“人は、人生において重大なことが起こるときには、何らかの予兆があると思つている。これから起ころうとしていることに何らかの予感をおぼえ、それが襲ってきたときには準備ができていると思つている” 『ヴァイオリン職人の探求と推理』 (創元推理文庫) ポール・アダム 青木悦子訳 東京創元社

ヴァイオリン職人の探求と推理 (創元推理文庫)

ヴァイオリン職人の探求と推理 (創元推理文庫)

The Rainaldi Quartet (English Edition)

The Rainaldi Quartet (English Edition)

原著“The Rainaldi Quartet” Paul Adam (Endeavour Publishing)
みすず書房からでている月刊PR誌に「みすず」があるが、毎年1,2月合併号は、読者アンケート特集である。アンケートを寄せている人の一人に、科学史・科学哲学の村上陽一郎先生がいる。今年のアンケートに、村上先生が、なんと推理小説を紹介している。

創元推理文庫から、今年相次いで2冊の作品が上梓された。ボール・アダムの『ヴァイオリン職人の探求と推理』および『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』である。どちらも訳者は青木悦子。推理小説だから、筋立てについては一切語れない。しかし、そこで繰り広げられる弦楽器の製作と演奏に関する細部の描写は、驚くべきものである。作者はイギリス人、ジャーナリストを経て、これまでにも推理小説や、少年の曲芸師を主人公にした冒険小説を発表してきた人だが、一時期ローマにいたことがあり、おそらくそこで、クレモナを中心とする弦楽器製作の詳細を学んだのでは。しかし、演奏の実際に関しても、微に入り細に亘る記述は、自身楽器の演奏をするのでは、と思わせる。後作では、現代のコンクール荒らしに狂奔するステージ・ママまで登場する久しぶりに堪能した。

ヴァイオリンを取り巻くいろいろな状況、裏事情なども垣間見られて、興味深い。推理小説としては、オーソドックスな正統派。
冒頭

人は、人生において重大なことが起こるときには、何らかの予兆があると思つている。これから起ころうとしていることに何らかの予感をおぼえ、それが襲ってきたときには準備ができていると思つている。だがわたしはできていなかった。わたしたちの誰ひとりとして。振り返ってみれば、あれがあまりにも思いがけなく起きたのはよかったと思う。あまりにも衝擊が大きくて、準備などできないものはあるのだ。人はただそれが訪れるのを受け入れ、痛手に耐えて生きていけるよう願うしかない。

【関連読書日誌】

【読んだきっかけ】村上陽一郎氏による推薦
【一緒に手に取る本】

“ニー世紀直前の東京で、通行人があからさまに外国人を凝視するようなことはほとんどない。それでも、日本の全国民から注目を浴びる対象であることを、外国人は常に感じている。人々は直視するわけでも、明確な好意や非難を示すわけでもない。単にちがうということを控えめに示すのだ。日本では、外国人は新たな国の市民――ガイジン――になる。もちろん刺激的ではあるが、精神的な重圧になる場面も多い” 『 黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』  リチャード・ロイド・パリー 早川書房

黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実 (早川書房)

黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実 (早川書房)

原著“People Who Eat Darkness: The True Story of a Young Woman Who Vanished from the Streets of Tokyo--and the Evil That Swallowed Her Up”(Richard Lloyd Parry) FSG Originals
ザ・タイムズのアジア編集長・東京支局長の著者が10年の歳月をかけて取材した内容をまとめたもの。日本在住が長いとはいえ、日本人ではない著者がよくぞここまでかけたものだと感心。英国、米国のいくつかの賞候補になったのもうなずけるし、帯に、高村薫宮崎学、吉岡忍各氏の賛辞があるのももっともである。
 被害者であるルーシー・ブラックマンを軸とした、個人史の集積であり、人間物語であるとともに、優れた日本文化論ともみなせよう。
プロローグより

当初はちょっとしたパズルだったこの事件は、時が経つにつれて難解なミステリへと変貌を遂げた。悲劇の被害者ルーシーは、最後には、日本の法廷での激しく苦々しい論争の主人公になった。事件は日本とイギリスで大きな注目を集めたが、人々の興味には波があった。誰も事件に興味を持たない時期が何力月もあるかと思えば、新しい展開にょって突如として再び脚光を浴びる時期もあった。概要だけを聞けば、ありふれた事件でしかなかった――若い女性が失踪し、男が逮捕され、死体が発見される。しかし詳細を調べてみると、それが非常に入り組んだ事件であることがわかってくる。異様で不合理な展開の連続で、型通りの報道ではすべてを伝えることなどできない。それどころか、ほとんど何も解決できず、新たな疑問を増やすだけだった。
(中略)
大学卒業後、私はほとんどの時間を東京で暮らし、アジアを中心に世界各国を取材してまわった。自然災害や戦争を報道する記者として、深い悲しみや社会の暗い闇を何度も目の当たりにしてきた。しかし、ルーシー事件の取材では、それまで眼にしたことのない新たな人間の側面を垣間見ることになった。まるで、普段いた部屋に隠し扉があり、その鍵を見つけたょぅな感覚だった。秘密の隠し扉の奥には、それまで気づきもしなかった、恐ろしく暴力的で醜い存在が隠れていた。それを知った私は、人知れず自分を恥じ、なんと浅はかだったのかと感じずにはいられなかった。経験豊かな記者であるはずの私から、大都市に潜む異様な何か――職業柄、知っていてしかるべきだった何か――が、すっぽりと抜け落ちていたかのような気分になったのだ。
(中略)
そこで私は、死ぬまえの彼女の人生を描くことによつて、ル―シー.ブラックマンに、あるいは彼女の記憶に、何か貢献ができないかと望むようになった。本書によって、普通の人間としてのルーシーの地位を回復させ、彼女は彼女なりに複雑で、愛すべき女性だったことを証明したいと思う。

P.79

ニー世紀直前の東京で、通行人があからさまに外国人を凝視するようなことはほとんどない。それでも、日本の全国民から注目を浴びる対象であることを、外国人は常に感じている。人々は直視するわけでも、明確な好意や非難を示すわけでもない。単にちがうということを控えめに示すのだ。日本では、外国人は新たな国の市民――ガイジン――になる。もちろん刺激的ではあるが、精神的な重圧になる場面も多い。「当たりまえに生きられないのがここでの生活。いつも何か発見がある」と、晚年まで日本に在住したアメリカ人作家ドナルド・リチーは著書に綴った。「そんな活き活きとした繫がりとともに、外国人がこの国に警戒しながら住んでいるのだ。起きているあいだは、電流が常に流れているようなもの。彼または彼女はいつも何かに気がつき、それを評価し、発見し、結論づける……私は、そんな当たりまえに生きられない人生が好きなのである」

P.196

どんな混乱と悲しみのなかにいても、彼には一歩うしろに引き、嵐のように入り乱れる自らの心理状態を俯瞰して見る能力が備わつていた。「いい買い物でした」とティムは言つた。が、同じ台詞を言う勇気と洞察力を持ち合わせる人間がいったい何人いるだろうか? 彼と同じ状況――普通であれば、詐欺師に辱められたと感じる状況――に置かれた人間が、果たして同じ台詞を口にできるだろうか?

P.492

事件後、ジェーンは心理療法士のカウンセリングを受け、同じように子供が殺害された日本人やィギリス人の母親たちと話をした。誰もが親切で同情的だったが、なんの助けにもならなかった。その後、彼女はEMDR (眼球運動による脱感作と再処理法)という治療に出合う。イラクアフガニスタンからの帰還兵のPTSD治療のために広く使われる手法で、完全なメヵニズムこそ解明されていないものの、その効果の高さには定評があった。

この治療法は、NHKのドキュメンタリーで紹介されていたことがある。
【関連読書日誌】
【読んだきっかけ】書店にて。書評を読んでいたので。
【一緒に手に取る本】

ルーシー事件―闇を食う人びと

ルーシー事件―闇を食う人びと

東京アンダーワールド (角川文庫)

東京アンダーワールド (角川文庫)

東京アウトサイダーズ―東京アンダーワールド〈2〉 (角川文庫)

東京アウトサイダーズ―東京アンダーワールド〈2〉 (角川文庫)

“私見だが、部落差別というのは近代になって生じた問題であり、「解放令」の発布によって生まれたものと考えられる。それ以前は厳然として身分制度があったわけだから、差別はあっても、それを問題にすることなどできようはずもなかった” 『どん底 部落差別自作自演事件』 (小学館文庫) 高山文彦 小学館

2003年、被差別部落出身の町役場職員に対して、たくさんの差別葉書が送りつけられはじめた。6年の歳月を経て、自作自演であったことが明らかになる。事件の顛末そのものには、それほど食指が動かなかったが、『火花 北条民雄の生涯』を書いた高山文彦氏の手になるものであったので、読んだ次第。解説で桐生夏生氏が述べているように、『「部落解放の父」と呼ばれる松本治一郎の評伝『水平記』という大著を著し、本書にも登場する組坂繁之とも交友のある郄山文彦の情熱こそが、本書のもうひとつの読みどころと言えるかもしれない。』
P.40

三つの過去の事件を思ぅたびに、私にはある疑念が深まるばかりなのだ。自作自演の核心には、父親への復讐といぅ心理が隠れているのではないかと――。

P.87

在日朝鮮人の人材育成コンサルタント辛淑玉は、部落出身の元衆議院議員野中広務との対談(『差別と日本人』)のなかで、「差別とは、富や資源の配分において格差をもうけることがその本質で、その格差を合理化する(自分がおいしい思いをする)ための理由は、実はなんでもいいのだ」と、わかりやすく差別の構造について述べている。

P.133

「同和未指定地区も、たくさんある。わしが筑後地協の青年部長だったころ、ずいぶんそうした地区をまわって、同和地区指定をうけるように説得したもんじやが、どこも『寝た子を起こすな』で、このままそっとしといてくれと言う地区が、かなりいまも残っちよる。そういうところの人たちのな力には自分の出身を知らずに育った者もおるけんが、部落差別をする場合が出てくるんじやよ。これはつらい。悲劇じや」

P.151

「だから幸喜、糾弾とはな、個人攻撃をすることではない。個人を差別に走らせるものがなんなのか、つねに視野にとらえておかんといかんのさ」

P.155

明治四年に太政官布告(解放令)――穢多非人などの賤称を廃止して身分•職業ともに平民と同じにすることがしめされたーが発されたとき、各地でこれに反対する一揆が起こっている。このことを考えると、いかにわれわれの祖先である日本の「平民」というものが被差別部落とそこに生きる人びとを忌み嫌い排斥しようとしていたかが知れて、肌の粟立つ思いがする。
 解放令発布の年から明治一〇年までのあいだに、そうした一揆はニー件起きている。一揆とはいえ政府の施設を襲うのではなく、新しく「平民」に組みいれられた部落と部落民を襲うのだ。

