“表現をした時の心の底の深みが、ほんのちょっとした助詞や助動詞の違いなんですけど、歌をやっている者同士はわかるんです。そういう表現する者同士の心の通い合わせ方とか、短歌という詩型の持っている力とかを、その永田の一言で思いました。わかってくれる読者がひとりいればいいんです” 『 たとへば君 四十年の恋歌 (文春文庫)』 河野裕子, 永田和宏 文藝春秋

2010年に亡くなった歌人河野裕子(かわのゆうこ)と夫で歌人永田和宏との相聞歌集,エッセー集.永田による連載,『歌に私は泣くだらう: 妻・河野裕子 闘病の十年』を読んでいただけに,特別な感慨がある.高校時代に神経を痛め,一年休学した経歴を持ち,過敏で繊細だった河野裕子に「あなたはそのままでいい」と言った永田.一方,永田は幼い頃に母を亡くしていて,「ああこの人はこんなに寂しかったんだ」と河野は言う.
 河野さんという人は,繊細な人だとはいうけれど,なかなかチャーミングで元気一杯にも感じられる.引用されているインタビュー集『私の会ったひとびと』の言葉がすごくいい.
P20 河野

その日、私は例の発作のあとの、めまいが激しくて、けだるかったものだから、お座敷の雨戸を閉てて寝んでいたのだった。

雨戸を閉(た)てる,という表現が懐かしい.
P.124 横に走る涙(河野)

長沢美津さんが、三冊目の随筆集を送って下さった。その『空に月』を、ひろい読みしていて、思わずはっと読み返した箇所がある。「ある日、吉永小百合が対談のなかで年齢のことになり、どんなときにもう若くないという感じを抱きましたかとの質問に『涙が真っすぐに流れないで、横に走つたときです』という答えを耳にして、大変に感動したというのである。

P.158 (河野)

『家』という歌集を出したときに永田が、どういう話からか忘れましたが、「お前はんなに淋しかったのか」って言ったんです。それが忘れられなくて。
(中略)
家族の仲がいい、といいますが、それはそのレベルでのお話であって、表現をした時の心の底の深みが、ほんのちょっとした助詞や助動詞の違いなんですけど、歌をやっている者同士はわかるんです。そういう表現する者同士の心の通い合わせ方とか、短歌という詩型の持っている力とかを、その永田の一言で思いました。わかってくれる読者がひとりいればいいんです。
    河野裕子(「合歓」21号 平成十四年六月)より

P.203 永田和宏「日和」より

待ち続け待ちくたびれて病みたりと悲しきことばはまつすぐに来る

P.257 河野裕子「蝉声」より 口述筆記 八月十一日

さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せ思ふ

P.266

病室で河野が少し落ち着いてから、紅と入れ替わり、私は横浜の分子生物学会へ出かけた。特別講演の座長を頼まれており、はずすことができなかったのである。この年から数年後に、すい臓がんで亡くなることになった細胞生物学の若きリーダ―、月田承一郎京大教授の講演であった。

P.274 永田

  大泣きをしてゐるところへ帰りきてあなたは黙つて背を撫でくるる
                         『葦舟』
今回は私自身が、あまり虚勢を張らず、彼女と一緒に悲しむことに、あるいは悲しみを伝えることに躊躇しなくなったことが、彼女を安心させたのだろうか。実のところ、再発がわかってからは、私自身も強がりばかりを徹すことなく、時には河野の膝に顔をうずめて、あるいはその背にすがりついて、死ぬなと泣いたことが何度かあった。泣いてしまうことが河野をいっそう不安にしてしまうかもしれないとは思いつつ、そんな余裕をも失って号泣したのだった。

【関連読書日誌】

  • (URL)“寂しくても、暖かかったと感じてくれたことを、そして、私と出会って、私たち家族と出会って幸せだと思ってくれたことを、今は何にも替えがたい彼女からの最後の贈り物だったと思うのである” 『つひにはあなたひとりを数ふ』 河野裕子と私 歌と闘病の十年 (最終回) 永田和宏  波 2012年 05月号 新潮社
  • (URL)“僕はその日,学術的な講義をするふりをしながら,自分という人間を空き瓶に詰め込み,海辺に流れ着いたその瓶を子供たちが拾う日のことを考えていた.” 『最後の授業 ぼくの命があるうちに DVD付き版』 ランディパウシュ, ジェフリーザスロー, 矢羽野薫訳 武田ランダム

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

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河野裕子歌集

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歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子闘病の十年

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