“罪を犯すような事態に、自分だけは陥らないと考える人は多いかもしれません。しかし、入生の明暗を分けるその境界線は非常に脆いものです。” 『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』 堀川惠子 講談社

裁かれた命 死刑囚から届いた手紙

裁かれた命 死刑囚から届いた手紙

(2011.10.1追記)

祝!第十回新潮ドキュメント賞 受賞
受賞すべくして受賞した作品だと思います.
NHKの映像もすばらしい

【読んだきっかけ】から先に述べておこう.2011年2月19日午後に,NHKETV特集・選 『「死刑裁判」 の現場 〜ある検事と死刑囚の44年〜』をたまたまみて引き込まれていった.これは,第314回 2010年5月30日(日)放送のETV特集の再放送である.

番組の中で,元検事の土本武司氏へのインタビューシーンがあるのだが,土本氏の本音,本当の気持ちを引き出そうとするインタビューアの問いにはっとするシーンが2度あった.真意を引き出すために,ぎりぎりのところでせめぎあう緊張の一瞬.凄いインタビューアだと感じた.インタビューアは番組のプロデューサであろうと推測し,行き当たったのが堀川惠子氏であり,本書の著者である.番組の内容をもとに,追加取材を加えてまとめたものが本書.堀川氏の問いに真摯に対峙した土本氏も立派であった.

物語の登場人物は,強盗殺人を犯し死刑に処せられた長谷川武,長谷川武の母,捜査検事として捜査にあたった土本武司(元最高検検事),二審で国選弁護人として弁護にあたった小林健治(故人、元東京高裁裁判官).

土本氏には、死刑をめぐって生涯忘れられない記憶がある。31歳の時、自ら取り調べた容疑者(犯行当時22歳・一人殺害)に死刑を求刑し、最高裁で確定させた事件である。死刑囚となったその青年と、土本は死刑が執行されるまで手紙を交わしていたのだ。手紙から、変わりゆく死刑囚の心情をくみ取った若き日の土本は、執行を止められないかと上司に恩赦をかけあうが死刑は執行された。「検事」と「人間」―ふたつの人格が心の中でせめぎあう。

一審で死刑を求刑する立場にあった土本氏は,数十年経って,被告の書いた上告趣意書を初めて読む.
P.145

 それが、長谷川自身が書いた上告趣意書だった。

 長谷川が小林弁護士に相談し、それを書き上げたのは一九六七年(昭和四二年)七月のことである。それから四三年後の二〇一〇年、彼を取り調べて死刑を求刑した捜査検事の前に、被告人が「事実と違う点」について述べた上告趣意書が現れたのである。

 始めて見る上告趣意書、土本はまずその厚さに驚いた。次に、それが長谷川武本人によるものであることを署名から確認した。取り調べでは一言も抗わなかったあの長谷川が、これだけの分量に一体なにを書いているのか、胸が騒いだ(小林弁護士が保管していた趣意書は長谷川の直筆だったが、立川支部に保管されていたものは後に別人によって手書きで清書されたものだった)・

 実は土本は立川支部で閲覧を行ったとき、その一部にすでに目を通していた。上告趣意書の冒頭の「これまで語らなかったことを書きたい」という長谷川の言葉にも接していた。

 あの日、立川支部での閲覧を終えて出てきた後、土本が車中でつぶやいた言葉。
 −物事を徹底的に調べていくと、知らなくてもいいことまで知らされるような気がする
 それは、この上告趣意書のことだった。

P.158

 「遅いんですよ……」

 小さくつぶやいたその声は、怒りにも似た響きを持っていた。その怒りが長谷川に向けられたものなのか、自身に向けられたものなのか、まだ分からない。続いて発した言葉に土本は珍しく感情を剥き出しにした。

「もうちょっと早くやらなきゃダメですよ。今ここにある趣意書は膨大な量ですが、上告趣意書ですから。上告、つまり最高裁というところは、基本的には憲法違反か高裁以上の判例違反しか本来やらないところなんですから……。 
 事実誤認があるなら、検事が間違った事実の認定をしたんだという主張をしなきゃいけない。これだけ堂々たる主張があるのなら、一審段階で検察官が起訴状に書いた起訴事案は聞違いだと言わなきゃいけない。しかし……」

P160

 それでは、そう努めようとする余り、五であることを一〇にしてしまうことはないだろうか。長谷川のケースはどうだったか。土本に単刀直入に聞かなくてはならない時がきた。

「ー彼のやった犯罪行為そのものについては、今であっても担当した私自身、間違ったという思いはない。事実認定において闘違った事実を謬定したとは思うわない」

 土本はそう言い切ってからしばらくの間、沈黙し、そして言葉を選びながら続けた。

「しかし……、この上告趣意書を読んで分かった事情や、こうやって改めて調べ直してみて分かってきた彼の情報を踏まえて考えていくと……、そういう犯罪を行う背景事情としての当時の彼の生活、その生活に基づく彼の心の動き、犯行時の心理状態については、はたして検察官である私は正しい認定が出来ていたのだろうかという気持ちが湧いてきますね。