P.159

 私見だが、部落差別というのは近代になって生じた問題であり、「解放令」の発布によって生まれたものと考えられる。それ以前は厳然として身分制度があったわけだから、差別はあっても、それを問題にすることなどできようはずもなかった。同じ身分になったがために差別意識が露骨にあらわれ、賤民身分であった者が暴れまわるものだから、よけいに胡散臭がられ忌み嫌われるようになった。同じ身分の者が同じ身分の者を差別するという奇妙なよじれに遭遇した部落民は、町の「平民」から拒否されると「同じ平民じやないか。どうして拒否するのだ」と怒りをつのらせて、さらに暴れる。これが部落差別が「問題」化した最初の姿であろう。

P.162

 日本国憲法第二四条の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」といぅ文章のなかの「両性の合意のみ」と強調している筒所は、連合国総司令部(GHQ)への治一郎の熱心なはたらきかけがあって生まれたものと伝えられる。

P.168

 私見を言うと、ときに報復的で、吊るしあげともとれるような糾弾があちこちでおこなわれ、そのために「部落は恐ろしいところ」といった印象を一般世間にあたえたのは事実であろう。でも差別された側が自殺にまで追いつめられるという悲惨を想像すらできない「虚ろな人びと」にたいして、ときに声を荒らげ、椅子を蹴りあげるのは当然の行為ではあるまいか。暴力の否定は理想だが、悔しさや悲しみや怒りを理路整然と伝えたところで「虚ろな人びと」の心にはただ風のように通り過ぎていくだけだ。どれだけ苦しんでいるか、どれだけ悲しんでいるか、差別をうけた者が毒を飲んで死んでいこうとしているかもしれないのに、黙り込んで逃げを打とうとする「虚ろな人びと」に大声を投げつけてなにがわるい。

P>462 文庫版あとがき

筆者が描いたのは、ひとりの善良な人間が、あることをきっかけに怪物化していく
過程とその顚末である。でも、もぅひとり筆者は主人公を立てている。この作品は、ひとりの被差別部落の若者が大人へと成長していく物語でもある。彼は山岡一郎を信じ、そして裏切られる。でも、その言動には希望が感じられるのだ。

桐生夏生氏による解説

しかしながら、「部落解放の父」と呼ばれる松本治一郎の評伝『水平記』という大著を著し、本書にも登場する組坂繁之とも交友のある郄山文彦の情熱こそが、本書のもうひとつの読みどころと言えるかもしれない。
(平成二十七年五月作家)

【関連読書日誌】

  • (URL)“癩病患者の収容の歴史をふり返ってみるとき、瞭然と浮かび上がってくるのは、...諸外国への体面から癩者をまるで虫げらのように踏みにじってきた、ファシズムとしての医療のあからさまな姿である” 『火花―北条民雄の生涯』 高山文彦 七つ森書館
  • (URL)“日本の国民にはわからないけれど、北朝鮮、韓国、中園、ロシアとは本当に仲良くしておかなければ、将来日本の国は危ない” 『聞き書 野中広務回顧録』 御厨貴, 牧原出 岩波書店

【読んだきっかけ】書店にて
【一緒に手に取る本】

火花―北条民雄の生涯 (角川文庫)

火花―北条民雄の生涯 (角川文庫)

宿命の子

宿命の子

“日本政府の狩猟行政も誤っていました。戦後のー時期に滅少したシカを保護するた 行ったメスジ力の禁猟措置を、これだけ全国的にシカが増えている現在でさえ、まだ継続しているのです” 『ぼくは猟師になった』  (新潮文庫) 千松信也 新潮社

ぼくは猟師になった (新潮文庫)

ぼくは猟師になった (新潮文庫)

 京都大学を出て、本当に猟師になった著者によるエッセー、記録。なるほど、猟師とはこういうものかとたいへんよくわかる。著者の前書きで本書の意図は明快。

 僕が猟師になりたいと漠然と思っていた頃、「実際に猟師になれるんだ」と思わせてくれるような本があれば、どれほどありがたかったか。
 確かに、世の中に狩猟の技術に関する本やベテラン猟師の聞き書きのような本はありますが、「実際に狩猟を始めてみました」という感じの本は見たことがありません。ましてやワナ猟に関する本は皆無に等しいです。
(中略)
 そこで、本書では、具体的な動物の捕獲法だけでなく、僕がどういうきっかけで狩猟をしたいと思い、実際に猟師になるに至つたのかも詳しく書いています。また、獲物を獲ったり、その命を奪った時、そして解体して食べた時の状況をなるべく具体的に書き、その料理のレシピなども紹介しました。
 本書を読んで、少しでも現代の猟師の生身の考えや普段の生活の一端を感じていただけたらありがたいです。そして、僕より若い世代の人たちが狩猟に興味を持つきっかけになれば、これ以上うれしいことはありません。


目次

第1章 ぼくはこうして猟師になった
 妖怪がいた故郷
 獣医になりたかった
 大学寮の生活とアジア放浪
 「ワナ」と「網」、ふたりの師匠
 飼育小屋のにおいがして...初めての獲物
 「街のなかの無人島」へ引っ越す
第2章 猟期の日々
 獲物が教える猟の季節
 見えない獲物を探る
 ワナを担いでいざ山へ
 肉にありつく労力
 シカ、シカ、シカ、シカ、シカ 
 野生動物の肉は臭い? 硬い?
 猟師の保存食レシピ
 毛皮から血の一滴まで利用し尽くす
 力モの網猟は根比べ
 スズメ猟は知恵比べ
 イノシシの味が落ちる頃
第3章 休猟期の日々
 薪と過ごす冬
 春のおかずは寄り道に
 夏の獲物は水のなか
 実りの秋がやってきて、再び
あとがき・文庫版あとがき・解説(伊藤在)

P.79 見えない獲物を探る

 ワナのパーツのなかで一番においがきついのが鋼鉄製のワイヤーです。これだけ不法投棄などで山のなかが鉄くずだらけになっている今、あまり気にしなくてもよいのかもしれませんが、鉄のにおいはけものが嫌うと昔から言われています。確かに、畑を囲むトタンの柵の下を掘って侵入するイノシシもいますし、鉄製の檻でもエサでおびき寄せればイノシシは獲れます。ただ、自分が普段使っている道に突如として鉄製のものがあらわれるとなれば話は変わってくるはずです。僕はワナをしかけたその日からイノシシがその道を通らなくなるということを何度も実際に経験しています。間違いなくその場所に残ったにおいや気配を察知し、嫌がっているのです。

P.97 ワナを担いでいざ山へ

タヌキやキツネは先輩猟師から言われていたとおりやっぱり臭かったです。煮ても焼いても食えないとはまさにこのこと。毛皮獣と呼ばれる由縁がわかった気がしました。
 アライグマは、全国的に急増している外来種で、〓友会に駆除の依頼が来ているほどです。やはり数が多いのでたまにワナにかかります。これも一度食べてみました。原産地である北米のインターネットサイトを調べたところ、「シチューなどにして食ぺる」と書いてあったので、そのレシピを参考にしました。意外にも普通に食べられるのですが、とりたてておいしいわけでもありません。
 それにくらべ、一度だけ獲れたアナダマは非常に美味でした。まるまる太った体にはたっぷりと脂がのっていて、焼き肉にしても煮物にしてもおいしかったです。アナグマは、地方によってはムジナと呼ばれていますが、別の地方ではタヌキがムジナと呼ばれており、よく混同されます。昔話などで猟師がつくるタヌキ汁やムジナ汁は、たいていアナグマ汁のようです。

P.99 肉にありつく労力

雨のあとや急に気温が下がった日などは、獲物がかかることが多いのです。ワナについたにおいが雨で落ちるからとも、気温の下降で冬が近づいていると思った動物たちが、焦って活発に餌を求め動き回るからとも言われています。また、果樹園で働く友人は、雨のあとは木の実がたくさん落ちることを動物たちが知っていて、必ず餌を探しにくると言っていました。これもなかなか説得力のある説だと思います

P.123 シカ、シカ、シカ、シカ、シカ

日本政府の狩猟行政も誤っていました。戦後のー時期に滅少したシカを保護するた
行ったメスジ力の禁猟措置を、これだけ全国的にシカが増えている現在でさえ、まだ継続しているのです。一夫多妻制のシカの場合、メスを獲らなければ、どれだけオスを獲ってもシカは増えていきます。

P.131  野生動物の肉は臭い? 硬い?

 野生動物の肉は硬いと思われているのも、よくある誤解のひとつです。
 動物の肉は、ほとんどの場合、若ければ若いほどやわらかく、歳を取れば取るほど硬くなります。イノシンも例外ではなく、若いイノシシの肉は市販の豚肉のよぅにやわらかいです。

P.155 毛皮から血の一滴まで利用し尽くす

 イオマンテという儀式では、春に捕まえた小グマを一年間、村で育て、お祭りのあとそのクマを殺し、村のみんなで食べます。戦後、野蛮な儀式だと五十年以上にわたり、通達によって禁止されていましたが、環境省が伝統的な祭式儀礼であると認め、ニ〇〇七年にそれがようやく撤回されました。

P.178 スズメ猟は知恵比べ

さらにカラスの剥製を設置します。カラスは賢い鳥のため、スズメはカラスがいる場所を本能的に安全な場所だと察知するらしく、カラスと一緒にいることが多いです。その習性を利用します。

【関連読書日誌】
(URL)“なぜ私は自ら豚を飼い、屠畜し、食べるに至ったか” 『飼い喰い――三匹の豚とわたし』 内澤旬子 岩波書店
(URL)“以前は人が獣類を圧倒していたのに、いまや人が獣類に負け始めている” 『女猟師』 田中康弘 エイ出版社
【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

女猟師

女猟師

“自分の目で見る。 自分の耳で聞く。 自分の頭で考える−。 言葉にすると、当たり前のことのように思えるかもしれないが、他に方法はない。 これこそが現代に必須な「レーダー」なのだ。氾濫する情報に対して“防波堤”を持たすに巻き込まれるのではなく、自らの判断で「何が本当で、何が嘘なのか」を判断することが重要なのだ” 『騙されてたまるか 調査報道の裏側』  (新潮新書) 清水潔   新潮社

騙されてたまるか 調査報道の裏側 (新潮新書)

騙されてたまるか 調査報道の裏側 (新潮新書)

 成田で買って、機上で一気に読む。清水潔さんの初めての新書だとのこと。桶川ストーカ事件、足利冤罪事件での活躍は本で読んで知っていたが、その他にもこれだけのことに関わっていたとは。第12章 命すら奪った発表報道 − 太平洋戦争 は涙無しには読めません。NNNドキュメント 2005年12月4日(日)放映の『婚約者からの遺書  60年…時を越えた恋』の取材記である。
はじめに

 何が本当で、何が嘘なのか−。それを見極めることはとても難しい。人間関係においても常に人を疑ってばかりいては消耗してしまう。しかし、疑うことをやめてしまえば、どんな災難に巻き込まれるかわからない。そんな時代になってしまったようである。
 私は後悔などしたくない。
 得体の知れない情報を鵜呑みにして騙されたり、深層が闇に葬られるのを黙って見ていることなど、まっぴらごめんである。
 “報道人”としての私の原点はそこにある。

