“箱庭療法はつまり、言葉にしないことに意味があるということなのか。では、言葉にしないことでなぜ回復につながるのだろうか。患者がいて、そばで見守る治療者がいて、共に箱庭を鑑賞する。そんな日々を重ねるだけでなぜ人が治るのか” 『セラピスト』 最相葉月 新潮社 (1/2)
- 作者: 最相葉月
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/01/31
- メディア: 単行本
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最相葉月氏の著作の中でも出色のものである。主たる取材対象は、故河合隼雄の流れをくむ人たちと中井久夫。第二次大戦以降の近代科学の流れの中で、ユング・フロイトの精神分析というと、少し距離をおいてみてしまうところがある。いわゆる、アメリカを中心としたカウンセリングの起源、日本への流入、発展の経緯が丁寧に書かれており、日本のカウンセリング史が非常に良くわかる。そして、河合隼雄や中井久夫が果たしてきた役割についてもよくわかる。さらに、特徴的な点は、取材を通してたどりついた、著者最相葉月自身の考えが強く表れている点である。その理由は本書の最後で明らかになる。
さあ、そろそろ書き始めてみようか。この五年間、おずおずと歩き回った心理療法の界隈について。私が見たカウンセリングの世界、守秘義務といぅ傘の下にある、人と人の心の交わりと沈黙について――。
第1章 少年と箱庭
P.48 故河合隼雄を知る木村晴子を訪ねる
「そうそう。夢分析と箱庭療法を比べたとき、どちらのほうが深いかとよく議論になるんですが、夢のイメージはたしかに深いところから出てくるけど、相手に伝えるときに言葉にするでしょう。そうしないと語れませんからね。言葉にしたその時点で、削ぎ落とされてしまうものがある。だから、言葉にしないぶん箱庭のほうが深い。箱庭びいきからいわせるとね」
箱庭療法はつまり、言葉にしないことに意味があるということなのか。では、言葉にしないことでなぜ回復につながるのだろうか。患者がいて、そばで見守る治療者がいて、共に箱庭を鑑賞する。そんな日々を重ねるだけでなぜ人が治るのか。そもそも、治る、回復する、とはどういうことなのか。
P.50
河合隼雄も生前、「深い治療をしようという人は、自分のことをよく知つていないとだめです。自分自身をよく知るためにも、カウンセラ―になる人はカウンセリングを受けるのがよろしい」(『カウンセリングの実際問題』)と書いている。
彼らがそこまで強調するのは、自分を知るということが、プロの臨床家として活動するための出発点であり、患者や相談者を守る技術だからなのかもしれない。
第2章カウンセラーをつくる 東洋英和女学院大学大学院へ自ら通う
そこの学生の談
「感動的な瞬間ではあるのですが、手探りで読んでいた心理学の参考書にあった集団精神療法に似て、その人の感情の深いところまで刺激するため、主催する側に十分な知識と経験、注意深さがないまま実施すれば、これが引き金となって精神的な病を発症する人が出てしまうかもしれない。困っている人のためにと思ってしていることが、一方でダメージを与える危険性もある。それは恐ろしいことなのに、心理学のことを何も知らずにやっていていいのかと思ったんです。幸い、心理学の知識をインプットすれば数年後には会社の知的財産になるはずだと上司もいってくれている。うちの会社はMBA (経営学修士)をもつ人は結構いるんですが、心理学で大学院に行った人はいないので、何か発信できることがあるのではないかと思っています」
P.64
人と人が関わり合えばそこになんらかの感情がわき上がるのは当然で、その感情がカウンセリングの方向性に与える影響は計り知れない。この感情について最初に指摘したのは精神分析の創始者ジグムント・フロイトで、クライエントが医師やカウンセラー、すなわち、セラピストに抱く感情を「転移」、逆にセラピストがクライエントに抱く感情を「逆転移」と呼んだ。
P.67 河合隼雄氏の講演から
われわれ臨床心理土が社会の要請に応えてやることの根本にこのことがあるというふうに思います。「真つ直ぐにきちんと逃げずに話を聞く」ということ、これがなかなか社会の中で行われていない、これは家庭の中でも行われていない、会社の中でも行われていない、友人同士でも行われていない、それをわれわれはきちんとするということだと思います。 (「基調講演臨床心理士への社会的要請をめぐつて」)
P.77
「カウンンセラーが一人前といわれるには、二十五年はかかるといわれています」
研修機関で講師を務めるベテラン臨床心理士の言葉を聞き、大学院で出会った人々がこれから向き合わねばならない多くの困難を思つた。
第3章 日本人をカウンセリングせよ
P.79
今日的な意味でカウンセリングという言葉が使われるようになつたのは、二十世紀初頭のアメリカである。急速な工業化を背景に都市部の人口が急増し、失業や貧困、スラム化などの問題を抱えることになつた当時の社会で、ほぼ同時期に展開した、三つの分野――職業指導、教育測定、精神衛生――での運動を起源とする。
P.113
河合は自伝『未来への記憶』においても、ロジャーズの功績を大きくニつ指摘している。一つは、カウンセラーの受け答えによつてクライエントの話が左右されると説いたこと。もう一つは、精神分析の理論を携えずともカウンセリングができることを逐語録をもとに明快に示してみせたことである。
第4章 「私」の箱庭
P.129 木村晴子の論文「中途失明女性の箱庭製作」のクライエント、伊藤悦子さん
伊藤はこの頃、キユーブラ・ロスの『死ぬ瞬間』を読み、視力をなくしていく過程は死を宣告された人がそれを受け入れていく過程に似ていると感じていた。この本は、死を宣告された人が①否認と孤立、②怒り、③取引、④抑うつ、⑤受容、の五段階の過程を辿るという「死に至る五段階説」で知られ、この説ばかりが一人歩きして多くの誤解や批判を招いていた。しかし伊藤は、精神科医であるキユーブラ― ・ロスが終末期にあるニ百人以上の患者に向き合い患者自身に自分の病気や死について語ってもらった、対話そのものに本書の素晴らしさがあると思った。
第5章 ボーン・セラピスト
P.160 生まれながらの治療者、と呼ばれる山中康裕京大名誉教授、
Y少年や伊藤悦子の箱庭の経緯を見た今では、山中のいうこともわかるような気がする。回復には言語を必ずしも必要としないこと。絵を描いたり砂の上に玩具を置いたりするとき、クライエントは必ずしも意識的ではないこと。それでも、箱庭や絵画にィメ―ジの世界が展開することによってクラィエントは変容すること。言語や意識が人を治す、ではなく、言語や意識が介在しなくても人は回復する、である。
P.162
たとえクライエントが沈黙していたとしても、箱庭に展開されるイメージをてがかりにすれば、クライエントの変化が読み取れる。精神分析やロジャースの方法など、クライエントとセラピストの対話のみで成立する心理療法が、クライエントが沈黙する手立てを失ってしまうのと対照的である。
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【読んだきっかけ】東京丸の内丸善で購入。
【一緒に手に取る本】
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