“「どんな時でも、笑顔を忘れるな。困った時、怒りたくなった時、辛い時、すべて、皆の顔を見て、笑顔を見せなさい。それができれば、あなたは生き残れる」” 『 ゴジラで負けてスパイダーマンで勝つ: わがソニー・ピクチャーズ再生記』 野副正行 新潮社

ゴジラで負けてスパイダーマンで勝つ: わがソニー・ピクチャーズ再生記

ゴジラで負けてスパイダーマンで勝つ: わがソニー・ピクチャーズ再生記

新潮社の波2013年11月号に、元ソニー執行役員ソニーEVPの北谷賢司氏が、本書によせて『ミッションは「どん底をトップに」』なる文章を書いており、そこでこんなことを書いている。

ニューヨークの米国ソニー本社からハリゥッドへ向かった。その出発の直前、私は野副さんに進言した。
「スタジオでは、どんな車に乗っているかでまず値踏みされる。ソニーの社内規定に構わず、高級車を調達すること。それから、スタジオ幹部や業界人を家に招けるよう、これも遠慮せずに豪邸をビバリーヒルズ周辺に借りること」

 数々の功績にもかかわらず、野副さんは少しも自慢顔をしていない。だが、本書の内容は、企業経営に腐心する者にも、映画・テレビ・出版・ゲームといったコンテンツ産業に働く人たちにとっても、眼を見開かせるものがある。彼は日本人として初の(そして、今後、二度と生まれないかもしれない)メジャースタジオ社長にまでなつたのだが、なぜかソニー本社はあまり積極的に広報せず、その功績はほとんど知られてこなかった。今回、この自伝によって一端なりとも,記録に残されたことは、映画ビジネス史上、大きな価値があると思つている。

これは読まないわけにはいかない。
P.4

期待を込めて封切りした「アメリカ版ゴジラ」で大失敗したことで、私たちは、大きな現実的教訓を得て、転換に踏み切ることができた。コンテンツ産業も企画の段階から立派に数値化でき、業績を安定化させ伸ばしていけることは、いまやアメリカの主要映画会社の中でトップとなり「宝石」と呼ばれるに至った「かつてのお荷物」SPEが証明している

P.5 SPE異動時、ソニー会長だった大賀氏からいわれたこと

「エンタテインメント業界が、これまで見てきたエレクトロニクス業界とはまったく異なることを、あなたは実感するだろう。もうひとつの難しい点は、あなたは“本社から送り込まれた素人”と見られることだ。その中で、どうやっていくかを教えてあげよう。どんな時でも、笑顔を忘れるな。困った時、怒りたくなった時、辛い時、すべて、皆の顔を見て、笑顔を見せなさい。それができれば、あなたは生き残れる」

P.38

 読者の中には、アメリカでも株式を上場しているソニーによる突然とも言える巨額償却を、米国の当局がよく許したものだと疑問を持だれる方もあるだろう。それはそのとおりで、当時は現在と比べるとアメリカの証券取引委員会(SEC)もまだ穏やかだった。

P.45 このジョン・キャリーのエピソードは、胸に染みるものがある。

自身がやつていること、立場、持っている権力、それに対する周りのへりくだり、へつらい、ご機嫌とりといつたすべてに対して、「違う、そうではない!」と心の中で叫ぶ自分に気がついたこと。周りが引き止めるのを振り切って、すべての職を辞し、ハリウッドから遠く離れたニューヨークの島に引き移つたこと。ロングアィランド海峡にあるその島(いかにもハリウッドの成功者らしく、その島ごと彼の所有だった)で太陽の光と海からの風を受けて読書三昧で過す日々を送り始めたこと。
 その後、コネチカット州の田園地帯に移ってから読んだ日系英国人作家カズオ・イシグロの『日の名残り』に感銘を受け、ぜひ映画にしたいと再び立ち上がつたこと。さらには、大手タレントエ―ジエンシ―、CAAを率いていたマイケル・オービッツに依頼されて、当時メトロ・ゴ-ルドウイン・メイヤー(MGM)の傘下にあったユナイテッド・アーテイスツの社長に就任してハリウッドに復帰したこと……。

wikipedia によれば

Calley attended Columbia University in the late 1940s, and then briefly served in the Army.[8] His early life also included working for his father―"who had possible criminal ties"―as a used-car dealer.[9] His first significant industry job was at NBC's New York headquarters, at age 21,[10] when he started in the mailroom.[9]

