“茨木のり子を強い人といってさしつかえあるまいが、それは豪胆とか強靭といった類の強さではなくて、終わりのない寂寥の日々を潜り抜けて生き抜く、耐える勁(つよ)さである” 『清冽 - 詩人茨木のり子の肖像』  (中公文庫) 後藤正治 中央公論新社

清冽  - 詩人茨木のり子の肖像 (中公文庫)

清冽 - 詩人茨木のり子の肖像 (中公文庫)

初の本格評伝であるそうだ。1926年(昭和元年)生まれ、2006年79歳で亡くなった。詩集『倚(よ)りかからず』がベストセラーとなりその名が広く知られるようになたのは、1999年73歳の時である。
その昔、高校時代に読んだ大岡信『詩への架橋』(岩波新書)を懐かしく思いだしますた。
 以前から気になっていた詩人であるが、「清冽」というタイトルと、後藤正治という著者にひかれて、手に取った一書。いい本です。
帯から

彼女が“強い人”であったとは私は思わない。ただ、自身を律することにおいては強靭であった。その姿勢が詩作するというエネルギーの源でもあったろう。たとえ立ちすくむことはあったとしても、崩れることはなかった。そのことをもってもっとも彼女の〈品格〉を感じるのである。
(本文より)

梯久美子による解説

「倚りかからず」に生きた、詩人.茨木のり子。日常的な言葉を使いながら、烈しさを内包する詩はどのように生まれたのか。親族や詩の仲間など、茨木を身近に知る人物を訪ね、その足跡を辿る。幼い日の母との別れ、戦時中の青春時代、結婚生活と夫の死、ひとりで迎えた最期まで――七十九年の生涯を静かに描く。

茨木の詩からとった「清冽」というタイトル、著者が後藤正治ということで手に取った。
P.13 「このような詩句を紡いだ詩人の足跡をたどってみたい」と思う理由は、

 さらに、より大きな理由は、その作業がたとえ徒労に終わったとしても、彼女のもつ固有の清冽なる精神の一端に触れることはできるだろうという確かな予感であった。
 詩人への旅路――。はじめての、未知なる旅を開始したのは訃報に接してほぽ一年後、ニ〇〇七年春である。

神楽坂の鮨屋「大〆」、韓国料理屋「松の実」、旧知の編集者、NHKアナウンサー山根基世らとの三人会、四人会
P.62

本来、東北弁は言葉として形容豊かであり、暗喩やユーモアにおいて秀抜であり、フランス語に似た響きももつ。何ら蔑視されるいわれがないにもかかわらず嗤いものの対象となったのはなぜか。明治維新にさいして東北諸藩の多くが"賊軍"に属し「白河以北一山百文」といぅ言い方でくくられる地とされたこと、さらにさかのぼって、京から見れば北方の「夷狄」といぅ歴史的な観念から由来するのかも、と考察している。

P.75

茨木のり子を強い人といってさしつかえあるまいが、それは豪胆とか強靭といった類の強さではなくて、終わりのない寂寥の日々を潜り抜けて生き抜く、耐える勁(つよ)さである。その資質は、ひょっとして、蓑をまとって通学した母たち、雪国の人々の伝えるものであるのかもしれない。

P.100 Y.Yにとかかれた「汲む」という詩について。

Y.Yとは新劇の女優.山本安英のことである。人は若き日、そうとは知らずに大事な出会いを果たすものであるが、茨木にとって山本はそういう人だった。築地小劇場が創設されたのは一九二四(大正十三)年であるが、山本は研究生としてこれに参加、やがて主役に抜擢され、“新劇の聖女”とも呼ばれた。戦争前、“危険思想団体”ということで劇団は解散させられる。一転、戦争協力に転じた新劇人もいたが、山本はこれにはかかわらず、舞台から退いて逼塞した。終戦時は、結核の療養もあり、疎開先の信州で暮らしていた。

P.104

 山本の自伝的エッセイ『歩いてきた道』(中公文庫、一九九四年)を読んでみた。
 舞台姿の写真も載っている。ー見、はかなげ風の女優であるが、芯に強いものを宿した人であることがひしひしと伝わってくる。総じて筆致は抑制的であり、この女優の人柄も併せて伝わってくる。
 山本から得たものとして,茨木はさらにこう語っている。
〔山本さんは世の中に対しても新劇界に対してもたくさんの批判をもっておられたと思います。でもそれを生の形では発言されなかった。自身は女優であって、世に向かって発言するとすれば劇の演技のなかて凝縮させてやるんだという姿勢を貫かれた。そのことは自分が詩を書くようになって自分が苦しむようになって気づいていったことなんですが……

P.111

山本安英は「茨木のり子さんのこと」で、最後をこう締め括っている。
《茨木さんが何かを求めている、と言いましたが、俳優とはつねに“これから”を目指す存在だと、私は思っています。ある時、ある舞台で咲かせた花は、瞬間に消え去って、何ひとつ跡をとどめるものがない。いつも“これから”を求めていくより仕方がありません。茨木さんはよく、私を、生きる指針にしていると言われる。茨木さんらしい、やさしい、ひとつの励ましのことばだと思っていますが、ほんとうにそんなふうに思ってくださっていたら、それはこわいことです。もし私がまちがったとしたら、いちばん怒るのは彼女でしよう。こわさというよりも刺戟というか、そういう関係をつきつけてくれている。

