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“ベル研究所の歴史を振り返ると、現実はそれほど単純なものではないことがわかる。またそこからは、われわれが市場の価値を過大評価しがちであることが読み取れる” 『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』 ジョン・ガートナー 文藝春秋 (その3/3)

世界の技術を支配する ベル研究所の興亡

世界の技術を支配する ベル研究所の興亡

『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』(その3/3)
第二部 自壊する帝国 つづき
第19章 巨人の終焉

八四年にAT&Tが分割されると、ベル研究所ではリス卜ラが続き、優秀な人材は流出する。アメリカの技術を支えてきた昔日の面影は、もはや消散した。

P.391

 たとえば一九八六年の段階でも、その先に待ち受ける試練はまだはっきりと姿を現してはいなかった。遠いカリフォルニアからかつての勤務先の運命を見守っていたジョン・ピア―スは、友人への手紙でいくつか問題提起をしている。彼はニ〇世紀の傑出した研究所には明確な目標があった、と分析している。「だれかが何かを手に入れるために彼らを必要としていた。そこには切実なニーズがあり、研究者たちはそれに立ち向かった」。ベル研究所の場合、その〈何か〉とは近代的通信システムだった。未来はベル研究所と、そこで働く研究者にかかっていた。新生AT&Tの下でのベル研究所が新たな使命、新たな目標といったものを見つけられるのか、ピア―スは「物見高い傍観者として」見守っていた。懐疑的だったわけではなく、そうした目標を見つけることは可能だと思っていた。とはいえ、それほど楽観していたわけでもない。「古い世界はすでに崩壊してしまった。ほとんどの人はまだそれに気がついていないだけだ」と指摘している。

P.392

実際AT&Tが分割された当時、経済メディアの間ではIBMAT&Tの覇権をかけた戦いが始まる、という見方が大勢を占めた。だが過去を振り返れば、そうした見通しには無理があった。それまでべル研究所がAT&Tのために作ったものは、すべて独占事業に使われてきたのである。「どれほど企業規模が大きくても補えない差し迫った問題は、マーケティング能力の欠如だ」。タイム誌のジャーナリスト、クリストファー・バイロンは書いている。賢明な指摘といえるだろう。「ベル研究所AT&Tは、一度も何かを売らなければいけない状況に置かれたことがなかった」。それを試みたときには(たとえばピクチャーフォンのケース)、あえなく失敗している。

P.393

 おそらく過去と新たなベル研究所との最も本質的な違いは、力を注ぐ対象が狭まったことだろう。ベル研究所で数学部門の管理職として働いていたアンドリュー・オドリッコは一九九五年、アメリカの技術業界、すなわちベル研究所をとりまく世界で起きている現象について論文をまとめた。できるだけ早く利益を確保しようとする近視眼的な経営によって野心的な研究が少なくなっている、と批判
するのは簡単だが、実際に起こっていることはもう少し複雑である、とオドリッコは論じている。「もはや企業にとり、自由な研究に投資する合理性も必要性もなくなった」
 一つには、画期的な発明が商業的なイノベーションとして利益をもたらすまでにはあまりにも時間がかかりすぎるためだ(利益をもたらす保証もない)。もう一つの理由としては、学術界やかつてのベル研究所のような産業研究所のおかげで、いまや科学の土台が大きく広がったため、世界を変えるような発見や発明を目指さなくても、その土台の上で着実な戦略を実行するだけで企業は十分な収益を生みだせるようになったことがある。
(中略)
 要するこ、企業が画期的発明を生みだし、その恩恵を享受することは困難に、そしておそらく不必要になったのだ。ならば、やめればいい。皮肉な見方をすれば、未来は長期的ビジョンではなく、短期的戦略から生まれるようになった。経営的成功は、驚くべき進歩や飛躍からではなく、狭い競技場の中でひたすら短距離走を繰り返すことにょって勝ち取るものなのだ。「近い将来、アメリカとヨーロッパの産業界で自由な研究が復活する見込みは乏しい。小さな市場セグメントに集中する傾向が強まるだろう」とオドリツコは結論づけている。

第20章 目に見ぇない遺産

トランジスタ情報理論は、グーグル、アップル時代に受け継がれている。だが、ベル研究所なき現在、人類の知を一変させるイノベーションは再び可能か。

P.404

情報量が増えることには予期せざる弊害もある。ニコラス・力ーをはじめとする技術ジャーナリストからは、即時的なコミュニケーションやインターネットが人間から深く思考する必要性や能力を奪っているのではないか、という疑問の声があがりはじめている。「ネットは私から集中や熟考する能力を少しずつ奪っていくようだ。私の脳はネットが供給するままに、すなわち断片的情報が次々と流れてくるのをそのまま受け入れるのにすっかり慣れてしまった」
 これは様々な点において、マービン・ケリーの一九五一年の未来予測(そのほとんどが的中した)の影の部分といえる。ケリIは「未来のネットヮ―クは人間の脳や神経系のような生物学的システムに近いものになるだろう」と語っていた。そしてトランジスタの小型化と省力化が大幅に進んだ結果、スィッチングや地域内通信をはじめ、〈思いもよらないような分野〉で省力化が進む、と見ていた。
それがどこであるのか、今のわれわれにはわかる。

