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“優れた発想や計画はイノべーションには欠かせません。ただ何より時機が肝心です” 『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』 ジョン・ガートナー 文藝春秋 (その2/3)

世界の技術を支配する ベル研究所の興亡

世界の技術を支配する ベル研究所の興亡

『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』(その2/3)
第二部 自壊する帝国
第12章 アイデアの仕掛け人
P.222

天才クロード.シャノンと経営者マービン•ケリーの中間的な存在が、ジョン•ピアースだ。持ち前のセンスで、実現可能なアイデアを見抜き牽引してゆく。

P.232

また友人であったSF作家のアーサー・クラークに、海上•海底通信の歴史について書くよう勧めたのもピアースだ。またクラークがマレーヒルを訪れた際には、研究所の音響部門の科学者たちが製作した、コンピュータの歌う『二人乗りの自転車』を聞かせた。これはその後、映画『2001年宇宙の旅』に使われることになった。また数学部門のスタッフが「ウェブスターの収斂」ゲ―ムをしていたとき、「おまえら全員クビ!」という悪名高い文章を黒板に書いた管理職というのもピア―スだ。

第13章 通信衛星を宇宙に放つ

ジョン・ピアースの旗振りで、シリコン太陽電池やレーザーなどの技術を総動員した通信衛星を打上げる。これぞ、宇宙空間を使った最強の通信ケーブルだ。

P.261

完成したテルスターは、「イノベーションは機が熟したときに起こる」といぅピアースの持論を裏づける完璧な例といえた。テルスターは単一の発明ではなく、ベル研究所が過去ニ五年間に特許を取得した一六の発明を融合させたものだった。「そのなかに宇宙で使ぅために開発されたものは一つとしてなかった」とニューヨーク・タイムズ紙は指摘している。とはいえ、その一つでも欠ければ能動衛星は生まれなかった。

第14章 携帯通信プロジエクト

六四年万博で、ピクチヤーフォンがお披露目される。同時期、移動先で電話を受け取れる通信システムも考案され、巨大な未来プロジェクトと目された。

P.275

技術の未来を予想するのが簡単であったためしはない。ジョン.ピアースが「予測を立てることを生業とする人々は、必ず恥をかく」と常々語っていたのはこのためだ。それでもベル研究所に身を置き、その結果アメリカ政府から電気通信の未来を託される立場にあれば、予想を立てないわけにはいかなかった。ピアースらは、一つの未来予想にどの程度肩入れすべきなのか。またその未来とはどれほどの速さで実現できる、もしくは実現すべきものなのか。

第15章 覇者のおごり

 失策が目につき始めた六〇年代以降。集積回路光ファイバー開発で競合他社に先を越され、誰もが成功を疑わなかったピクチャーフォン事業は苦戦する。

P.302 光はデータを運べるか

「コンフナーは一九六〇年に世界中をまわって優秀な人材を確保しようとした。彼がほしかったのは優秀な人材、ただそれだけだ」とハーウィグ・コゲルニクは語る。「そうした人材に会うと、コンフナーは専門分野を『レーザーおよび光通信研究』に乗り換えるよう説得した」

P.304。

またカオは、ベル研究所の科学者たちの考え方に影響を与えた様々なプレッシャーとは無縁だった。研究所の上層部は導波管に未来を託してしまっていたが、カオは違った。光ファィバーの歴史を研究するジェフ・ヘクトは、(AT&Tの財務担当者と違って)カオは長年にわたる資金や労力のモトを取か必要がなかった、と指摘する。
 またカオの目的は、AT&Tのそれとは違っていた。イノべ―ョンは二―ズから生まれる部分が大きい。カオを含めてヨーロツバの電話は、都市間通信のために導波管のような複雑な技術など求めてはいなかった。彼らの目的は都市内通信だ。ヨーロッパの都市部はアメリカに比べて人口密度が高く、また互いに隣接している。