よく聞かれることがある。
「なぜあのような報道ができるのですか」
答えはとてもシンプルだ。
おかしいものは、おかしいから−。
それだけである。
たとえそれが警察から発せられた情報や裁判所の判決、マスコミの報道だろうと。
何より私は伝聞が嫌いなのだ。
自分の目で見て、耳で聞き、頭で考える。
ほとんどそれだけを信条にこれまでやってきた。
必然と最終的な責任は私自身に帰する。失敗しても人のせいいはできない。「間違っているのは、自分の方ではないか……」といった不安が常につきまとう。リスクを少しでも減らすには、さらに調べ、裏を取り、取材を重ねるしかない。
 私にとっての「調査報道」とはそういうものだ。

 自分の目で見る。
 自分の耳で聞く。
 自分の頭で考える−。
 言葉にすると、当たり前のことのように思えるかもしれないが、他に方法はない。
 これこそが現代に必須な「レーダー」なのだ。氾濫する情報に対して“防波堤”を持たすに巻き込まれるのではなく、自らの判断で「何が本当で、何が嘘なのか」を判断することが重要なのだ。

目次から

第1章 騙されてたまるか − 強殺犯ブラジル追跡
第2章 歪められた真実 − 桶川ストーカー殺人事件
第3章 調査報道というスタイル
第4章 おかしいものは、おかしい − 冤罪・足利事件
第5章 調査報道はなぜ必要か
第6章 現場は思考を超越する − 函館ハイジャック事件
第7章 「小さな声」を聞け − 群馬パソコンデータ消失事件
第8章 “裏取り”が生命線 − “三億円事件犯”取材
第9章 謎を解く − 北朝鮮拉致事件
第10章 誰がために時効は成立するのか − 野に放たれる殺人犯
第11章 直当たり −北海道図書館殺人事件
第12章 命すら奪った発表報道 − 太平洋戦争
おわりに

第5章のの中から
P.138 それは本当に「スクープ」なのか

私はスクープというものを大きき分けると二種類あると思っている。
 1 いずれは明らかになるものを、他より早く報じるもの
 2 報じなければ、世に出ない可能性が高いもの
(中略)
 ジャーナリストの牧野洋氏によれば、誰が早く報じたのか、という経緯は読者や視聴者には関係ない。アメリカのジャーナリズム界では、速さは評価されず、それは「エゴスクープ」と呼ばれているという。
(中略)
「自分の頭で考える」という基本を失い、「○○によれば……」という担保が無ければ記事にできない記者たち。それは結果的に、自力で取材する力を衰退させ、記者の“足腰”を弱らせていくことになる。

【関連読書日誌】

  • (URL)“物は何も語りはしない。  しかし雄弁にもできる。  真実を語らすことも、嘘に利用することも。” 『桶川ストーカー殺人事件―遺言』  (新潮文庫) 清水潔 新潮社
  • (URL)“「一番小さな声を聞け」というルールに従うなら、この場合、被害者遺族がそれだ。手紙を書き、末尾に自分の携帯の番号を書き入れてポストに入れた。私は手紙ばかり書いている” 『殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』 清水潔 新潮社
  • (URL)“私たちは当たり前のように享受しているこの「戦後」を、二度と「戦前」に引き戻してはならない” 『日本の戦争 BC級戦犯 60年目の遺書』 田原総一朗監修 田中日淳編 堀川惠子聞き手 アスコム

【読んだきっかけ】成田空港の書店にて
【一緒に手に取る本】

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件 (新潮文庫)

殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件 (新潮文庫)

凶悪―ある死刑囚の告発―

凶悪―ある死刑囚の告発―

NNNドキュメント  2005年12月4日(日)/55分枠 

婚約者からの遺書  60年…時を越えた恋
鹿児島読売テレビ日本テレビ放送
鹿児島・知覧で写真の前に立つ伊達さん 「智恵子 会いたい 話したい 無性に…」これは陸軍のある特攻隊員が、出撃の日に愛する女性に書き残した最期の手紙…婚約者からの遺書だ。その手紙を大切にし、ひっそりと生きてきた女性がいる。女性の名は、伊達智恵子さん82歳。結婚式直前の出撃命令、九州まで必死に追う彼女、悲しいすれ違い、永遠の別れ…。今、若い人たちの中で話題になっている芝居「飛行機雲」のモデルにもなった。60年目の夏、婚約者・穴沢利夫さんの最期の地を探し求め、智恵子さんは沖縄に向かう…。
ナレーター:小山茉美

“定型労働に関わる労働者のハタラキは、人数で数えて成果も人件費も管理すればよい。いらなくなれば、辞めてもらえばよい。彼らはタレントではなくワーカーである。「資産」ではなく「費用」である” 『「タレント」の時代 世界で勝ち続ける企業の人材戦略論』  (講談社現代新書) 酒井崇男 講談社

NTT研究所を早期に退職して、人材コンサルティングとして独立した人による人材論。
第一部 タレントの時代
1:「ものづくり敗戦」の正体
P.32

しかし、本来はグローバル市場で稼ぐべき企業の代表が、日立だったのではないのか。日立における海外市場での売上はわずか10%程度しかない。V字回復して利益を上げているなどと言っていても、ただ単にグローバル競争に負けたので、国内市場に逃げ帰ってきて帳尻を合わせているだけである。

P.51

例えば、職種や職位レベルにかかわらず、彼らが共通して口にしていたのは「自分は自分の持ち場はしっかりやっていた」あるいは「任された『おつとめ』はしっかりやってきた。任された分野のプロフェッショナルやスペシャリストにもなった。何が悪いのか」いぅたぐいのものだ。彼らは会社として「お客さんにとって価値がある製品やサービス」を提供できていたのか知らないし関心もない。

2:時代の変化1 市場の成熟化=製造技術の成熟化
3:時代の変化2 情報化・知識化・グローバル化
P.62

一方で、企業の設計•生産側もグロ ―バル化と情報化の進展をいわば逆手にとって発達してきた。ものつくりは、昨今では、情報産業化、知識産業化している。すでに工業化はだいぶ以前に終わり、情報化も終わり、知識化しているのが、現在成功している製造業の姿である。

P.67

 プロダクト・モデルとは、いま述べたようなトヨタの社内システムを上位概念化したものである。これが現在広く使われているPDM (product Data Management)システムの起源だと言われている。PDMシステムは現在ではソフトウエア会社から広く販売され、比較的安価で買えるようになった。ニ〇一四年現在、PDMシステムを使っていない製造業はほとんど存在しないのではないだろうか(現在PDMは、PLM〈product Lifecycle Management〉と名前を変えている)。

4:売れる商品は設計情報の質で決まる
P.77

トヨタでは、利益の九五%以上は、製品を企画•基本設計した段階で計画され、「設計」されている。同社ではそれを原価企画と呼んでいる。この仕組みはすでに六〇年近く前から行われている。この原価企画•利益計画を含めた製品開発は、有名な主査制度(チーフエンジニア制度)に基づき行われている。利益を含ん
だ設計情報は、完成したら、世界中の工場に配備される。一見、資本集約的で労働集約的な自動車産業だが、現在は完全に設計情報の質で勝負がついている情報.知識産業なのである。詳しくは第3部で述べる。

P.80

製品開発は、有名な主査制度(チーフエンジニア制度)に基づき行われている。利益を含んだ設計情報は、完成したら、世界中の工場に配備される。一見、資本集約的で労働集約的な自動車産業だが、現在は完全に設計情報の質で勝負がついている情報.知識産業なのである。詳しくは第3部で述べる。

5:設計情報の質を決める人達
P.89

ではグーグルは、どこが優れていたのだろうか?
 それは、第一に事業目的がはっきりしていたことである。つまり「世界中の情報を組織化し活用できるようにすること」が彼らの活動の目的だった。
 第二に、そのために必要となる人材や技術を獲得し活用してきたことである。採用活動を目的的にトップダウンで組織的に行った。ずいぶんとカネもかけたようである。

第二部 タレントとは何か
1:企業の活動を情報視点で見る
P.102 情報資産の仕掛品――ストックの成長

図2-2 (98ぺ―ジ)をもう一度見ていただきたい。コンセプトが生まれ、詳細設計され、設計情報の完成に至るという一連のプロセスは、各段階で「設計情報」という成果物、つまり無形資産が形成されていくプロセスである。
 図の〇は、完成するまでは、設計情報の仕掛品(しかかりひん)で
ある。仕掛品とは、製造途上の製品のことだ。通常は有形のモノ(製品)について使われる言葉だが、本書のょうに情報視点で見る場合、当然、「情報仕掛品」というものも存在することになる。これはいわば、無形の仕掛品である。

P.106

 グローバル化に失敗している「日本の電機・通信・IT業界の負け組企業」と、「歴史的に官庁需要に応えてきただけの負け組企業」に決定的に欠けているのは、世界中の情報を体系的に収集するビジネスプロセス(=情報の流れ)である。

P.107

成果を出している企業は、研究.技術開発もまた、目的的に行つているということだ。これが、ほとんど成果のないNTTなどと異なる点である。

P.112

 人間の労働は、この情報を創造したり転写したりする文脈の中で位置づけることができる。人間の労働とは、そもそも付加価値を創造することだからである。
 ということは、人間の労働(付加価値を生む人間の活動)は情報視点で見れば、
「情報を収集し」
「情報を創造し」
「情報を転写し」
「情報を発信する」
というビジネスプロセスのどこかに割りつけられている。

2:人間の労働を情報視点で見る
3:人のキャリアを情報視点で見る
P.135

 組織論では、「企業に蓄積される組織能力」のことを、「ケイパピリテイ」と呼ぶ。ケイパビリテイは漠然とした概念で、企業特有の強みのよぅなものとされている。企業競争では、ケイパピリテイを備えることで、競合企業に対して差別化を行っている。
 つまり組織能力であるケイパピリテイは、ストックである。ケイパピリテイは、企業価値評価では無形資産として、金額で評価される資産である。

4:タレントとはどんな人達か
第三部 タレントを生かす仕組み
1:なぜタレントを生かすのは難しいか
P.184 B級人材の心理

 かつて、シリコンバレーのスター卜アップ企業では人材採用の心得として経験的に次のように言われていた。
「B級人材はC級人材を採用する」
「A級人材はA級人材と知り合いである」

P.197

結局、旧式の米国式経営や、学校で教えている経営学が有効なのは、「古典的な資産」とか「権利」のよぅなシンプルな財を扱ぅ単純なビジネスの場合だけである。

2:ソニーの失敗
P.204 時代に合わない米国式経営

 旧弊な米国式経営では、「労働者」を暗に一九世紀からニ〇世紀前半の単純労働者と想定している。石油プラント、バナナ農園の労働者などは、経営学の人材論.組織論でも十分である。そぅした定型労働に関わる労働者のハタラキは、人数で数えて成果も人件費も管理すればよい。いらなくなれば、辞めてもらえばよい。彼らはタレントではなくワーカーである。「資産」ではなく「費用」である。