 検察官も弁護人も裁判所も、つまりあの事件に関与した法律関係者全員が本当に正しい認定をしたのかという、反省的な気持ちがありますね……」

現在の矯正機関としての刑務所に関する問題点の指摘.すべてが,官僚的になっているということか.
P.213

 現在の刑務官は試験を受けて入ってくる生粋の行政官となっている。死刑囚という人間に向き合うことよりも、いかに失敗を減らして管理を徹底するかばかりに重点が置かれているように見えると僧侶は言う。なるべく手のかからないよう、当たり障りのない処遇をすることが最善であると勘違いしているのではないかと僧侶は指摘した。

長谷川被告への小林弁護士の手紙.涙を禁じ得ない.ひとつの物語の周囲には,血の通った何人もの人間がいる,ということがせめてもの救いである.
P.216-7

 長谷川から届いた四七通の手紙に対する小林弁護士の返事は残っていないのだが、実はこの五百円と共に送られてきた手紙への返事の内容だけは知ることが出来た。

 小林は死刑囚となった長谷川が自分に五百円札を送ってきた顛末について、わざわざ雑誌に寄稿していたのだ。その雑誌とは、長谷川に死刑判決を下した二審の東京高等裁判所が発行する機関紙で、所内の裁判官たちに配られていたものだった。そこには長谷川の名前が実名で掲載されていた。裁判所の内輪の機関紙に、判決が確定した死刑囚について書くこと、さらには、その実名までも記すことは異例だったに違いない。

 そこにはまず、長谷川と手紙を交わし合うようになった経緯から書かれていた。

  死刑囚からの手紙。これは裁判官としては接することはありませんね。私にとっても初めての経験です。死に直面した人間の心の記録ともいうべきものー平静をよそおった行間に切切として胸に追るものがあります。(中略)彼は今日まで月に二回位私に手紙などを寄せているんです。死に直面した人の悲痛な文章と思うでしょうが、彼の手紙には「死」ということか殆どて書いてないのです。淡淡と日常生活と心の動きを書いているんです。二五才の青年がこんな澄んだ心境になれるのかと思うほどのものがあります。それだけに彼の心の裡を推測すると胸がしめつけられるような気がします。

 小林はこう前置きして、五百円札を送ってきた長谷川に対して、自分が送った返事の内容を引用していた。

 昭和四四年一月二五日
 
  長谷川武様

   長谷川君、お手紙と現金五〇〇円正に受取りました。実はね、君の弁護を引受けて間もなく、お母さんが私の事務所に見えて一〇〇〇円位の文明堂のカステラを持って来たんですよ、私は、国選というものは被告人側から利益を受けてはならないことになっている、それにあんたの生活も知っておる、血の出るようなこんな物を貰うことはできないよ、と断わったんですよ。しかし、あとで考えてみると、ない金の中から、私というよりせがれの君のためにと持って来た物なんだな。なぜ「有り難う、一生懸命にやってやるよ。」といって貰っておかなかったかと悔まれてならなかったんだよ。

書生として修行を積むというのも古き良き時代の習慣の一つであろう.
P.233

 土本は二〇歳、大学二年の在学中に司法試験に合格した。その後、司法修習の時期を一年遅らせてまで、日本を代表する法学者、牧野英一(一八七八年〜一九七〇年)の茅ヶ崎の自宅に住み込んで書生として仕えた。牧野は一貫して「教育刑論」を主張した法学者として知られている。「教青刑論」とは、刑罰の本質は教育であり、対象となる人聞を改善させ更生させる目的のためにあるという考え方である。

土本は,なんと恩赦を申請しようと試みていた.
P.244

「(中略)
 明治以来、検事でそういう措置を取ったのはだれもいないですから。もともと自分で求刑しながら執行を止めてしまうなんていうのは確かに筋が通りませんしね。それから仮にやるというならもつと徹底したやり方をしなきゃいけない。上司に相談するのは結構です、結構ですが、上司から消極の意見を言われたら、それで引っ込んでしまうというなら初めからやらないほうがいいわけで。だから何となくこの話は情けないというかね:::。"助けて下さい、土本さん〃と言われて、喜ぶようなか弱い検事がそこにあって、自分はそのか弱い検事の象徴的な存在だったように思います」

 そこまで語った土本は、この恩赦の話は出来れば聞かなかったことにしてもらえないか、オフレコに出来ないかと言った。自分としては表に出せるような話ではないという。

 彼は、恩赦を上司に掛け合った自分のことを、「助けて下さいと言われて喜ぶようなか弱い検事」となぞらえた。しかし、長谷川からの手紙は「怨嵯でも助命でもなかった」とは土本自身が語った言葉ではなかったか。

