“「非行」というものは、人間のしでかす、わりと一般的な行為であるから、「非行」を考えるということは、つまり人間を考えるということである” 『「非行」は語る―家裁調査官の事例 (新潮選書)』 藤川洋子 新潮社
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P.46
歴史を引っ張るのは、非行少年〈少女〉だという指摘がなされることはある。次の時代の予兆を感じとる能力に秀でた、例えば詩人なども、その時代の非行者とまでは言わないにしても、不適応者であることが多かったのではないだろうか。
P.50
少年非行は全体としては軽く、一過性のものとなっており、東京都全体の少年による窃盗〈年間六〇〇〇件ほど〉の被害額を全部足しても、一億円を果たして超えるだろうか(窃盗の半数以上が被害額五〇〇〇円未満の簡易送致事件である)。例えば東京都で摘発される脱税の金額とは桁が違うのである。
P.52
私自身の経験から、これは断じて言えるのだが、人間関係の営みは、どんなに高性能のコンピュータを駆使しても、診断することが出来ない。人間の過ちは、人間にしか治すことができない。薬にも、どんなコンピュータにも治せない、ただ人間が真剣にかかわることによってのみ治せる、それが人間病としての、あるいは「人間関係病」としての非行なのである。
これは,反対論もあるだろうし,その通りと肯定する人もいるだろう.だが,このように強く断言できるのは,何十年と現場で人間と関わってきた人だけであろう.
P.186
「差別」が怒りの源泉になり、革命や戦争やテロの原因を作るということを骨身に染みて知っている私たちは、家庭の中にも差別が入り込み、幼い犠牲者を生むことがあるという事実を知っておく必要がある。
少年審判の様子について
P.62
家庭裁判所の審判廷は、裁判官と少年との間に床の高低差がない。裁判官も法服を着用しないし、どうかすると座高の高い少年が小柄な裁判官を見下ろす形になったりするほど、裁判官と少年との距離が近い。
P.74
人間は「不意打ち」に弱い。土台の頑丈な人間は不意打ちに動じず、どんな出来事をもそれを栄養分にして生き抜いていくしたたかさを持っているが、たいていの人間は、不意に天災、人災や愛するものの喪失に合うとへたばってしまう。
阪神大震災のあと囁かれたことだが、震災のせいで絆の強まった夫婦とダメになってしまった夫婦とがはっきり二つに分かれたという。いろんな条件があったにせよ、詰まるところその違いは、やっぱりもともとの関係にあったのではないかと私は思う。
同じことは,東日本大震災の後も囁かれている.
P.186
「差別」が怒りの源泉になり、革命や戦争やテロの原因を作るということを骨身に染みて知っている私たちは、家庭の中にも差別が入り込み、幼い犠牲者を生むことがあるという事実を知っておく必要がある。
家庭の役割について
P.197
きょうだいが多く、しかも親戚との行き来が頻繁にある場合は、子どもは同報が親や年長者に叱られたり、褒められたりする様子を間近に見て、自分がどんな風に振る舞うのが望ましいか、を自然に身につけることができる。しかし家族が少ないと、観察の機会がない分、それができにくい。
自然に身につく、というのがそれこそ最も自然なのであるが、家族成員が少ない場合は、親子の関係もずいぶん書物やテレビ、他人の話などの影響を受ける。しかしこういう関節情報にはたいてい誇張があって、人の気持ちを不安にさせるようにできていることが多い。
P.199
とにかく、親の精神疾患や知的障害というのは、子にとって非常に深刻な事態なのであり、一般的に言って、こうした人たちの育児には助言者あるいは支援者が欠かせないと考える。
親というのは、多少変わり者であっても、一貫していることが大切である。この場合の一貫性というのは、個人のなかの安定度ということを意味する。
幼い子どもは、その気分変化を見せる前と後の人間を、連続的に統合して認識することができず、別個に記憶してしまうのである。こういう経験にさらされることは、のちの解離性(同一性)障害の母体となるという指摘がなされている。
P.206
平たくいう、父親が叱り、母親がかばうという図式は、人々の智慧の集積である(これは裁判制度にも応用されている。父である検察官と母である弁護士といように)。愛情を基盤にして、父母の間で子をめぐってやり取りが起こる、その様を見ながら、人は道徳観を育んできたのであろうと思う。
あとがきから
「非行」というものは、人間のしでかす、わりと一般的な行為であるから、「非行」を考えるということは、つまり人間を考えるということである。
本稿を書き始めて間もなく、そういう当たり前のことに気づいて愕然とした。正直に言うと、私の人間観は、ああでもない、こうでもないとまだ揺れている。そのような私が人間を題材に書かせていいものだろうか……。
この謙虚さがなにより大事なのだろう.人間を扱う仕事をするひとにとっては特に.
何かを言う時は、必ず二つ以上の根拠を持ちなさい、と繰り返し教えて下さったのは、私が一五年も前に押しかけ弟子をして以来の師、中井久夫先生(神戸大学名誉教授 現・甲南大学教授)である。
最後で,中井久夫氏のお名前がでてきてびっくり.
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記憶にない.ひょっとして中井久夫の文章にでてきたのかも.
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