3:トヨタのタレントを生かす仕組み
4:米国が学んだトヨタ

 ハーバード大学のヴォ―ゲル教授が良い例である。『Japan as No.1』と持ち上げておいて、その傍らでは、日本の成功例、失敗例をくまなく調べていた。米国人は謙虚に調査.研究.学習する点が優れている。これが米国の強みである。
 ところが、その反対に、日本の官庁系に近い一部の企業の人達の間では、手がつけられないほどの傲慢さが目立つ場合がある。自分の頭で考えて素直に学習しない。自分の頭で考える習慣がなくなつている人が増えていることに、私は危機感を持つている。

P.247 製品開発方式の伝達

大学関係者の中で、トヨタの製品開発や主査制度に関して、ある程度正確な内容をはじめて英語圈に紹介したのは、アレン•ウォードといぅ人物のよぅである。
 ウ「ォードは元々、米国陸軍に勤務する軍人だった。MITの人エ知能研究所で博士号を取得したのち、ミシガン大学機械学科の助教授になった。

P.249

 ちなみにウォードは主査のことを、起業家的システム設計者(Entreprneur System Designer)とその著書の中で定義している。
 主査制度はなかなか定着せず苦労したという。試行錯誤する中で、MBAを持つビジネスマンとシステム設計者をニ人ー組にして、主査ー人分の役割を担わせようとしたこともあるという。ところがことごとく失敗してしまつたそうである。
 第2部で説明したようにMBAでは知的基盤が薄弱過ぎて能力的に難しいし、また、単なるシステム設計の専門家でも十分ではないからである。

5:シリコンバレーのシステム
P.267

 現状のシリコンバレーの仕組みでは、息の長い研究開発.技術開発には向いていないかもしれない。ベンチヤ―企業の場合は、短期的なリターンが必要となるフアンドと組んでいることが多い。そのため長期的な事業への取り組みがなかなか難しい。また、米国は歴史的に資本側.金融側のパヮーが強い。そのため肝心の実業のほぅが、資本市場に振り回されているといぅ欠点がある。

エピローグ タレントを動かす目的意識
【関連読書日誌】

  • (URL)“のちにサイエンティフィック・アメリカン誌が「情報時代のマグナカルタ」と呼んだこの論文『通信の数学的理論』は、特定の事柄というより、一般法則や共通概念に関するものだった。「シャノンは常に深奥で本質的な関係性を求めていた」” 『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』 ジョン・ガートナー 訳: 土方奈美 文藝春秋
  • (URL)“優れた発想や計画はイノべーションには欠かせません。ただ何より時機が肝心です” 『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』 ジョン・ガートナー 文藝春秋 (その2/3)
  • (URL)ベル研究所の歴史を振り返ると、現実はそれほど単純なものではないことがわかる。またそこからは、われわれが市場の価値を過大評価しがちであることが読み取れる” 『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』 ジョン・ガートナー 文藝春秋 (その3/3)
  • (URL)シリコンバレーに本物の「最初」はほとんどないと彼らは考える。すべてのイノべーションは他者の肩の上に築かれるのだ” 『 アップルvs.グーグル: どちらが世界を支配するのか』 フレッドボーゲルスタイン 訳:依田卓巳 新潮社

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

世界に冠たる中小企業 (講談社現代新書)

世界に冠たる中小企業 (講談社現代新書)

“鶴見さんは、このひとが同時代に生きていてくれたよかった、と心から思えるひとのひとりだった” 『どこにも拠らずに考えぬいた  鶴見俊輔さんを悼む 寄稿』 上野千鶴子 朝日新聞 2015年7月24日 

鶴見俊輔さんが亡くなった。享年92歳。いずれはこういう時がおとずれるとは思っていたが、大切な人をひとり失った。日本のアカデミアとは全くちがうところにその思想の源流を持つ、という点で、余人をもって代え難い人であった。上野千鶴子さんは、高校生の頃から「思想の科学」の読者で、「鶴見さんは遠くにあって自ずと光を発する導きの星」であり、大学に入学して“上洛”すると同志社大の研究室を訪ねて行ったという。

 「思想の科学」はもはやなく、鶴見さんはもうこの世にいない。いまどきの高校生はかわいそうだ。鶴見さんは、このひとが同時代に生きていてくれたよかった、と心から思えるひとのひとりだった。

 鶴見俊輔。リベラルということばはこの人のためにある、と思える。どんな主義主張にも拠らず、とことん自分のアタマと自分のコトバで考えぬいた。
 何事かおきるたびに、鶴見さんならこんなとき、どんなふうにふるまうだろう、と考えずにはいられない人だった。哲学からマンガまで平易なことばで論じた。座談の名手だった。

 このひとの手によって育てられた人材は数知れない。独学の映画評論家佐藤忠男、「みすずの学校」の高橋幸子、『女と刀』の中村きい子、作家・編集者の黒川創、批評家の加藤典洋…。わたしもそのひとりだった。その幸運がうれしい。

 「思想の科学」の誇りは「50年間、ただのひとりも除名者を出さなかったことだ」と。社会正義のためのありとあらゆる運動がわずかな差異を言い立てて互いを排除していくことに、身を以て警鐘を鳴らした。

【関連読書日誌】

【読んだきっかけ】勤務先の新聞で。
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戦争が遺したもの

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言い残しておくこと

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日本人は何を捨ててきたのか: 思想家・鶴見俊輔の肉声

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鶴見俊輔に学んだ精神医療 ( )

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かくれ佛教

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“歴史は生き残つた者たちの言葉で語られる。しかし戦争の最大の犠牲者は、言葉を持たぬ死者たちだ。あらゆる戦場において、家族への最期の言葉も、一言の文句も哀しみも、何も言い残すことすら許されず殺されていつた人たちの存在こそ、今、私たちが立ち戻るべき原点である” 『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』 堀川惠子 文藝春秋

原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年

原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年

2016年6月16日追記
今月号(2016年6月号)の文藝春秋を買って初めて気がつきました。
http://www.bunshun.co.jp/award/ohya/
第47回大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員会が4月6日(水)午後3時より「日本外国特派員協会」にて開催され、下記候補作品の中から書籍部門は堀川惠子さんの『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』、雑誌部門は児玉博さんの「堤清二 『最後の肉声』」が授賞作に決まりました。
公益財団法人 日本文学振興会
読売オンライン [顔]大宅壮一ノンフィクション賞に決定 堀川さん より
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20160602-OYT8T50007.html
地元テレビ局を経て2004年にフリーになり、テレビドキュメンタリー、ノンフィクションで多くの受賞歴を持つ。今作を含む活動で、今年度の日本記者クラブ賞特別賞も受けた。取材の原動力は「怒り」。命が奪われ、それが単なる数字として扱われる。憤りが、死刑や戦争を巡る硬質な作品を生んできた。
 「本を出しても、番組を作っても、世の中が変わるわけではない。でも、どこかで爪を立てておきたい」。事実に近づくために、現場に足を運び続ける。(文化部 川村律文)

そろそろ、堀川惠子さんの新しい著作がでるころかなと思っていたところ、日曜日の朝日新聞書評欄で本書が取りあげられていた次第。安保関連改正法案が議論されていた5月の刊行。
広島と縁のない人にはほとんど知られていない、原爆供養塔にまつわる物語。供養塔を守り続け、語り部としての活動続けていた、佐伯敏子さんのこと。そして、佐伯さんが養護施設に入り、動けなくなった後、「自分がこれからどうするか、自分の頭で考えんといけんよね」という言葉を聞き、残された遺骨の遺族を佐伯さんにかわって探し歩く。そして、ここで終わらないところが堀川ノンフィクションの凄いところである。日本名と韓国名との二つの名前をもつ韓国からきた人たちの存在。遺骨が誰のものであるか、記録を残したのは誰かという問い。そしてその任にあたったのはが、生き残った少年特攻兵であったという事実。そして二次被爆の被害。陸軍幼年学校の生徒ではなかったということ。
 様々な何人もの人生の物語が綴られる。佐伯一家の歴史でもある。
見返しから

広島の平和記念公園にある原爆供養塔には、
七万人もの被爆者の遺骨がひっそりとまつられている。
戦前、この一帯には市内有数の繁華街が広がっていた。
ここで長年にわたって遺骨を守り、遺族探しを続けてきた
ヒロシマの大母さん」と呼ばれる女性がいた。
彼女が病に倒れた後、筆者はある決意をする―。

帯から、

尋ね歩くうち、万という死者たちの名前を
後世に書き残した少年特攻兵たちの存在を知った。
原爆供養塔にまつられた死者が生き返ることもあった。
そこに遺骨があることを知りながら、
敢えて引き取らなかった遺族の戦後にもふれた。
これまで当たり前のように信じていた事々が、
真っ向から覆されていった。 (本文より)

序章

当時の痕跡をかろぅじて残していた被爆逮物は次々に解体され、今や見る影もない。ビルの谷間に埋もれた原爆ドームは平和都市のシンボルとしての大役を果たしてはいるが、甚大な犠牲のほんの一点に過ぎない。原爆資料館では、訪問者に当時の凄惨な雰囲気を伝えてきた被爆者のケロィド人形が、二〇一六年には撤去されることが決まつた。

第一章 慰霊の場
P.30

多くの人にとつて、もの言わぬ遺骨の存在ょり、明日生きることのほぅがより困難で優先されるべき事象であつた。遺骨の数をめぐる曖昧な発表は、これから後もずつと続くことになる。死者ひとりひとりの存在は、この頃からすでに、おおまかな数字の中に回収されつつあつた。

P.40

佐々木銑の名前を記憶する広島市民は皆無だろぅ。行政があげた成果は往々にして、市長ら政治家の功績として伝えられる。しかし秀でた政治家には必ず優秀なブレーンがいる。一度は霞ヶ関に拒否された供養塔再建計画は、中央からやってきたキャリアの機転と行動力によって実現されることになった。

P.44

しかし戦後わずか数年で、森澤助役が見た東京の中心部と、まだ焼野原が残る地方の広島とでは、まるで別の国に来たかと思うほど、流れる空気がまったく違った。原子爆弾に焼尽くされた広島の生き地獄は、東京では早くも昔話になろうとしていた。

第二章 佐伯敏子の足跡
第三章 運命の日
第四章 原爆供養塔とともに

 この昭和五〇年といぅ年は、一五年にわたり泥沼の状態が続いたベトナム戦争でサィゴンが陥落し、米ソの冷戦がすつかり緩んだ時期だ。国内では初めて、戦後生まれが総人口の半数を超えた。同じ年、広島ではある々事件,が起きた。
(中略)
「広島への原爆投下を、どのように受け止められましたか」
 これに対して昭和天皇は、短く答えた(「昭和天皇実録」より)。

 原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っておりますが、こ、っいう戦争中のことですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っております。

