バナッハとポーランド数学 R.カウージャ  シュプリンガー・フェアラーク東京

ある特定の分野,特定の時代における自然科学の歴史ノンフィクション,あるいはある科学者の評伝に良書といえるものは,政治や経済の分野に比べて少ない.それは,書き手側に自然科学に関する専門知識を必要とすることと,読み手の側の専門知識の水準を絞り込むことが難しいからであろう.もうひとつ重要なことは,自然科学や科学技術の歴史を語る場合であっても,それに関わった人々を取り巻く経済,政治,文化などの社会背景に対する理解は欠かせない,という点である.

本書は,200ページばかりの小著ながら,バナッハが生きた20世紀前半のポーランドの知的風景を活写した好著である.バナッハは,バナッハ空間(私たちが生活する実空間をユークリッド空間とするばならば,それを数学的に少し抽象化したのがユークリッド空間,ユークリッド空間さらに数学的に抽象化したのがバナッハ空間)や関数解析(基礎的な数学の一分野であるが,制御工学などでも使われる)でよく知られるが,当時のポーランドは,数学基礎論のメッカであった.

なにより印象深いのは,数学者の梁山泊と化した町の雰囲気であろう.バナッハが生活したポーランドの古都ルヴフ(現ウクライナのリヴィフ,SF作家スタニスワフ・レムの出身地でもある)には,スコティッシュ・カフェと呼ばれるカフェがあり,数学者が集まって議論が繰り広げられていたと言う.ここでの議論に使われたカフェのノートは,スコティッシュ・ブックとして出版され,有名になった.学問の愉しみを彷彿とさせるような都市空間である.但し,ポーランドの多くの都市と同様に,第二次世界大戦では,厳しい生活を強いられることになる.

【読んだきっかけ】集合論関数解析などの基礎を勉強している時に,もっとも役立ったのが,数学30講シリーズ,大人のための数学,など本書の訳者である志賀浩二氏による入門書である.『無限からの光芒―ポーランド学派の数学者たち』は名著と呼ばれるだけのことはある.すると必然的に,バナッハ空間や,奇妙きてれつなバナッハ・タルスキの定理に行き当たる.

【一緒に手に取る本】

無限からの光芒―ポーランド学派の数学者たち

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バナッハ=タルスキの逆説 豆と太陽は同じ大きさ?

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新版 バナッハ・タルスキーのパラドックス (岩波科学ライブラリー)

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