“今もなお部厚い悪評の層に覆われた笹川良一像の真の姿を掘り起こしてみたかった” 『悪名の棺―笹川良一伝』 工藤美代子 幻冬舎

悪名の棺―笹川良一伝

悪名の棺―笹川良一伝

毀誉褒貶の激しい人である.マスコミからもタブー視されていたという.だから手に取るのはちょっと慎重になってしまう.読後感は,なかなか面白い読み物であった.笹川良一は,謎の人物で,船舶振興会に長らく君臨し,CMに登場した姿と,ボートレースの親分という印象のみがあるだけである.1冊の評伝を鵜呑みにすることは危険ではあるが,ここに現れる笹川象は,これまでマスコミによって誘導されていたものとは,かなり違うものである.波瀾万丈の一代記,読み物として大変面白い.

それだけ慈善活動に打ち込んだ人が、なぜこれほその酷評に晒されたのか。笹川が日本の社会では、まるで戦後の悪の象徴のようにマスメディアから呼ばれた理由はどこにあるのか。日本と外国での笹川に対する評価の落差の大きさが不思議だった。
(略)
日本という国に、これだけ濃密で密着して生き抜いた人物は、珍しいと思った。彼の体内には炎のような生命力が溢れ,それが流れる血であり、その身体を支える骨肉であった。
 だからころ日本の社会において笹川はあれほどの誹謗中傷に晒されたともいえる。
 あまりに激しく己の意思を貫き通した上に、理想を実現するツールを手にしていた。ツールとは彼が生み出した巨万の富だった。常人の能力をはるかに超える財力を身につける天賦の才能があった。

笹川良一川端康成は同郷で親同士は旧知の間柄であった.川端は幼い頃両親を亡くし,祖父に育てられるがその祖父とも14歳で死別する.学業優秀であったため親戚の援助を得て一高,東大へ進む.一方笹川は,資産も有り,勉学もできたが,実学を重んじ,農業補修学校へ1年,寺での修行を2年行う.

帯の文句より

メザシを愛し、風呂の湯は桶の半分まで。贅沢を嫌い、徹底した実利思考と
天賦の才で財を成すも、福祉事業に邁進し残した財産は借金ばかり。家庭を顧みず、天下国家、世のために奔走。腹心の裏切り行為は素知らぬ顔でやり過ごし、悪口は有名税と笑って済ませた。仏壇には、関係した女の名が記された短冊を70以上並べ、終生,色恋に執心した。日本の首領(ドン)の知らぜざる素顔
情に厚く、利に通じ―
「昭和の怪物」の正体

本書で知ったこと

  • 飛行機に興味を持ち,寺での修行後,二年間飛行機の修理や操縦を学んだこと。昭和14年にはイタリアへ訪問飛行を行い,ムッソリーニと会見した
  • 大阪の商品相場で巨万の富を築いたこと
  • 戦前,愛国運動に関わるも,暴力反対の立場をとるとともに,公的役職には一切就かなかった
  • 男装の麗人川島芳子との邂逅
  • 戦後,BC級戦犯とその家族を支援したこと,その救援活動を自ら語ることはなかったこと
  • ゴミ捨て場を買って,船の科学館を建てたこと,お台場で唯一の民有地であること(先見の明)
  • 晩年はハンセン病支援に私財をすべてつぎ込んだこと
  • 90歳をすぎても40以上若い愛人がいたこと
  • 晩年になっても非常階段を10階くらい平気で登ったこと

自身の理想にしたがって突き進んでいった人生であったが,では,家族が特に子どもたちが,恵まれた家庭環境であったか,経済的に恵まれていたかというと,まったくそんなことはないらしい.

母背負い宮のきざはしかぞえてもかぞえつくせぬ母の恩愛

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【読んだきっかけ】
110718金沢未来堂書購入.その日の深夜に読了.
【一緒に手に取る本】

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BC級戦犯とその家族に対する長年の支援活動について本人が語ることはなく,伊藤隆東大教授による書簡類の整理によって明らかになったという.
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