(John Calley, http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=John_Calley&oldid=591915194 (last visited Mar. 2, 2014). )
P.82

このように制作をスタ―トさせる決定を下すことを、ハリウッドではグリ―ン・ライティングと呼ぶ"信号を青に変える」という意味で、グリーン・ライテイングを行なうか否かは央画制作において最も重要な判断とされる。そして、どのスタジオでも誰がその決定権を持っているのかが常に問われる。グリ―ン・ライティングを行える者はスタジオにおいて絶対的な権限の持ち主だが、成功と失敗を分ける非常に重い責任を負う。

P.153

今になって経営論的に述べるなら、イメージワークスの成功の鍵は、ひとつは当時のソニー本社の経営トップの大賀さん、出井さんの忍耐力、我慢強さが、多くのネガティブな意見や見方を封じ込んだことにある。SPEトップのジョン・キヤリーが、私の言葉を信じてこの事業を任せてくれたことも同様だ。そして、もうひとつの鍵は、われわれの目標と理想を信じ、がむしやらに走り続けてくれたサーノフとイメージワークスのスタッフの情熱と行動力だつた。

P.198 エリアカザンが、アカデミー賞特別功労賞を受賞したときのエピソード

この赤狩りで俎上に載せられた監督や脚本家、俳優などは三百人以上に上り、中には、自殺したり、それから職につくこともままならず寂しい生涯を送ったりした人もいた。英固人のチヤップリンの場合、アメリカに住むのを許されなくなり、残る生涯をヨーロッパで暮らすことを余儀なくされた。
 そうした人々の名を非米活動委員会に告げざるをえなかった人物の一人が、エリア・カザンだった。彼がそのことでいかに悩み、その後の映画づくりにいかに懺悔の念を込めたかは、作品自体が物語つている。だが、赤狩りが止んでから半世紀近くが過ぎた九九年の時点でも、ハリゥッドではまだ彼を許してはいない人が多かつた。
 特別功労賞を受け、映画人の前で話す機会を得たカザンは、スピーチの最後にこう述べた。
「これをもって私は皆さんの前から消え去ります」
彼は、消え去ると告げるのに「slip away」と言つた。すーっと消えていくという印象の強い表現だ。私は今でも、あの言葉の響きと、それをロにした彼の姿を忘れることができない。

おわりに

日本の活力が失われ、飛躍へのエネルギーが生まれてこない理由は、やはり経済が活性化していない点が一番に挙げられる。やりたい仕事が見つけられないということが、若者から夢や元気を奪い、彼らの考え方を弱気で近視眼的で後ろ向きなものにしている。街に出れば、商品やサービスの価格は、その質とともに低下している。まさに「安かろう、悪かろう」でバランスを取つているのだ。欧米とだけでなく、他の伸び行くアジアの各国と比べてみても、日本人と彼らのマィンドセット(心のありよう)の差は一目瞭然だ。曰本は全てにおいてマィナス方向の回転になつてしまつている。
 逆に言うならば、この国を再び生まれ変わらせ、生き生きとした国にするにあたっての最大のテ―マは、経済の立て直しだ。再び政権の座についた自民党政権が目指しているのもこの一点である。
 では、どうすれば日本経済は再建できるのか。やるべきことはたくさんあるが、どこに焦点を当てた動きが必要なのであろうか。既に多くの方が指摘しているが、一つのヒントはスピードと国際化だ。

【関連読書日誌】

  • (URL)“瞬発力と集中力と持続力を身につけて、知性と品性と感性を磨く。磨いて、磨いて、磨きつづける。あるとき、ふっと深い霧が晴れるように、何かが少しだけ見えてくる” 『私 デザイン』 石岡瑛子 講談社

【読んだきっかけ】新潮社波2013年11月号、来週 SPEの人と会うこともあり。
【一緒に手に取る本】

アカデミー賞―オスカーをめぐるエピソード (中公文庫)

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グラミー賞 ([MOOK21]シリーズ)

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エリア・カザン自伝〈上〉

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