 原爆投下を「やむを得ない」とした天皇の発言は、広島では衝撃をもって受け止められた。あの時の悲惨な無差別殺戮を、そして戦後も緩やかに続く放射線による拷問のような死を、やむを得なかったことにされてたまるものか。天皇がもう少し早く終戦を決めてさえいれば、原爆は落とされなかったのではないか。そんな怒りの声が方々から上がり、立場を異にするあらゆる被爆者団体が一丸となって抗議声明を用意した。

P.164

 敏子は、どこの被爆者団体にも、政治的な組織にも関与せず、距離を保った。その一匹狼ぶりに、「佐伯さんはつきあいが悪い」などとよく言われたが、地元で起こりがちな被爆者同士の争いや、ヒロシマを舞台に繰り広げられた思想的対立の場にも無縁で過ごした。

第五章 残された遺骨
P.192

数年して、ようやく地元の学校からの依頼もあり、保健婦の仕事を再開する気力がよみがえった。ところが故郷に帰って、思わぬ現実に直面する。町や村から広島に派遺された人たちがみな、あの日に見たことを一言も語ろうとしないのだ。思い出すのが辛いからではない。誰に禁じられたわけでもないのに“絶対に口にしてはならぬ”という互いを監視しあうような無言の空気が町中に満ちていた。
 (中略)
 貞安先生が落胆した沈黙の背景には、いくつかの事情が見えてくる。戦後、国内の新聞も雑誌もすベてGHQによる事前検閲を受け、広島の被害、中でも放射線がもたらした人体への影響については徹底的に発表が禁じられた。GHQは日本に対して右手で民主主義の旗を突き付けながら、左手では自国に不利な情報を封じ込めていた。ニ年後、事前検閲制度は廃止され、事後検閲へと緩められていく。だがそのことは却って、国内の報道機関による“自主規制”を強め、被爆の影響に閲する報道をタブー視する風潮は長く尾を引くことになる。

第六章 納骨名簿の謎
P.220

遺体の処理に当たった兵隊の多くは、確かに和田さんのような少年兵であったことは間違いなかった。しかし、人々の話に出てくるような「星の生徒」たちではない。そんな話が今も伝わることに、和田さんは残念でたまらないとこぼす。あの日、この世のものとは思えぬ生き地獄の真ん中で、ともに汗と涙を流したのは、北海道や青森、名古屋、広島、そして九州まで、全国の農村漁村から根こそぎ動員で集められた少年たち。簡素な特攻艇に乗り込み、間もなく海の藻屑と消えようとしていた、死への待合室に待機していた少年特攻兵たちだったからだ。

P.224

 こうやって幸ノ浦の秘密基地から、少年特攻兵たちが続々と大発に乗り込み、爆心の町へと送り込まれていつた。後に多くが二次被爆で命を落としたり、後遺症に苦しめられたりしたことを考えると、これもある意味での特攻だつたといえるかもしれない。

P.245

ボランティアの案内人が、「原爆で戸籍が焼けて分からない」と説明しているのをよく耳にする。しかし実際は、原爆が投下される前、広島市の戸籍簿はすべて疎開させていたため無事だった。時間をかけて継続的な追跡調査を行つていれば、四万人以上もの誤差(本来、四万といぅ数字は誤差の範疇ではないが)が生まれるよぅな試算にはならなかつたかもしれない。

第七章 二つの名前
P.262

被爆して亡くなったのは、日本人だけではなかった。私は、重要な事実をすっかり見過ごしていたことに気が付いた。

P.266

 丁さんは、その時に意外な事実を知った。それまで、軍事都市でもあった広島に暮らす一世たちの多くは、強制的に連行されてきたか徴兵されてきた人たちだろうと思っていた。しかし実際は、よく分からないまま日本に連れてこられたという人のほうが圧倒的に多かった。

第八章 生きていた“死者”
第九章 魂は永遠に
P.331

男性が語ったのは、『黒い雨』にも描かれた「甲神(こうじん)部隊」のことだった。
甲神部隊とは、広島県の甲奴(こうぬ)郡と神石郡の青壮年にょり作られた組織の名称で、軍隊ではない。昭和二〇年三月、国土の防空や空襲被害の復旧に全国民を動員する計画が閣議決定され、各地に結成された「国民義勇隊」のひとつだ。

P.344

佐伯さんは頷きながら、話を聞いていた。そして、「知った者は歩き続けなくてはならないのよ」と念を押すよぅに何度も繰り返した。

P.345

人は、忘れることで救われる。失ってしまった大切な人の哀しみの記憶が、遺族の中で薄れていくのは自然なことだ。しかし私たちが、あの戦争の犠牲となって殺されていった人たちの存在を忘れてはならない、と佐伯さんはいう。今を生きる人たちに「死者のことを忘れないで」と語り続けた人生は、救うことのできなかった家族、そして見殺しにした大勢の死者たちへの懺悔でもあったのだろう。

終章
P.350

 歴史は生き残つた者たちの言葉で語られる。しかし戦争の最大の犠牲者は、言葉を持たぬ死者たちだ。あらゆる戦場において、家族への最期の言葉も、一言の文句も哀しみも、何も言い残すことすら許されず殺されていつた人たちの存在こそ、今、私たちが立ち戻るべき原点である。

P.351

 人間は、愚かで弱い。強いものにすがりたくなる。行儀の悪い隣人がいて、それをやっつけろと責めたてる力強い声が上がれば、賛同したくなる時もある。いざ大きな潮流が動き始めると、どんな優れた政治家も著名な文化人も作家もマスコミも、みなその流れに呑み込まれ、むしろ加担していく。一旦、流れ始めた濁流にひとりで立ちはだかることができるほど、人は強くない。七〇年前、私たちはそのことを経験し教訓を学んだ。

あとがき

 戦後七〇年という節目を機に改めて、市井の人々が受けた痛みを知り、それを相手が受けた痛みへと重ね、あらゆる側面から戦争の周辺にある「記憶」と「事実」を冷静に見つめ直すまなざしが必要です。心地の良い「感情」だけを、事実を計る物差しに使う過ちだけは避けなくてはならないと思います。

   爆心地の碑に白菊を供へたり忘れざらめや往にし彼の日を

 敗戦から七〇年を迎えたニ〇一五年元日に発表された、天皇陛下の歌です。今の天皇陛下は皇室でただ一人、広島の原爆供養塔に足を運ばれた方です。皇太子だった昭和ニ四年、まだ粗末なバラック建てだった犠牲者の塚を訪れ、拝礼されました。原爆投下は「やむを得なかった」とした昭和天皇の発言から四〇年、「爆心地」という言葉が、この節目の年初に天皇の言葉として表れたことの意味を重く受けとめています。

【関連読書日誌】

  • (URL)“どのような過ちを犯した時も、どんな絶望の淵に陥った時も、少しだけ休んだら、また歩き出す力を持ちたい。人は、弱い。だからこそ、それを許し、時には支え、見守ってくれる寛容な社会であることを心から願う” 『教誨師』 堀川惠子 講談社
  • (URL)“土居の第一世代の弟子となった石川は、土居が亡くなる二〇〇九年まで四五年間、「土居ゼミ」に通い、最期まで師事した” 『永山則夫 封印された鑑定記録』 堀川惠子 岩波書店
  • (URL)“今こそ、私たちの来し方を振り返り、戦後の再スタートの土台に据えた精神を思いおこすべきだろう” 『チンチン電車と女学生』 堀川惠子, 小笠原信之  日本評論社
  • (URL)“たった一人でもいい、真剣に、本気で、自分を愛してくれる人がいれば、その人は救われる。それが父や母であればよいけれど、それが叶わないこともあるだろう。” 『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』 堀川惠子 日本評論社
  • (URL)“私たちは当たり前のように享受しているこの「戦後」を、二度と「戦前」に引き戻してはならない” 『日本の戦争 BC級戦犯 60年目の遺書』 田原総一朗監修 田中日淳編 堀川惠子聞き手 アスコム
  • (URL)“罪を犯すような事態に、自分だけは陥らないと考える人は多いかもしれません。しかし、入生の明暗を分けるその境界線は非常に脆いものです。” 『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』 堀川惠子 講談社

【読んだきっかけ】朝日新聞書評で刊行を知って。
【一緒に手に取る本】

教誨師

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裁かれた命 死刑囚から届いた手紙

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永山則夫 封印された鑑定記録

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チンチン電車と女学生 1945年8月6日・ヒロシマ (講談社文庫)

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死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの

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“私たちが今享受しているこの「マルクスの本を読み、マルクスについて論じることができる環境」というのは世界史的には例外的に恵まれた知的環境である” 『マルクスを読む』 内田樹 パブリッシャーズ・レビュー 2015年7月15日号

パブリッシャーズ・レビューは、東京大学出版会白水社みすず書房が発行しているPR誌(8ページのタブロイド新聞)である。各社か交代で紙面を組む。
 元少年Aによる『絶歌(ぜっか)』が話題になっているが、人々が良識と節度をもって行動すれば、言論・思想の自由は守られ得るのか? それは幻想に過ぎないのか。マルクス主義を語ること、論じることができる日本という環境は、東アジアの中で特異な場所であることがわかる。
wikipedia によれば、

ドイツでは民衆扇動罪によりナチス党およびヒトラー賛美につながる出版物の刊行が規制・処罰の対象となっているため、著作権を保有するバイエルン州政府は、ドイツ国内における本書の複写および印刷を認めないことでドイツ連邦政府と合意している。そのため、現在ドイツ国内で流通している『我が闘争』は古書と他国版のみである。

Wikipedia contributors, "我が闘争," Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%88%91%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89&oldid=54875932 (accessed July 20, 2015). )

このタブロイド誌における内田樹氏による文章。

私たちが今享受しているこの「マルクスの本を読み、マルクスについて論じることができる環境」というのは世界史的には例外的に恵まれた知的環境である。同じ条件を望んで、得られない数十億の人々がいまも地球上にいる。その事実を嚙みしめれば、「マルクスを読むのも読まないのも、俺の勝手だ」というような眠たい言葉は軽々に口にできないと私は思う。別に読まないのは構わない。「マルクスなんか知らないよ」と言うのももちろん結構である。でも、マルクスを読み、論じることが許されている世界でも例外的な自由を自分たちは享受しているということを知った上でそういう言葉は吐いて欲しい。

歴史的事実として、

 隣国の韓国には一九八〇年まで「反共法」といぅ法律があり、マルクス主義書物は閲読することも所有することも禁じられれていた。私の韓国人の年長の友人のひとりは大学院生だったとき、学問的関心に駆られて『資本論』のコピーを手に入れたのを咎められて懲役一五年の刑を受けた。
 カンボジアでは、かつてマルクス主義者を名乗ったクメール・ルージユが三〇〇万人の同胞を殺した。インドネシアでは、一九六〇年代に愛国者を名乗る人々がインドネシア共産党の支持者一〇〇万人を虐殺した。この両国では今でも自分は「マルクス主義者である」と公然と名乗るためには例外的な勇気を必要とする。
 中国共産党はその出自においてはマルクス=レーニン主義を掲げていたが、毛沢東主義訒小平先富論によって大きな解釈変更を受けた。今の中国を「マルクス主義国家」だと信じている人は(中国共産党員を含めて)どこにもいないだろう。事情はマルクス=レーニン主義を「創造的に適用」して「主体思想」を作り上けた北朝鮮についても変わらない。この両国ではマルクスについて語ることもマルクス主義者を名乗ることも、現在の支配体制に対する反抗と見なされるリスクを冒すことになる。
 一瞥しただけでも、東アジア一帯で人々が身の危険を感じることなしに、自由にマルクスを読み、論じることが許される国の数は「きわめて少ない」と「ほとんど存在しない」の中間あたりにあることがわかる。現に、私たちの国も七〇年前まではそうであった。

