“人はみな、もう一つの何かを胸に抱えたまま死んでいく。それを真実とは、呼べないけれど” “異文化とは外国のことではない。異なる世界はすぐ隣にある” 『なんといふ空』 最相葉月 PHP研究所

なんといふ空

なんといふ空

最相葉月氏の書いたノンフィクションは,『絶対音感』『青いバラ』『星新一 一〇〇一話をつくった人』『セラピスト』とずっと読みつづけてきた.『絶対音感』『青いバラ』あたりは,題材の選び方も上手く佳品だが,今ひとつ詰めが甘いと感じ,惜しいなと思っていた.『星新一』各賞受賞した大作で(私が執筆,編集に関わった本が突然引用されていて驚いたものだ),『セラピスト』には深く感銘を受けた,一方,このブログでも記したことがあるが,雑誌の図書や,新書本の一篇として寄せた小文に捨てがたい味と深みがあり,常に気になっていたのである.
 『セラピスト』に書かれているエピソードだが,中井久夫氏に「これまで書いてきた著書のうち,かわいいものは何ですか」と聞かれ,この『なんというふ空』をあげている.「今はもう書けない,愛しい本です」という.それがきっかけとなって再刊されたのが本書.うれしいのは,初版『なんといふ空』に加え,単行本未収録の文章が加えられていることである.
 『セラピスト』と本書を読んで,最相葉月さんのことがよくわかったと思う.本書は,特に前半が良い.味わいのあるいい文章である.向田邦子須賀敦子の文章を思いださせるものがある.本書を読むとわかるのだが,大学時代に劇団に関わり,卒業後,脚本も勉強していたそうである.なるほどと思わせるものがある.最相葉月作の,テレビドラマなど観てみたいものである.
 特に忘れがたいのは,「わが心の町 大阪君のこと」「手紙」「千二百字が生んだ物語」と題された一連の文章.長澤雅彦監督,真中瞳堺雅人主演の映画「ココニイルコト」(2001年)を観てみようと思う(Wikipedia, ココニイルコト, http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%8B%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%88 (optional description here) (as of Sept. 10, 2014, 13:10 GMT). )
 映画監督を目指して松竹に入るも夢かなわず苦労を重なる父親のことなど,人生を考えさせる.山頭火が好きだというのもよくわかる気がする.
P.53

人はみな、もう一つの何かを胸に抱えたまま死んでいく。それを真実とは、呼べないけれど。

P.57

六年前、私のライター初仕事は競輪記事だった。大切なことはみんな競輪場で学んだ。屋台でラーメンを食べながら、予想屋さんや常連客たちの昔話を聞きながら。そして、はずれ車券の山をスニー力ーで踏みしめながら。

色川武大寺山修司みたいだ.
P.114

ろう者の豊かな表現世界を描く労作『もうひとつの手話』(斉藤道雄著)に登場する手話講師はこう語つている。<(手話を学ぶときには)日本語は必要ない。日本語という意識を取り去ってほしい〉
聴者が手話で会話しようとすると、どうしてもそれに相当する日本語を探してしまう。日本語で物を考える。だが、ろう者にとっては手話が母国語。違う言語世界にいるのだ。ならば、どんなコミュニケーションが必要か。
 異文化とは外国のことではない。異なる世界はすぐ隣にある。

P.116

 アメリカの社会学者、D•サドナウの『鍵盤を駆ける手』といぅ本がある。これは、サドナウ自身がジャズピアノをマスタ―するまでのあらゆる過程を意識して、逐一言葉にしていつたジャズプレイの分析本だ。そのリアリティある表現に、山下洋輔も「これ、ぼくが書いたんじゃないか?」と感嘆したほどで、素人が読んでもなかなか興味深い。その第三章にこんなくだりがある。

P.123 テーブルマナーと題された一文.女学生時代に学校で強制的に行われたテーブルマナー教室の可笑しさからはじまって,結婚して指摘された箸の持ち方のおかしさに至る.で,次の一文で終わる.上手い.

わが家は、弟は神社の長女と、私は創業百年になる家具店の長男と一緒になった。.こんなる偶然だろうが、私たち姉弟が引かれたのは、それぞれの伴侶の背から匂い立つ、「世間」の蟬りかもしれなかった。

P.129

第一便を走らせる前年の明治三年、駅逓権正(えきていごんのかみ)に命じられた前島密は、郵便制度の具体案がほぼまとまりかけたころ、まずためしに東海道に通信便を開きたいと太政官に稟議書を提出していた。稟議はすぐに採用されることになったが、『前島密自叙伝』には、この稟議の前後に苦労させられたという四つの興味深いエピソードが記されている。
(略)
 祖父に、おじいちゃんのおじいちゃんは郵便制度をつくった前島密だよと教えられたのは、小学六年生のときだった。飛脚制度を廃止したことで命を狙われ、一時岡山の総社に身を隠した前島の世話をした地元の令嬢が、祖父の祖母だった。息子、すなわち祖父の父が台湾で郵便局長をしていたのは、前島の力添えがあったからではないかといわれている。遠く置き去りにしたもぅひとりの息子について、自叙伝は何も語っていないが。

P.135

 西暦2000年までに留学生を他の先進国なみに受け入れるとする中曾根内閣の「留学生受け入れ十万人計画」(1983)が実現できなかったのは、彼女たちのような留学生予備軍である日本語就学生の抱える問題点がなかなか解決されないことが原因だ。

P.146

安田講堂が落城し、運動が衰退していったころの気分を当時東大助手だった最首悟はこう記している。
「“体制”に対する言葉にならない怒りと、主体性を確立し得ない己への怒りは相変わらずくすぶり続けているものの、かといってあるべき社会も自分の見取図も描けず、すべてのことが気に入らなかった。ことに大学で何かに打ち込みあたかも未来があるかのような顔をしている者たちを嫌悪した。どこに行こうと居場所がないことを意識する、それが踏み出しがたい明日に踏み出す構えといえば構えだった」(「週刊20世紀19 6 9」より)

【関連読書日誌】

  • (URL)“本が出たあと、事件は起こる” 『あとがきのあとで』 最相葉月 図書 2012年 09月号  岩波書店
  • (URL)“やはり人間は燃え尽きないために、どこかで正当に認知acknowledgeされ評価されappreciateされる必要があるのだ” 『災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録』 中井久夫 みすず書房
  • (URL)ナチス•ドイツの焚書は、世界の注目を集めた。最も早く、最も痛烈な非難の声をあげたのはフランスであった” 『ミチコ・タナカ 男たちへの讃歌 (新潮文庫) 』 角田房子 新潮社
  • (URL)箱庭療法はつまり、言葉にしないことに意味があるということなのか。では、言葉にしないことでなぜ回復につながるのだろうか。患者がいて、そばで見守る治療者がいて、共に箱庭を鑑賞する。そんな日々を重ねるだけでなぜ人が治るのか” 『セラピスト』 最相葉月 新潮社 (1/2)
  • (URL)“回復に至る道とはどんな道か。クラィエントとセラピストが共にいて、同じ時間を過ごしなから手探りで光を探す。心の底にひそんでいた自分でさえ気づかない苦悩、悲哀にそつと手を差し伸べる。一人では恐ろしい深く暗い洞窟でも、二人なら歩いて行ける” 『セラピスト』 最相葉月 新潮社 (2/2)

【読んだきっかけ】京都いきつけの書店で発見
【一緒に手に取る本】

絶対音感 (新潮文庫)

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セラピスト

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星新一〈上〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)

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青いバラ (新潮文庫)

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心のケア――阪神・淡路大震災から東北へ (講談社現代新書)

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