P.411

ジョン・ピアースは、科学の基礎研究や応用研究で成果を出すこと、すなわち科学知識の大きな飛躍をなし遂げることのほうが、そうした成果の開発という行為より価値があると思うほど自惚れてはいなかった。「ベル研究所の社員のうち、基礎研究に従事していたのは一四分の一に過ぎなかった。新たなアイデアを思いつくことより、形にするほうが一四倍も大変だからさ」。とはいえ衛星通信、トランジスタ、レーザー、光ファイバ―、携帯無線通信のような画期的アイデアには、まったく新しい産業を生み出すカがあるごとも理解していた。
ベル研究所の人材管理手法には様々な批判がある」。ベル研究所元社長のジョン・マヨは語る。『だがベル研究所のプライオリティはどうやってアイデアを管理するか』であり、それは人材管理とはまったく違った。だからジョン・ピアースの人材管理はおかしいという人には、『それはそうさ』と言うんだ。なぜなら彼が管理しようとしていたのはアイデアであって、人材ではないからだ。アイデアと人材を同じように管理することはできない。絶対にうまくいかない。だから『ピア―スには管理能力がない』という人には『何の管理能力を問題にしているんだ?』と聞くべきだ」

P.414

簡単にいえば、ピアースは自らにこう問うていたのだ。「ベル研究所の成功要因のうち普遍的なものはなにか」と。一九九七年のメモでは、四つの項目を挙げている。
 ・経営トップを含めて管理職が技術に精通していること
 ・研究者が資金を調達する責任を負わないこと
 ・1つのテーマやシステムに関する研究が何年にもわたって続くこと、またそれが当然とされること
 ・ある研究を打ち切ることになっても、研究者が責められないこと

P.415

 だがベル研究所の歴史を振り返ると、現実はそれほど単純なものではないことがわかる。またそこからは、われわれが市場の価値を過大評価しがちであることが読み取れる。様々な科学的イノべーションを調べた科学作家のスティ―ブン・ジョンソンは、重要性の高い新たな知識を生みだすには、アイデアの交流をうながす創造的環境のほぅが、競争力学よりはるかに有効だとしている。

P.416

もう一つ、ピアースのリストに追加すべきことがある。ジョン・マヨはベル研究所で学んだことを振り返り、こう語っている。「われわれは〈不可能〉とされることが不可能ではないことを学んだ。また何かができそうだと思えば、実際には研究の過程で対象を深く理解することで、当初考えていたより1000倍も優れたものができることも学んだ」。ここには非常に重要な真実が隠されている。ベル研究所が誕生したとき、すなわちフランク・ジューェットとハロルド・アーノルドが、後にベル研究所となる研究チームをウェスタン・エレクトリックの社内に立ち上げたときからあった発想だ。二人は、研究者に技術への理解を深めさせることで、有益という次元を超えた革命的な進歩が生まれると見ていたのだ。

P.418

そうだとすれば、おそらく情報技術産業から新たなベル研究所の出現を期待するのは間違っているのだろう。ほかの産業をあたったほうがよさそうだ。一つ候補になりそうなのが、ワシントンDCから三〇マィル北にある「ジャネリア・ファ一ム」だ。六八九エー力―の敷地に広がるこの施設群は、ハワード・ヒューズ医学研究所に付属する一流の研究センタ―である。ジャネリアはニ〇〇六年、生物医学の土台となるような基礎研究に取り組むために設立された。モデルはベル研究所で、運営資金は財団として数百億ドルの資金規模を持つハワード・ヒューズ医学研究所が提供している。

情報源について、及び、注より
 クロード・シャノンについて:この人は周囲の誰もが認める天才、真の科学者、すごい人だ
・暗号研究への貢献:デビッド・カーンの普及の名著『暗号戦争−日本暗号はいかに解読されたか』
・通信技術の基礎への貢献:"Silicon Dreams" ボブ・ラッキー、"Principle of Digital Communication" ロバート・ギャラガ
・情報社会の発展への寄与:“The information”ジェームズ・グライク

YouTube のドキュメンタリー:“Claude Shannon: Father of the Information Age”
情報理論の誕生:“The Essential Message”エリコ・マルイ・グィッツォのMIT学位論文

・ウイリアム・パウンドストーン“Fortune's Formula”『天才数学者はこう賭ける』
【関連読書日誌】

  • (URL)“のちにサイエンティフィック・アメリカン誌が「情報時代のマグナカルタ」と呼んだこの論文『通信の数学的理論』は、特定の事柄というより、一般法則や共通概念に関するものだった。「シャノンは常に深奥で本質的な関係性を求めていた」” 『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』 ジョン・ガートナー 訳: 土方奈美 文藝春秋
  • (URL)“優れた発想や計画はイノべーションには欠かせません。ただ何より時機が肝心です” 『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』 ジョン・ガートナー 文藝春秋 (その2/3)

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

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