【関連読書日誌】

  • (URL)

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

“行政考古学と「遺跡保存」に目的と価値を与えるのは遺物や遺跡そのものではなく、文化論と歴史観以外の何物でもない。その欠落こそが行政考古学の困難の源泉である。その柱があれば、発掘も保存も意味を持ち、展示や教育も目的を持つことができる。そしてそれを創ることこそが大学の責務である” 『考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層』  竹岡俊樹 勉誠出版

考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層

考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層

P.51

安斎正人は、「報告書が出ていないにもかかわらず、資料を自由自在に使うことができるのは、『行政調査』のトップにいる役人の役得である。……その点を自覚してほしい。文化庁に入る前と後との岡村さんは、極端に言えば同一人とは思えないほどの変わりようである。私にはそのように映つている」(P. 7)と、評している。

P.58

 理論考古学(後述)、安易な集落論、日本列島内での連続的進化、生態適応に対する批判などから、私は、鎌田俊昭は日本の旧石器時代研究者の中では、学問的に一番「まっとう」だったと思う。
 なぜ、彼は「藤村前期旧石器」に走ったのだろうか。
 鎌田にとつてのルビコン川は、粗質の安山岩製の石器を人工品と認めたときにある。

P.98

 もう一つの問題である年代測定結果は次のように解釈した。藤村がどこかで拾った石器を寄せ集めて埋めたことは分かった。彼はどこかで本当に古い石器を採取した可能性がある。年代を測定した石器は他のへラ形石器とは異なる形態を持つ両面加工石器で、石材は富山遺跡の石器と似ている。この資料から、発掘でとらえることを失敗した富山遺跡の年代を推定できるのではないか。そこで、「日本にも『原人』いた!?大きく変わる列島の“人類史”特殊な石器群、三〇万年前の『握斧』という特集記事(読売新聞朝刊二〇〇〇年一月四日)を「藤村前期旧石器」に対するアンチテーゼとして載せてもらったが、反応はなかった。

P.146

 東北大学明治大学の対立が生まれたのは、杉原莊介と芹沢長介ではなく、戸沢充則と芹沢長介の間の憎悪関係による。検証委員に東北大学出身者を多く入れ、本の中でも佐川や辻を褒めるのは、戸沢なりの「民主的であること」のパフォーマンスであるが、それによつて東北大学明治大学の委員長のもとに検証を行ぅことになる。松藤和人は次のように述べている。

P.149

 もし、「苦悩の念をおさえながら自己検証」をしている「真摯」な研究者が一人でもいれば、旧石器時代研の現状はずつとましだつただろぅ。
 そして免責された彼らに代わつて責任を転嫁され、スヶープゴートになつたのが戸沢と小林の共通の憎悪の対象である文化庁主任文化財調査官の岡村道雄である。岡村を憎む小林の弟子の角張淳一が後日、岡村犯人説をぶち上げることになる(後述)。

P.172

 協会は、藤村の暴露写真が報道された時点から、これまで捏造遺跡を宣伝し、藤村の偉業を賛美し、捏造石器を使った「学術論文」を書いてきた関係学者が一体となって、藤村の捏造を検証し断罪する側の組織へと、アクロバット的な変身を遂げたのである(P.163)。

P.189

 『「オウム真理教事件」完全解読』一九九九•勉誠出版)の作成のために麻原彰晃を分析した私は、藤村の「病気」を疑つた(藤村に何回か会ったジャーナリストの上原善広も、同じ意見である)。戸沢委員長が黒塗りした藤村の手記には複数の藤村(分身)が出てくるが(注13参照.P.
173)、多重人格者は別の自分を論理的には語れない。藤村が語るストーリーはできすぎている。戸沢に、藤村が出てきて疑問に答えてもらわなければ事件は解決しない。もし藤村を表に出せないのなら、医者の診断書を提出する必要があるのではないかと二回求めたが、それはできないといぅ返事だった。
 自治体は藤村の「発見」にょって膨大な税金を使って発掘した。なぜ、藤村は罪に問われないのか。共に発掘したのが自治体の職員たちだつたからである。

P.190 

 三太郎山B遺跡は一九七三年に藤村が最初に見つけたという遺跡である。石器の実物を見たが{第15図の3)人エ品である。後期旧石器時代以前の遺跡が本当に存在する可能性が強い。そして、この難しい石器を採取できるのは彼が石器をよく見ることができることを示している。

ここでいう「人工品」とは、本当に人が作ったもの、つまり真性の石器であることを意味している
P.246

 上述のように、かつては行政職員の努力によって行政考古学と学問考古学とは「学問」という点で重なりあっていたが、次第に、緊急調査と学術調査とは乖離し、行政に採用された考古学専攻の職員も、学問をも行う「研究者」から記録保存を行う「技術者」へと変化した。それに従って、個人の努力に任される学問のレベルは低下せざるをえない。

P.254
 現在、経済の低迷と共に発掘数は激減し、埋蔵文化財センターはその三分のニにまで減少し、将来すべてが消滅する可能性がある。数十年間の膨大な未整理資料を残して発掘の時代は終わりつつある。今が、考古学が基礎資料を蓄積するための整理、あるいは再整理の最後の機会である。ニ兆円と、職員たちの努力をどぶに捨てるか、生かすかの瀬戸際にあると言ってょいだろぅ。文化庁は今、役に立たない「研究」にではなく、整理にこそ補助金を出すべきである。破たんしつつある今日の埋蔵文化財行政には文化庁にも大きな責任がある。
三つ目は文化論と歴史観である。
 (中略)
 行政考古学と「遺跡保存」に目的と価値を与えるのは遺物や遺跡そのものではなく、文化論と歴史観以外の何物でもない。その欠落こそが行政考古学の困難の源泉である。その柱があれば、発掘も保存も意味を持ち、展示や教育も目的を持つことができる。そしてそれを創ることこそが大学の責務である。しかし、私は考古学から生まれた文化論や歴史観も、その方向性をもつ研究も見たことがない。
【関連読書日誌】

  • (URL)毎日新聞旧石器遺跡取材班 (新潮文庫
  • (URL)“気鋭の考古学者が挑んだ「日本人のルーツ」は、やがて 「神の手」の異名を持つ藤村新一へ 石に魅せられた者たちの天国と地獄。” 『 石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち』 上原善広 新潮社

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

石器・天皇・サブカルチャー―考古学が解く日本人の現実

石器・天皇・サブカルチャー―考古学が解く日本人の現実

石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち

石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち

“ほんとうに必要なのは、僕ら自身が「絶対に戦わない」という決意をすることじゃないのか。戦争に対して"反戦"を唱えるのではなくて、戦争を起こさないように、戦争が起きる前に、僕らが普段からなにができるか、なにをするべきかを考えてやっていく。“平和”って、そういうことの上にあるんだと思う。そういう努力は、「絶対に戦わない」っていう強い意志がなければだめなんだ” 『特攻隊と戦後の僕ら―「ザ・ウインズ・オブ・ゴッド」の軌跡”  (岩波ブックレット (No.386)) 今井雅之 岩波書店

僕にとっての特攻隊
P.4

これは笑い話なんですけれども、いつもそぅいう感じだったので、中学になって、山を下りてマンモス校へ入学したとき、初めてのテストで「相談してはいけない」と聞いたときにはびっくりしましたね(笑)。そのぐらいすごいところだったんです。

P.10 特攻隊の実像から生まれた『ウィンズ』

僕は自衛隊にいたからわかるんですが、遺書といぅのは検閲されるわけですね。でも、検閲されているわりには、そのなかの文章一つひ
とつの端々に「俺はもっと生きていたかったんだ」みたいなものを感じるわけです。

P.21 “時代”の流れ

僕らは戦争を経験してないのでわからないのですが、「その流れに逆らう勇気よりは、死ぬほうが楽だった」「死ぬ勇気はあっても、その“時代”の流れに一人だけ、戦争反対と言う勇気はなかった」と。実際にその当時、「アカ(共産主義者)だ」と言われて牢屋に入れられて親戚からなにからひどいめにあった、そういう方もおられましたけれども「自分はそんな“非国民”と言われてまで反対する勇気はなかった」ということを話しておられました。

自衛隊というところ
アメリカ公演で考えたこと
P.43 役者の仕事

 『ウインズ』は、「アメリカが悪い」「日本が悪い」、そういうことを題材にしているんじゃないんです。ただ「戦争というものは馬鹿なことだょ」ということを訴えたかった。でも、「わからないやつらは言ってくるだろうな」と。それで「これでもか、おまえら!」みたいな感じでや
ったら、ブーイングどころかスタンディング.オペーション(満場総立ちの拍手)みたいな感じになって、すごい受け止め方をされてしまって。

P.44 アメリカの捉えかた

だから、多くの人が「非常にショッキングな作品だ」と言うんです。とても衝撃的なものとして受け止めている。つくった僕はそこまでは考えていませんでしたけど。「ああ、そうか、そういう目で見られてるのか」と。特攻した彼らがほんとに普通の人間だったということのショックが、むこうで火をつけたんです。

P.49 僕の反“反戦”的非戦論

 特にああいう特攻隊の人たちにィンタビュ―していて思うのは、「ああいう流れのなかでそのエネルギーを使わざるをえなかった彼らの青春というのはもう還ってこない」ってことです。僕なんか幸せだと思いますよ。アメリカに行って、こんな特攻隊の舞台ができるんですから。昔じ
ゃ考えられなかった。50年前殺し合っていた国に行って、目の前でこんなことができるんですから。そんな平和な時代に生まれたことを誇りに思いたい。だけど、怒りはすごく感じます、平和すぎて頭が馬鹿になっているのじゃないかと。

P.50 

ほんとうに必要なのは、僕ら自身が「絶対に戦わない」という決意をすることじゃないのか。戦争に対して"反戦"を唱えるのではなくて、戦争を起こさないように、戦争が起きる前に、僕らが普段からなにができるか、なにをするべきかを考えてやっていく。“平和”って、そういうことの上にあるんだと思う。そういう努力は、「絶対に戦わない」っていう強い意志がなければだめなんだ。これまで、そういう努力がなかったとは言わないけれど、いまの"反戦"って言葉には、なにか欠けてる気がするんです。