P.133 「無意識下がきれいすぎる」という谷川俊太郎の評を受けて

無意識下ーとは、自身が自覚し対象化しえない深層の心理、積み重ねてきた人生の累積に潜むもの、あるいは受け継いでいる根深い形質……といったものであろぅ。人はだれも無意識下の水源をたたえ、そこから言葉が表出する。その泉が、茨木の場合、濁った泥沼ではなく、しんとして澄んだ湖のよぅなものが連想されるのは確かである。

P.165 「りゅうりぇんれんの物語」こんな人知りませんでした。

 劉連仁。中国・山東省の出身。戦時中、日本軍にょって強制連行され、北海道の明治鉱業昭和鉱業所の炭鉱労働者となる。終戦のひと月前に炭鉱を脱走。以降、日本の敗戦を知らず、十三年間、道内の山中で逃避行を続けた。穴ぐらに潜んでいるのを発見され、保護されたのは一九五八(昭和三十三)年である。グアム島での日本兵の発見とは別の意味で、戦争の傷痕の深さを知らしめるニュースだつた。

P.199 岩波ジュニア新書『詩のこころを読む』で扱った河上肇について

この学究の人を『貧乏物語』『自叙伝』で知る年配層は数多いだろぅが、詩人であったことを知る人は少なかろぅ。私も茨木の著ではじめて知った。

P.206 死後出版された『歳月』

『權』結成以来の仲間、詩人.谷川俊太郎は、茨木の全詩集のなかでも『歳月』をもっとも高く評価する。谷川は茨木のよき理解者であると同時に、その“行儀の良さ”への批判者であったことは以前に触れた。
「一篇ー篇がいいというより、トータルとしていい。一個の人間、一個の女性であることがにじみ出ている。へえ、茨木さんもこんな言葉を使うんだ、という驚きですね。これまで閉ざしていた無意識下の一部をパ―ソナルとして言葉化したという感じがした。でも茨木さんらしくまだまだ控え目で可愛い出し方ではありますけれどもね」

P.257

《この自由をなんとか使いこなしてゆきたいと思っている》
 こう記してから二十数年、茨木は「寂寥」を道づれにしつつ、決して崩れるこ生き抜いた。

梯久美子による解説より

 本書は茨木のり子という詩人の、人間としてのあたたかさや豊かさと同時に、表現者としてのきびしさと烈しさを伝えてくれる。後藤正治氏の筆が描き出す詩人の肖像にふれるうちに、読者は自分自身の人生を見つめ、問い直さざるを得なくなる。私はこのように深く考えたか。このように人を慈しんだか。誠実に時代に向き合い、果敢に自分の仕事をしたか、と。
茨木の詩句にある〈清冽の流れに根をひたす〉とは、単に安らぎを与えてもらうことで
はないだろう。哀しみを濯ってくれるものは、ときに身を切るようにつめたい水かもしれ
ない。平易で日常的なことばを用いつつ、彼女は決してなまぬるい詩を書かなかった。そ
れは本人の生き方でもあったことが、本書を読めばよくわかる。
(中略)
 それを知りたいと思ったたきっかけは、写真家の石内都氏が撮影した、広島で被爆した女性たちの遺品の写真だった。その中にはびっくりするほどお洒落なワンピースやブラウスが何枚もあった。花柄や水玉模様のカラフルなプリント、レースの縁取り、薔薇の花の形をした飾りボタン……。昭和二十年八月六日の朝に、彼女たちはなぜこんなにきれいな服を身につけていたのか。
 上衣やモンべの下にこっそり着ていたと知って、何ともいえない気持ちになった。明日の命も知れない中、内緒でお気に入りの服を身につけていた若い女の子たち。お洒落をしたいといぅ気持ちは、戦時中であっても同じなのだ。急に彼女たちが身近になり、あの時代と回路がつながったような気がした。
 そのとき、かつて戦争のイメージをモノクロームからカラーに変えてくれた「わたしが一番きれいだったとき」の詩がよみがえった。
(中略)
五十歳を過ぎてから学んだハングルも、韓国の現代詩の翻訳も、ひとすじに続く、彼女の精神の軌跡の一部であった。本書によってそのことを納得してはじめて、私はほんとうに茨木のり子という詩人に出会った気持ちになった。

【関連読書日誌】

  • (URL)“詩は今いるところであなたの心に作用する。知性に働きかけ、感情によりそい、あなたは独りではないとそっと伝えてくれる。” 『イェイツの詩と引用の原理』 詩のなぐさめ1 池澤夏樹 図書 2012年4月号 岩波書店
  • (URL)“人間はすべての過去を言葉の形で心の内に持ったまま今を生きる。記憶を保ってゆくのも想像力の働きではないか。過去の自分との会話ではないか” 『春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと』 池澤夏樹 写真: 鷲尾和彦 中央公論新社

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

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