P.308

 ただ「認識のミス」と「判断のミス」は別物だ。後者は何らかのニーズや願望を満たすと思われたアイデアが、実際はそうではなかったというケースである。原因は機能に問題があったためかもしれないし、魅力が低いわりに値段が高すぎたためかもしれない。あるいは登場するのが早過ぎた、もしくは遅すぎたためかもしれない。こうした要因が重なった結果かもしれない。いずれにせよピクチャーフォンは「判断のミス」だった。

第16章 独占への揺さぶり

七〇年代初めまでに天才たちが去ってゆくなか、ベル研究所の公開技術を使つた新興企業がライバルとして登場。司法省も親会社AT&Tの独占を訴えた。

第17章 
イノべーションのジレンマ

携帯電話、光ファイバーで成果をあげるも、AT&Tは分割の危機に直面。卓越した新技術は模倣され、その独占は崩れる。これは避けられない宿命だつた。

P.341

「携帯電話を支えるのは無線技術ではなく、コンピュータ技術だ」とフレンキエルは指摘する。携帯端末と最寄りのアンテナの間で信号を送受信するのも確かに難しいことではあったが、携帯電話システムの革新性はそこにあつたのではない。むしろ革新的なのはシステムのロジック、すなわち < ハチの巣〉の中を移動するユーザーの位置を把握し、その通話信号の強さをモニタリングし、ユーザーが
移動するのにともなって通話を新しい伝送路やアンテナ塔に引き渡すためのロジックである。

第18章 天才たちの晩年

 学術界や産業界で厚遇され、恵まれた余生を過ごすかつての主役たち。だが、起業に失敗したビル・ショックレーは、優生学にのめり込むなど迷走を重ねる。

P.378

 ジャグラーがボールをつかむと、人差し指と中指の電子回路がつながり、タイムレコーダーが動き出す。その直後にボールが手から離れると、回路が切断され、タイムレコーダーも止まる。シャノンはジャグラーの手から再びボールが離れるまでどれくらい長く掌中にとどまっているかを正確に測定し、何百ぺージにもわたるデータをそろえた。この情報からジャグリングの物理を支配する理論的方程式− (F+D)H=(V+D)N −を導き出した(シャノンのジャグリング仲間であったアーサー•ルーべルによると、Fはボールが空中にとどまる時間、Dはボールがジャグラーの手にとどまる時間、Vは手が空いている時間、Nはジャグリングされるボールの数、Hは手の数を表すという)。

P.382

ピアースはその後、カルテックに戻った。それまでの六年間、研究や大学院生の指導をしていたが、そうした環境に適応することに難しさを感じていた。ベル研究所では毎日したいことだけをしていた。管理職としての役割を果たすには、部下の研究室に予告なしに顔を出し、「進んでるかい?」と尋ねれば十分だった。それがカルテックでは、あらかじめ決められた時間に講義をし、さらに複雑な概念を何時問もかけて大学院生に説明しなければならない。ベル研究所では同じような会話を同僚と交わすにも、数分あれば済んだ(同僚が実際に彼の説明を理解したのか、それとも質問を受ける前にピアースが部屋を出てしまったのかは議論がわかれるところだが)。
カルテックにはうまくなじめなかつた」とピアースは後年吐露している。

P.385

「私の人生は驚きに満ちていました」。コンサートでのスピーチではこぅ語った。そして衛星通信やデジタル通信、電話のスイッチングなど自らがてがけた仕事を丁寧に振り返った。「優れた発想や計画はイノべーションには欠かせません。ただ何より時機が肝心です」。ピアースはいまやコンピユータ音楽に時機が到来したのかもしれない、と語った。

【関連読書日誌】

  • (URL)“のちにサイエンティフィック・アメリカン誌が「情報時代のマグナカルタ」と呼んだこの論文『通信の数学的理論』は、特定の事柄というより、一般法則や共通概念に関するものだった。「シャノンは常に深奥で本質的な関係性を求めていた」” 『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』 ジョン・ガートナー 訳: 土方奈美 文藝春秋

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

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