P.51

僕は戦争というものは、人間の心のなかから起きるものだと思っています。そのマグマはいまでも残って いると思いますし、 爆発させないためにはどうしていけばい いのか。 日常的な平和への努力を、僕は「絶対に戦わない」というところから考えていきたいと思うんです。

戦後の僕ら
P.58 若者のエネルギー

特攻隊の人たちとコミュニヶーションをとって、ほんとに一つわかったことは、「いまの若者は」という言葉は絶対に間違っているということです。若者は50年前となんら変わってない。髪の毛と服装だけが変わっているだけであって、根本的な若者のエネルギーというのは全然変わ
ってない。ある時代では特攻隊であり、ある時代では全く逆の日米安保反対の学生運動であったり、暴走族であった、竹の子族であった。いまでは受験戦争に莫大なエネルギーを使ってる。

【関連読書日誌】

  • (URL)“「夢は叶う、思い強ければ」----今井さんが会見で語った言葉です” こぼればなし 図書 2015年 07月号 岩波書店
  • (URL)“でも、今、時代は俺を必要としている。こんなちっぽけな俺でも、もしかしたら歴史を変えられる力があるんじゃないかってね” 『THE WINDS OF GOD零のかなたへ』  (角川文庫) 今井雅之 角川書店

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

“でも、今、時代は俺を必要としている。こんなちっぽけな俺でも、もしかしたら歴史を変えられる力があるんじゃないかってね” 『THE WINDS OF GOD―零のかなたへ』  (角川文庫) 今井雅之 角川書店

THE WINDS OF GOD―零のかなたへ (角川文庫)

THE WINDS OF GOD―零のかなたへ (角川文庫)

4月に亡くなった今井雅之さんが、ライフワークと言っていた舞台を小説化したもの。脚本そのものを読む方が好みではある。
イスラム世界での自爆テロが頻発する中、それを大変なことだと、おかしな事だと思うけれども、つい70年前に日本でも同じことが行われていた。それらは、何が同じで、何が違うのか。。。何が、誰が、ひとをそちらに向かわせるのか。
「俺はな……子供の時から何をやってもだめな人間だった。誰も俺を必要となんかしなかったんだ。だからぐれたりもした。でも、今、時代は俺を必要としている。こんなちっぽけな俺でも、もしかしたら歴史を変えられる力があるんじゃないかってね」
【関連読書日誌】

  • (URL)“「夢は叶う、思い強ければ」----今井さんが会見で語った言葉です” こぼればなし 図書 2015年 07月号 岩波書店
  • (URL)“沖縄の悲劇は、沖縄の人々がどんなに抗議しても、日米間の政治家には届かないのだ。『運命の人』を書いた私は無力感にうちひしがれている” 『「大地の子」と「運命の子」』 山崎豊子 文藝春秋 2013年 01月号

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

“宮中というと、どんな我が儘でも通らないことはないかのように、一般からは想像されがちだが、内情は思いのほか窮迫していた。皇室中心とか、国体明徴とか、いうことだけは大げさだったが、それは物資の裏づけのない、口先だけのカラ文句で、毎日の生活は窮迫の一語に尽きた” 『天皇の料理番』  (上・下)  (集英社文庫)  杉森久英 集英社

TBSテレビ60周年特別企画と銘打って、先日の日曜日に最終回となったドラマの原作。佐藤健(秋山篤蔵役)の名演もあって、ドラマの出来はなかなか。ややわざとらしく作り込んだ感動シーンが散りばめられているのが気になったが、それもご愛敬か。原作とドラマ、ディーテイルで少しづつ違っていた。原作は、淡々と書かれている感じの小説。作者杉森久英が1912年生まれということもあり、戦後生まれが知らない戦前の風景が実によく描かれていて、タイムスリップしたような気分になる。
上 P.216

 吉原は、大門から入ってまっすぐの大通りを仲の町(なかのちょう)といって、百三十間(二百五十メートル)ばかりあり、この両側に漢字の「非」の字の形に横丁が三本ずつあって、それぞれに江戸町(えどちょう)一丁目、ニ丁目、揚屋町(あげやまち)、角町(すみちょう)、京町などに分れている。
 仲の町はいわば、吉原の中央通りで、背骨に当る部分だが、仲の町という町があるわけでなく、道路の名称にすぎない。
 従つて、ここに軒をならべる揚げ屋は、それぞれ江戸町、揚屋町、京町などに属しているのだが、大店ばかりで、芝居の舞台にもしょっちゅう出てくるので、仲の町といえば、吉原を代表する名称になつている。吉原のことを「なか」ということがあるのも、仲の町を略したものである。
 仲の町は、「非」の字二本の横棒に当たるが、この「非」は横幅が広くて、縦棒の百三十間に対して、百八十間あり、ここに時代によって筯減があるが、二百の妓楼と三千の娼妓が密集して、不夜城といわれ、喜見城(きけんじょう)といわれ、晦日(みそか)も月の出る里と誇った。

上 P.237

 また、有名な団子坂の菊人形は入場料十銭ないし五銭。名人といわれた女義太夫の豊竹呂昇(とよかたけろしょう)一座が六年ぶりで東京へのぼり、新富座で興行したときの入場料は一等五十銭で、高すぎるという評判だったが、篤蔵の給料の十日分に当った。

上 P.245

 江戸ホテル、精養軒と前後して、日本の各地にホテル、レストランが雨後のタケノコのように生まれた。川副保氏編著、全日本司厨士協会西日本地区本部発行「百味往来」という書物によると、次のようである。
   慶応三年 江戸神田橋外に三河屋料理店開業
   慶応四年 (明治元年)江戸ホテル
   明治ニ年 横浜クラブ.ホテル(後年のセンター・ホテル)
        大野谷蔵、横浜に外国人相手のレストラン開業、まもなく閉店
   明治三年 精養軒
   明治四年 大野谷蔵、横浜に開陽亭開業
        神戸に兵庫ホテル
        栃木県鉢仁町に鈴木ホテル
   明治五年 横浜に崎陽亭、開化亭、西洋亭開業
        東京に資生堂
   明治六年 横浜にグランド・ホテル
        日光にカッテージ・イン(後の金谷ホテル)
        築地に日新亭
        横浜にプレザントン・ホテル
        日比谷見附に東京ホテル
   明治七年 新潟にイタリア軒
        神戸に水新
        横浜にオリエンタル・ホテル
        銀座の凮月堂、はじめてビスケットを製造
   明治八年 宮内省十五等出仕松岡立男を、西洋料理修業のため、横浜在住のフランス人ボナン方へ派遣するという命令が出た(洋風を拒否していた宮中でも、だんだん時勢の流れに抵抗できなくなったと見える−筆者)
   明治九年 九段上に富士見軒
   明治十年 神戸に外国亭
        小樽に越中
        この年はじめて玉ネギを輸入栽培

上 P.278

 「シャトー」は「城」、または「屋敷」の意味である。昔話の絵本なんかでよく見るように、フランスの古城には、隅々に高い塔があつて、その形に似たように切るから、シャトーというのだが、この切り方がむずかしい。
 まず、正しく七角形に切らねばならない。どこを切つても、切り口が七角になつていて、各辺の長さが同じでなければならない。長いのや短いのがあつたり、角がとがりすぎたり、広がりすぎたりしていたら、落第である。
 さらに、表面が平らで、艷がなくてはならない。それには切り落すとき、庖丁を中途で止めてはならない。止めるとかならず、そこで段になつて、表面がゆがむ。そんなのは落第である。

上 P335

 離れは母屋と短い渡り廊下でつながれていた。そのころ地方の農村の大きな家では、どこでもこのよう
な離れを持っていて、遠方からの来客を泊らせたり、病人を看護したりするために使つていた。農村では訪ねて来る人がすくなく、旅館を経営しても成り立たないので、手を出す者がない。しかしそれでは遠方から来た者が困るので、客の多い家では、自分の邸内に宿泊させる設備を持つ必要があった。

下 P.223

 味の素は、農学博士の池田菊苗(いけだきくなえ)という人が、サトウキビの蛋白質から抽出したグル夕
ミン酸ソーダを主体にしたもので、たった耳かき一杯くらいの分量で大量の鰹節や昆布と同じ効果を発揮するといって売り出したのだが、市場を奪われることに脅威を感ずる鰹節屋の妨害にあって、思うほど販路がのびず、苦境に立っていた。もっとも、苦境といっても、飛躍的な発展がないというだけで、京橋に三階建ての本社を持ち、多くの従業員をやとって、盛大に営業を続けていたことは事実である。

下 P.261

 もっとも、軍といっても、末端の召集兵などはそんなに充分食っていなかった。上層部に上前をハネられるからである。
 上層部へゆくと、文字通りの酒池肉林だった。肉、魚、野菜から、味噌、醬油、砂糖、調味料、さらに酒、ビール、ウィスキーが山と積まれていた。
 宮中というと、どんな我が儘でも通らないことはないかのように、一般からは想像されがちだが、内情は思いのほか窮迫していた。皇室中心とか、国体明徴とか、いうことだけは大げさだったが、それは物資の裏づけのない、口先だけのカラ文句で、毎日の生活は窮迫の一語に尽きた。

【関連読書日誌】

  • (URL)“そこに自分で作った料理の写真が載っているのだが、黒木瞳が子どもに作ったお弁当の写真とは違うのである” 『官能の人・伊吹文明 京都の四季の食卓』 お代は見てのお帰りに 連載223回 小倉千加子 週刊朝日 2012年9月7日号

【読んだきっかけ】娘がくれた。
【一緒に手に取る本】

天皇の料理番 [DVD]

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天皇の料理番 公式レシピブック (ぴあムック)

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味の散歩 (中公文庫)

味の散歩 (中公文庫)

“人びとは、みなそれぞれ何かの檻に囚われているでしょう。けれど、一人一人が自分を解放するために、言葉と記録はあるのです” 『東京プリズン』  (河出文庫)  赤坂真理 河出書房新社

2012年7月単行本として刊行され、毎日出版文化賞司馬遼太郎賞、紫式部文学賞を受賞し、話題となった小説。2014年7月文庫化に際し、書店で見つけて購入。読みはじめて、没入しかけたところで、電車の中に置き忘れ。同時期、書店で見つけた同じ著者による『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書)先に読了。これはとんでもないすごい本であった。文庫本の重版まって再購入し、今年6月に読了。
 アメリカの高校に放り込まれた著者が、進級の条件として、ディベートへの参加を課せられる。お題は、天皇戦争責任。しかも肯定側の代表として。
 先の戦争について、知らなかったことがなんて多いことかと知らされた2冊でもある。池澤夏樹氏による解説の最後『 読み終わった時、戦後史について、日本という国の精神誌について、自分の中に新しい像が生まれていることに気づく。そして感心するのだ、小説にはこんなこともできるのかと。』がすべてを語っていると言えよう。
P.48 誤って撃ってしまった子鹿の死体を皆で分け合って隠す

わかったことがひとつあった。今のところ何の役にも立たないが。バラバラ殺人とうのは、猟奇趣味というより実用本位なのだ。つまりは、そうしないと持ち運べないし、隠せもしない。

P.194

 でも夢で電話に出てなんになる?私の理性が私に問いかけて体を重くする。もうそろそろ目をさまそうよ、起きて普通の社会人の生活をしようよと。
 でも思う。祈るほどに強くこう思う。
 夢だからこそ、何かの通路なのだ。それが何かは、今はわからなくても。あるいはたとえ、鬼や魔が通るのだとしても。
 助けて。

P.210

「また殆どの日本人にとってヒロヒトの肉声を聴くのはこれが初めての機会であり、ヒロヒトの声の異様さ(朗読の節、声の高さ等)に驚いたというのもしばしば語られる。また沖縄で玉音を聞いたアメリカ兵が日本人捕虜に『これは本当にヒロヒトの声か?』と訊ねるも、答えられる者は誰一人居なかったといぅ話が残る」
 “ヒロヒト”とは、誰だったのだ?

