晶子のラィヴァルだった山川登美子の《父君に召されて去なむ永久(とことは)の夢あたたかき蓬莱のしま》から採らせてもらった。二人とも、明治の才女である。二人とも、向田さんが好きだった歌人である。

本書原文では,「永久(とことは)の」となっているが,「永遠の」としているWEBページもあり,山川登美子記念館の歌碑では,「とこしえの」となっている,
P.84 ゆうべのカレー  これは有名な話!

そのころ向田さんと私は「寺内貫太郎一家」というドラマをやっていた。ご飯を食べるシーンが何度もあって〈飯食いドラマ〉と世間で言われていた。けれど、その食事の場面が評判になって、献立を教えてくださいという投書がたくさんくるょうになった。そこで私たちは調子に乗って、朝御飯のシーンに〈寺内貫太郎一家:けさの献立〉として、〈あさりの味噌汁、やっこ豆腐、ほうれん草のおひたし……〉という具合にテロップを出した。これにまた人気が出て、メモを取って放送の翌日、その通りの献立を作る家庭が続出した。食べることが大好きな向田さんは嬉しそうだった。そろそろタネが尽きそうになったある週、とうとう〈けさの献立〉のおしまいに、おまけみたいに〈ゆうべのカレーの残り〉というテロップが出た。
 投書が殺到した。昔を思い出した。これが家庭だと思った。……その中に、〈ゆうべのカレーの残り〉に泣いたというのが、何通もあつた。

あとがき

もちろん女の子である。――そして森繁さんの話を聞いているうちに、私は面白いことに気がついた。たくさんの人たちとの関わり合いの中で、森繁さんが鮮明に憶えているのは、その人との間に残った〈悔い〉の思いなのである。他にもエピソードはいろいろあったろうに、まず思い出すのは〈悔い〉なのだ。あの時こうしてやればよかつた、どうしてあんなことを言つてしまつたのだろう、いま会えるものなら会って詫びたい――そればかりだった。思い出すのではなく、忘れられないのだ。-
人生とは〈悔い〉のことなのだろうか。
森繁さんの愛誦歌の一つに、大木惇夫の「戦友別盃の歌」という詩がある。戦時中に報
道特派員として輸送船に乗つた詩人が、南支那海の洋上で歌つた名篇である。

ちなみに,この歌の全文は下記
詩集「海原にありて歌へる」(大木惇夫)の巻頭詩

   戦友別盃の歌
             −−−南支那海の船上にて。
 言ふなかれ、君よ、わかれを、
 世の常を、また生き死にを、
 海ばらのはるけき果てに
 いまや、はた何をか言はん、
 熱き血を捧ぐる者の
 大いなる胸を叩けよ、
 満月を盃にくだきて
 暫し、ただ酔ひて勢きほへよ、
 わが征ゆくはバタビヤの街まち、
 君はよくバンドンを突け、
 この夕べ相離さかるとも
 かがやかし南十字を
 いつの夜か、また共に見ん、
 言ふなかれ、君よ、わかれを、
 見よ、空と水うつところ
 黙々と雲は行き雲はゆけるを。

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