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“アーレントはナチズムやスターリニズムの終焉後も生き残りうる「全体主義的な解決法」(複数性の抹消)にたいして警告を発しつづけたのだった”  『ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 」』  (中公新書) 矢野久美子  中央公論新社 (1/3)

ハンナ・アーレントの伝記,解説として,出色の本.
最晩年のハンナ・アーレントの写真は,晩年の加藤周一の風貌を思わせる.加藤周一アーレントも,きっとどこか接点があるだろうな.
今日(2014.7.9)の朝日新聞朝刊でも,ハンナアーレントが扱われていた.映画『ハンナ・アーレント』があれだけ評判をよび,アーレントが読まれているあたり,まだすてたもんじゃないと思う,
『イェスラエルのアイヒマンを書いたアーレントは,ユダヤ人から猛烈な批判を浴び,友人も失った.それは,『夜と霧』を書いたヴィクトール・E・フランクルがオーストリアで批判にあったのに似る.人類が引き起こしてしまった悲劇を,自分とは違う特別種類の人たちによる特別な出来事ととらえるのか,同じ「人間」としての悲劇だととらえるのかの違いであろう.
帯より

全体主義の起原』『人間の条件』などで知られる政治哲
学者ハンナ•ア^―レントニ九◦六―七五)。末曾有の破
局の世紀を生き抜いた彼女は、全体主義と対決し、「悪
の陳腐さ」を問い、公共性を求めつづけた。ユダヤ人と
しての出自、ハイデガ礀との出会いとヤスパ礀スによる
蕉陶、ナチ台頭後の亡命生活、アイヒマン論争――。幾
多のドラマに彩られた生涯と、強靭でラデイヵルな思考
の軌跡を、_細な筆致によって克明に描き出す。

第一章 哲学と詩への目覚め 1906-33
1 子供時代
2 マールブルクハイデルベルクでの学生生活
3 ナチ前夜
第二章 亡命の時代
1 パリ
P54 ヨーロッパで財をなしていたユダヤ人富裕層,「長老会議」について

また、慈善団体をいくつももっていたが、慈善事業として資金援助はしても政治的に行動することを忌避し、反ユダヤ主義から避難してきたユダヤ人たちを同胞としては見なさなかった。彼らは、早い時期の知識人亡命者たちのことも「博士様、たかり屋様」と呼び、嫌悪感を隠さなかったが、激増するユダヤ人難民にたいしては、自分たちが同化してきた社会の反ユダヤ主義を高めるとして、厄介払いするような雰囲気もあつたのである。

2 収容所体験とのベンヤミンの別れ
第三章 ニューヨークのユダヤ人難民 1941-51
1 難民として
P,84

アーレントは、「世界でいまあまり好かれていないユダヤ人」にとって必要なのは、感謝を求める同情や慈善事業ではなく、ユダヤ人にたいする宣戦布告をヨー ロッパ諸民族の自由と名誉にたいする攻撃だと見なしてくれる戦友なのだ、と述べている。ア―レントによれば、恩人の政治方針に賛成できなくなったときそれに反対することは、勇気ある行為だった。「反ユダヤ主義者のあからさまな敵意ょり、尊大に感謝を要求したげな庇護者の身ぶりのほうが、ぐさっとくるのです」。これが、アーレントにとって、アメリカの地での最初の論稿になった。

2 人類に対する犯罪
P.89

一九四三年にアメリカでこのアウシユヴィッツッの嚼を聞たとき他の多くの亡命者たちと同様にアーレントは最初それを信じなかつたといぅ。ブリユッヒャ―もアーレントも日ごろから「連中は何でもやりかねない」と言っていたにもかかわらず、二人とも信じることができなかったのである。

P.96 ドイツにおいて,敗戦の意味をわからせることさえ難しかった

アーレントはこれにたいして、「ひとたびすべてが〈政治化〉されてしまうと、もはやだれ一人として政治に関心をもたなくなる」と述べている。すべての人びとが全体的支配に巻き込まれ、総力戦を戦うとき、選択や決断や責任にたいする自覚が失われる。

3 『全体主義の起源』
P.105 (The Origin of Totalitanism)について」

精神科学における方法。因果性はすべて忘れること。その代わりに、出来事の諸要素を分析すること。重要なのは、諸要素が急に結晶した出来事である。私の著書の表題は根本的に誤つている。『全体主義の諸要素(The Elements of Totalitarianism)』とすべきだった。 (『思索日記礀1950-1953』)

なぜ因果性を忘れなければならないのだろうか。アーレントにとって最も重要だったのは、人間の無用性をつきつけたガス室やそれを実現させた全体的支配という出来事の「法外さ」と「先例のなさ」を直視すること、そして「政治的思考の概念とカテゴリーを破裂させた」その前代未聞の事態と向き合うことだった。アーレントにとって理解とは、類例や一般原則によって説明することでも、それらが別の形では起こりえなかったかのようにその重荷に屈っすることでもなかった。彼女にとって理解とは、現実にたいして前もって考えを思いめぐらせておくのではなく、「注意深く直面し、抵抗すること」であった。従来使用してきた力テゴリーを当てはめて納得するのではなく、既知のものと起こったことの新奇な点とを区別し、考え抜くことであつた。

P.108

宗教的なユダヤ人憎悪とは異なる反ユダヤ主義(反セム主義、アンティセミティズム)は、社会や政治の同時代的な問題状況と並行して現れた。そのさい反ユダヤ主義は、ナショナリズムの昂揚期ではなく、国民国家システムが衰退し帝国主義となつていく段階で激化したということが鍵となる。

P.110

アーレントによれば、余剰になった富とともに、失業してヨーロッパで余計な存在になった人間が植民地へと輸出され、彼らは自分たちを支配的白人種として見なすという狂信に陥った。余計者として国外へと出た人間がそこで出会った人びとをさらに余計者と見なすといぅ構図が生じたのである。また、帝国主義時代の官僚制支配では、政治や法律や公的決定にょる統治ではなく、植民地行政や次々と出される法令や役所の匿名による支配が圧倒的になつていった。

P.114

アーレント全体主義下で遂行された「人類に対する犯罪」を人間の複数性にたいする犯罪であると見なした。人間の複数性とは、共同体に属して権利をもつこと、交換可能な塊に還元されないことと連動するだけではない。ヤング=ブルーエルも強調していることだが、それは、「複数である人間によって複数である人間について語られた物語のなかで真実性をもって記憶される権利、歴史から消されない権利」にも結びつく。これらの要素を分析し、考察しつづけながら、アーレントはナチズムやスターリニズムの終焉後も生き残りうる「全体主義的な解決法」(複数性の抹消)にたいして警告を発しつづけたのだった。

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ハンナ・アレント (講談社学術文庫)

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