P.212

「思い出してみてよ。どんな風景だったの?」
「昭和二十年の五月二十五日に山の手空襲で、みんな焼けたわ」
 そんな話、聞いたことがなかった。

P.222

外国にいたり外国語が不十分だったりするときに感じるフラストレーションとは、つまるところ、こういう小さなことを伝えられないことだ
人の心の基本的なところは、こういう小さなことでできている気がする。どうしても、というわけではないが、私が私であるというような小さなこと。伝えたところで、面白がってももらえないと思うと、言う気も萎えるがこういうことは、ずっと外に出なくても大丈夫なのだろうか。

P.228

「味方にも多くの犠牲を出した一八六三年のゲティスバーグの戦いの後、リンカー大統領がゲティスバーグの激戦地を国立墓地にする式典で行った演説が、有名『peopleの、peopleによる、peopleのための政府』といぅやつだよ」
 えっ、あれは、大統領就任演説ではないのか!
「なぜ戦死者のために行ったのかしら!?」

P.319

 それはごくふつうの一瞬だった。しかしそのとき私は、民主主義というものに触れた気がして打たれた。感動でありショックな体験だった。ああ、民主主義というのはきっと投票や多数決のことじゃない、それはおそらく私たちの血肉から最も遠いというくらいにかけ離れた概念なのだ、と。そのことが骨身に沁みてきた。

P.328

悪意や、蔑視はあったかもしれませんが、だからってヴェトナム人を殺すために何千倍もの濃度にしてやるというのでは、説明がつきません。枯葉剤はあくまでも補助的な作戦ですから。枯葉剤濃度の説明はおそらく、高度です。農薬散布と同じ要領で、低く飛んで薬をスプレーしていきますが、低いなりにかなり高く飛ばなければ、撃ち落とされます。ゆっくり飛ぶわけだし。だから、濃度は、散ってしまう分を計算に入れたんだと思います。それでも、濃すぎはしましたが……おそらくそれは、結果です。

P.436

そういえば、徴兵(ドラフト)に対して志願兵を、ヴォランティアと言う。日本語の“ボランティア”と、同じ言葉とは思えない。クリ
ストファーはさながら、誇り高き志願兵だった。

P.464

 いわゆる「人間宣言」は「昭和二十一年年頭の勅書」と冒頭にあるだけで、「人間宣言」はメディアが勝手につけたタイトルだろう。「朕は人間である」などとはひと言も言っていない。「臣民」でなく「国民」という言葉が天皇の言として初めて使われたことが画期的な勅書だとはいえ、それは天皇が戦後の様子を嘆くというトーンが最も色濃く、長い戦争が敗北に終わった結果、国民がややもすれば焦りや失意に流れやすいなどといささか他人ごとのように語られたのち、朕と国民との袢は信頼と敬愛であり、神話と伝説ではない、などと淡々と続くだけで「私は神ではない」とさえ言っていない。

P.502

『間違った戦争』の間違たやり方により犬死にした者、犬死にした者たちに感応してあとを追うように犬死にした者たち。あるいは己を許されざる者と思っている心の罪人。死んだ意味がわからなかつた人たち。生き残ったことに罪の意識を感じる人たち。戦争を支持したことが間違つていたと自らを責める人びと。大規模な米軍基地に居座られたままの沖縄、その沖縄を見て見ぬふりをいるその他の日本の人びと、そしてそれらに対して口を閉ざす人びと。
 汝ら、勝った者たちに訊きたい。勝てば、正義か?

P.518

「それではあなた方に訊きますが、東京大空襲はどうです? 日本人は、関東大震災第二次世界大戦を、似通った風景として記憶しています。それもそのはず、東京大空襲は、関東大震災の延焼パターンを研究して、どこをどう燃やすと効率的に東京を焼き払えるのかを知って、それを実行したのです。民間人の住まう地域を、戦略的に焼く。どのように言ってもどのような大きな目標や高邁な理想があろうと、それそのもは、国際法違反でありますね?」

P.526

今、こう言えることを私は幸せに思つています。これは私を幸せな気持ちにするのみならず、記録として残るからです。記録として残れば、見知らぬ誰かを、その囚われた檻から解放できる可能性力あるからです。ネィティヴ・アメリカンも、ヴヱトナム人も、日本人も、アメリカ人も。人びとは、みなそれぞれ何かの檻に囚われているでしょう。けれど、一人一人が自分を解放するために、言葉と記録はあるのです。

P.530 解説 小説にはこんなこともできるのか 池澤夏樹

 小説は感情の器であって論理の装置ではない。だから小説は、社会制度・歴史の解釈・科学の価値などを扱わない。少なくとも直接的には。小説はその名のとおり「小さな説」である。
 しかし、世の中には個人の運命を通じて抽象的な大きな問題を考える小説も存在する。この手法には困難が多いけれど、うまくいけば傑作になる。たとえば「戦争と平和」のように。
(中略)
 読み終わった時、戦後史について、日本という国の精神誌について、自分の中に新しい像が生まれていることに気づく。そして感心するのだ、小説にはこんなこともできるのかと。

【関連読書日誌】

  • (URL)大日本帝国軍は大局的な作戦を立てず、希望的観測に基づき戦略を立て、陸海軍統合作戦本部を持たず、噓の大本営発表を報道し、国際法の遵守を現場に徹底させず、多くの戦線で戦死者より餓死者と病死を多く出し、命令で自爆攻撃を行わせた、世界で唯一の正規軍なのである。私が問いたいことはこうだ。 それは、正規軍と言える質だったのだろうか?” 『愛と暴力の戦後とその後』(現代新書) 赤坂真理 講談社
  • (URL)“私たちは当たり前のように享受しているこの「戦後」を、二度と「戦前」に引き戻してはならない” 『日本の戦争 BC級戦犯 60年目の遺書』 田原総一朗監修 田中日淳編 堀川惠子聞き手 アスコム
  • (URL)“今こそ、私たちの来し方を振り返り、戦後の再スタートの土台に据えた精神を思いおこすべきだろう” 『チンチン電車と女学生』 堀川惠子, 小笠原信之  日本評論社
  • (URL)“文学の責務は良心と道義的な覚醒に向けて、不正に対する憤りと被害者に寄せる共感に裏打ちされた敏感さの拡張に向けて、目覚ましのベルを鳴らす工夫をすることです” 『この時代に想うテロへの眼差し』 スーザンソンタグ, Susan Sontag, 木幡和枝訳 NTT出版
  • (URL)“銃口の向きを変えるためには、おのれの肉体の消滅を賭けて、思想の変革を果たさなければならない” 『イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25  冨山房百科文庫 (36) 』 P・マルヴェッツィ, G・ピレッリ編 河島英昭 他訳 冨山房

【読んだきっかけ】文庫化された本書を書店でみつけて。単行本の世評は知っていた。
【一緒に手に取る本】

モテたい理由 (講談社現代新書)

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ヴァイブレータ (講談社文庫)

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“「夢は叶う、思い強ければ」----今井さんが会見で語った言葉です” こぼればなし 図書 2015年 07月号 岩波書店

図書 2015年 07月号 [雑誌]

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4月30日に今井雅之さんという役者が亡くなった。お顔は知っていたが、俳優としての活動ぶりはよく知らなかった。当時の報道によれば、コメディアンがタイムスリップして特攻隊員になるという自作自演の舞台“The WInds of God” をライフワークにしていたと言う。自衛官機甲科(戦車隊)から俳優になったという経歴、百田尚樹氏の『永遠のゼロ』がしばらく前に話題になったこともあり、どんな思想の持ち主かなとは思っていた。微妙に抑制のかかった報道も気にはなっていた。ところが、今月号図書の編集後記に相当する「こぼればなし」を読んで、そこに大きな物語があったことを知った。
 1961年生まれ。自衛官を経て俳優に転身。その破天荒の青春期『若い僕らにできること』(岩波ジュニア新書)は、出版後15年を経ても読まれていること。今井さんが降板した舞台“The WInds of God” は、1988年初演、91年文化庁主催芸術祭賞において原作、脚本、演技の3賞を受賞。これは史上初。93年、国際連合作家協会主催芸術賞受賞。

◉ 1988年、今井さんは、ニューヨークはブロードウェイの外れの外れ、オフ・オフ・ブロードウェイの小劇場で同作品を上演します。まったくの後ろ盾のない、無謀ともいえる自主公演でした。なんのコネもない、無名の日本人たちによる“カミカゼ”を主人公にした舞台は、困難を極めます。その苦労の顛末は『“カミカゼ”公演記 in NY』(岩波書店)に詳しいですが、彼の烈々たる情熱は、かつての敵国で奇蹟を起こします。
◉ 「最後の台詞まで笑いが絶えない今井のこの芝居は、理想主義に燃える特攻隊員一人ひとりの、青春への期待と不安をめぐる真剣な葛藤を実感させる」「“The Winds of God”は、力に溢れた勇敢な芝居であり、過去を理解し先達を公正に裁けるという、安易に抱きがちな私たちの思い込みを、実に見事に打ち砕いてしまう」−−日本人でさえ注目しなかった小さな劇場での公演を、ニューヨーク・タイムズが大きな写真入りで絶賛する劇評を書いたのでした。
◉ 「夢は叶う、思い強ければ」−−今井さんが会見で語った言葉です。

【関連読書日誌】

  • (URL)“男にも女にもいろんな生き方があり、いろんな幸せがあるのだということが、この国の常識になるのはいったいいつの日だろう” 『如月小春は広場だった―六〇人が語る如月小春 』 『如月小春は広場だった』編集委員会(西堂行人+外岡尚美+渡辺弘+楫屋一之) 新宿書房
  • (URL)この地上の世界って,あんまりすばらしすぎて,だれからも理解してもらえないのね  『ソーントン・ワイルダー わが町 (ハヤカワ演劇文庫) 』 ソーントン・ワイルダー 鳴海四郎訳

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

ウィンズ・オブ・ゴッド [DVD]

ウィンズ・オブ・ゴッド [DVD]

THE WINDS OF GOD―零のかなたへ (角川文庫)

THE WINDS OF GOD―零のかなたへ (角川文庫)

"カミカゼ"公演記in NY―The winds of god