「……そうなんだ。彼からひと言も助けて下さいとは言われてない。すべて私が私の判断でゃったことです。打算で動いたという要素は一点だにない、それは胸を張って言える。(後略)」

法律家の立場から「(死刑が)執行されてよかった」と言う土本氏に,堀川は,しばらくの間を置いた後,「本当ににそう思いますか」と聞き返すシーン.
P.246

「(中略)   
 死刑判決が確定しながら法的な特段の事情もないのに執行をやめるというのは、法治国家としては自らを破壊することになる。執行しない死刑制度というものを残しておくのは矛盾です。執行しないなら、もともと死刑制度そのものを廃止しなきゃいけないだろうと思うんです。ですから議論としては死刑制度の存廃に変わってくるわけだが、現在の法律の下では裁判官は死刑に相当する事件であれば死刑判決を言い渡さなきゃならないし、それが確定した以上は執行されなければならないということだと思うんです」

 事件から四四年、長谷川からの手紙を密かに開いては読み、繰り返し自問自答してきた土本が「執行されてよかった」と言い切った。しかし、その目がかすかにうるんでいたのを見逃すことは出来なかった。本当に長谷川が処刑されてよかったと思っているのか、ならばなぜ、手紙を保管してきたのか、それは心からの言葉なのか、確かめずにはいられなかった。

 その問いをぶつけると、土本はうつむいたまま答えない。手元にあったノートを意味もなく音をたててめくった。無機質なパラパラという乾いた音だけが部屋に響く。張りつめた時が流れた。

「……当時の検事、法律家としてはですね、そう思っていたというほかありません」

あとがきより.強い同感をもって読む.心療心理家の故霜山徳爾氏の「モイラのくびき」という小文を思い出す.
P.342-3

 人が苦境に追い込まれたとき,運や出会いに恵まれて救われる人もいれば,自らの力で苦境を打開していくことの出来る人もいます.人一倍の努力で苦難を乗り越えてきた人ほど,それがで来ない人の不甲斐なさを責めることがあります。努力することの必要性は否定しませんが、同時に、努力が報われる人と報われない人がいることも忘れてはなりません。

 この世に生を受けたときから体格や容姿がほぼ決まっているように、心の防波堤が高い人もいれば低い人もいます。頑張って成果を出す人もいるし、同じように頑張っても成果を出せない人もいます。克服できる欠点もあれば、それを抱えたまま歩まざるをえないハンディを生まれながらに負っている人もいます。絶望に追い込まれたとき、踏みとどまることが出来る者もいれば一線を越えてしまう者もいるでしょう。

 罪を犯すような事態に、自分だけは陥らないと考える人は多いかもしれません。しかし、入生の明暗を分けるその境界線は非常に脆いものです。私たちはいつ被害者になるか分からないし、それと同じようにいつ加害者になるかも分かりません。被害者や加害者の家族にもなりえます。たとえ人の命を奪わないまでも、相手の心に生涯消えない傷を負わせることもあるでしょうし、たとえ自ら手を下さなくても、傍観や無知を通して加害の側に立っていることも少なくありません。

 死刑という問題に向き合うとき、いったいどれほどの人間が、同じ人間に対してその命を奪う宜告をすることが出来るほどに正しく、間違いなく生きているのかと思うことがあります。そして、その執行の現場に立ち会う人間の苦しみも想像を超えるものがあります。


被害者との距離のとりかたにも,著者の見識が感じられる.
P.345

 本書のテーマは「裁く者と裁かれる者」に特化し、事件の被害者とご遺族については多く触れていません。長谷川武は被害者の遺族にも手紙を送っていたかもしれない、もしそうならばどのようなやりとりがあったのか、そのことを知りたいとも思いました。しかし今、四四年前の懇劇を掘り起こして遺族にそれをぶつけることは、取材者に許される範囲を超えると判断しました。それでもあえで触れるのならば、それは長谷川武の人生を辿ったものの一部としてではなく、もう一冊分の重く深い内容になることを胸において取材を進めました。

(2011.6.11追記)

文藝春秋2011年6月に書評が掲載.評者は,高島俊男氏.
「本書を読んで強く感じるのは、第一に、著者のまじめさと熱意,一書にまとめる構成力である。
 つぎに,日本にはなんといい人がどこにでもいるのか、ということだ。」
全く同感.堀川惠子の他の著作でも同じことを感じます.


【一緒に手に取る本】

死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの

死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの

チンチン電車と女学生

チンチン電車と女学生

日本の戦争 BC級戦犯 60年目の遺書

日本の戦争 BC級戦犯 60年目の遺書

死刑囚の記録 (中公新書 (565))

死刑囚の記録 (中公新書 (565))

そして、死刑は廃止された

そして、死刑は廃止された

『そして、死刑は廃止された』 ロベール・バダンテール, 藤田真利子訳 作品社