“忘れられないのは、川口さんがあの原稿に目を通した直後、皇后様のことを「あの方は三十年もの間、これだけ豊かなものを心に秘めてこられたのですね」と嘆息ともいえる深い感慨をロにしたことだ” 『私たちの幸せ - 皇后様のこと』 (父と母の娘 第11回) 末盛千枝子 波 2015年 02月号  新潮社

波 2015年 02月号 [雑誌]

波 2015年 02月号 [雑誌]

IBBY(International Board on Books for Young People)国際児童図書評議会第26回世界大会(ニューデリー)における美智子妃殿下による基調講演(ビデオ上映)にいたるいきさつを語っている。全文載せたいくらいのいい話が詰まっている。
 大磯での出会いのこと、まどみちおさんの絵本のこと、IBBY世界大会でのビデオ講演のこと、新見南吉「でんでんむしのかなしみ」にまつわる陛下とのやりとり、収録のいきさつ、会場での聴衆の反応などなど。

 一九九八年IBBYのニューデリー世界大会にて皇后さまに基調講演をお願いしたいというィンド支部の四年にわたる熱心な申し出に、どうにか皇后様のまわりの情況も応えられそうになつていた矢先、インドが核実験をするということがあった。私は新聞の一面に特大の活字でそのニュースが報道された朝のことが忘れられない。ああ、これで、皇后様のインド行きはなくなってしまつたと、とっさに思った。そして、案の定、皇后様に行っていただくわけにはいかないという政府の決定がなされた。しかし、その決定は大会の直前まではっきりとはなされなかったので、この世界大会のテーマである「子どもの本を通しての平和」にそって、皇后様は不安がおありだったとは思うけれど、黙々と原稿の準備を進めておられた。それだけに、二週間ぐらい前になっていよいよ不可能になったという時、皇后様は、大会初日の基調講演に穴をあけることになると、長い間忍耐強く待ってくれていたィンドの人たちに申し訳ないという困惑の思いを強く抱かれ、心を痛められた。
 そんな皇后様のお姿に、いてもたってもいられず、島多代さんと私は、この時代、ビデオによる講演という方法があるのではないですかと皇后様にお話しし、結局、NHKの会長を退いたばかりの川口さんに会いにいった。かいつまんで事情を伝え、皇后様からお預かりした原稿を見せると、彼はその場で目を通し、「わかった。どういう方法をとるのがいいか急いで極秘に考えるから」と言ってくれた。本当に時間がないということも話したので、きっとその時すぐに、どのような方法をとるのがいいか、頭の中で組み立て始めていたのだと思ぅ。翌日には川口さんの指示で、当時の放送総局長に会いに行った。放送総局長は、そのとき、「私が新聞の編集局長だったら、この文章は、全文このまま掲載しますね」と言われた。やっぱり、と思った。皇后様の原稿は本当に率直に、皇后様にしかお書きになれない、ご自身の体験から感じ、考えられた思いに充ちた素晴らしいものだった。しかも子どもの読書についての深い思いが込められていた。少人数の担当クルーが極秘に大至急で編成され、不思議な力が働いたと
しか思えないょぅに、すべてがうまく運んだ。

 川口さんのお通夜の日、別室で待機している際に席が隣になったのは、あの収録の時のプロデューサーだった。あまりの偶然に驚きながらも、長い待ち時間にあの時の思い出を小声で語り合った。お互いに、一生忘れられない思い出で、大変な隠密作戦を一緒に戦った同志のょうでもあった。後に『橋をかける』という本にさせていただいたのだけれど、あのご講演は、本当にすばらしいものだった。子ども時代の読書について、後にも先にもあれ以上のものは考えられないと思うくらいであり、そして世界中の子どもの本に関わる人たちにとって、皇后様はかけがえのない大切な存在になった。忘れられないのは、川口さんがあの原稿に目を通した直後、皇后様のことを「あの方は三十年もの間、これだけ豊かなものを心に秘めてこられたのですね」と嘆息ともいえる深い感慨をロにしたことだ。川口さんらしい優しさと皇后様のご苦労に対しての深いいたわりだった。

【関連読書日誌】

  • (URL)その人は、ステージのかぶりつきまで押し出してきて、人一倍大きな手拍子を打ち、踊る役者たちに向って、「イヨッ、日本一!」「待ってマシタ!」等の掛け声をだれ揮ることなく浴びせかけている。「ここにもひとり、本当にテレビドラマを愛している人がいるのだ」と、そう思うよりほかに僕には理解の仕様がなかった。” 『淋しいのはお前だけじゃない』 市川森一 大和書房
  • (URL)本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした” 『橋をかける 子供時代の読書の思い出』  (文春文庫)  美智子 文藝春秋

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

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