“演技術とは、説得と感動の技術である。演技術は、思想を持った技術である” 『演劇論入門―賢く生きるための方法論序説』 鴻上尚史 in 『私家版 第三舞台』 サードステージ 白水社

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日本では、いまだに、演妓術というものが確立してはいない。俳優達は、どう演じるかということより、どう好かれるかということばかりを考えている。
(中略)
演技術とは、説得と感動の技術である。これは、男と女の関係でいえぱ、タイプではないが、尊敬される異性になるかどうかということなのである。全ての異性のタイプになるなどということは、不可能である。
現代は、巨大な自意識の時代である。かつてこれほどまで、平凡であること、凡庸であることが、全員から拒否された時代があっただろうか。
(中略)
そして、子供も大人も、みんな防備した時代がやって来た。
人々が、混乱と無秩序の中で戦っている時代に、あまり人がやつていない美しい「演じ方」とは。おそらくそれは、ある秩序を持ち、火声で怒鳴らず、よく響べ声で論理的に感情を表現する「演じ方」だったはずだ。そういう「演じ方」が出来れば、人々はそれを美しいと感じ、そういう「演な方」を見たいと人々は殺到し距はずだ。
それが、「新劇」だったのだ。
「新劇」の演技術は、まさにそういう時代の要求によって、意識的にも無意識的にも成立したのである。
僕が夢想するのは、「小劇場」とはなんの関係もない、現在の演技術である。それは、「新劇」やアングラの一部の人達が進んでいる深て面白い演技と、確実にどこかでつながっているはずである。その演技論は、現代を撃つ素敵でチャーミングな演技論なのである。
演技術は、思想を持った技術である。だからこそ、まず俳優が現在をどう思っているかいうことが問題となる。僕は現在を「自意識と演技の時代」だととらえている。この認識からまず始まる。
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【読んだきっかけ】
25年前,第三舞台の芝居を一度見損なっているらしい.観に行くはずだったのに,私が盲腸になったために取りやめになったとか.何も覚えていない.盲腸の手術のほうは,きめ細かく覚えているのに.
【一緒に手に取る本】