“なぜ“をどり”なのか、なぜ創作なのか、なぜそうあらねばならないのか、このような仕事(芸術)には常に自身の影のようにつきまとう問いである” 『怪男児 麿赤兒がゆく 憂き世 戯れて候ふ』 麿赤兒 朝日新聞出版

- 作者: 麿赤兒
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2011/10/07
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早稲田大学のHP配下の片隅に,下記のような記載がありました,(URL)
1943年奈良県生まれ。本学文学部中退。「ぶどうの会」を経て舞踏家土方巽に師事、その後状況劇場の設立に参加。60年代から70年代の演劇界に変革の嵐を起こす。
72年、舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げ。舞踏に大仕掛けを用いたスペクタクル性の強い手法を導入し、海外でも高い評価を受けている。
また、映画、舞台などでの活躍も目覚ましく、出演作品多数。
俳優の大森南朋(おおもりなお ),映画監督の大森立嗣(おおもりたつし)は息子さん.
麿赤兒が上京して,唐十郎,土方巽らと出会い,舞踊の世界ののめり込んでいく奮闘記.
はじめに,より
これは、一九六一(昭和三十六)年に奈良県の畝傍(うねび)高校を卒業し、芝居を志して上京し以来四十歳に至るまでの私の恍惚の日々の一端である。恍惚といってもいま思えばの謂(いい)であり、 有り体にいうと狂乱乱舞といったほうがいいかもしれない。何か得体の知れないモノに取り憑かれ、血がたぎり熱に浮かされていたのだ。しかしこのような状態は私だけに限ったコトではあるまい。何時の時代でもすべての青少年が一度は罹る病であろう。ことにあの頃の東京、私の場合は特に新宿であるが、あの街角に立てぱ、ポッと出の田舎者の血は一層煮えたぎり、病はますます拗(こじ)れてくる。それでもよき年になればそんな病も徐々に癒えて、思い出の味として甘くも苦くも味わえる余裕がでてくるものであろうが、私の恍惚の病はいまだに癒えることがない。
土方巽のところに集まる訪問者たち
訪問者の面々をざっと挙げると、埴谷雄高,三島由紀夫,渋澤龍彦,加藤郁乎,松山俊太郎,中西夏之,瀧口修造,野中ユリ,細江英公,吉岡実,池田龍夫,池田満寿夫.三好豊一郎,種村季弘,飯島耕一,赤瀬川原平,荒木経惟,篠山紀信,高橋逸郎,嵐山光三郎などである。
堀田善衛,田辺茂一,などの名前もでてくる!寺山修司・唐十郎の(葬式用)花輪事件の顛末など.
戦争で死んだ父親の昔の部下との再会,金粉ショウの取り立て物語,麿赤兒の名前のいわれ,などなど.
最終章 「須臾(しゅゆ)の四半世紀“をどり”を続けています」より
P.258
かつては独立という形で何人も一派を旗揚げした。独立した連中は、一時は元気よくやっているが、ほとんど何年かするとさまざまの問題でつぶれてしまう。今も持続している強者は残念ながら五指に満たない。ナマジではないのだ、老婆心とでもいうのか、私にそれが少々つらい。をどる喜び、創造の喜びを見出せば見出すほど“をどる囲呆”に純化されてゆく。その阿呆を陰になり日向になり支えるのが制作マンなのだ。それも余程の理解と情熱、体力がないと務まらない。資金面、対外交渉、日々の雑務、客入れ客出しのさばき等々のバックアップがあって、一つの公演が成立する。良い作品なら放っておいても自然に人前で発表できるほど甘くはない。幸いにして曲がりなりにも我が艦には、そういう手練がいる。何年もその連中を見届けてきた側作マンだ。独立して一派を掲げて苦労するのも一つの考えだが、むしろ内部で一派を掲げても良いではないか。まず大いに無駄がはぶける。同時に新参者の目が、先輩達の酒の席での大口が本物かどうかを見届ける現場にもなる。先輩も自身の作品に気含が入る。制作マンも見ている。そして私も見ている。
P.259
いずれにしろ内部における熾烈な切磋琢磨効用であると産婆役の私はほくそ笑む。しかし、世界は広い。どこの暗闇にどんな刺客が潜んでいるかわからない。時折その刺客がとんでもない方向からとんでもない部分に言葉の刀を突き付けてくる。生みの親であり、育ての親でもある彼らがどのようにその子(作品)を救うかが問題である。救うのも見殺しにするのも、正負のちがいこそあれ、同じ程度の力が作用するのだ。救うのも戦い、見殺しするのも戦いである。産婆役の私としては取り上げた子供(作品)を思うと、可愛い孫がいじめ.られているような気分であるが、私が出て行ってとやかく刺客を返り討ちにするのはちょっと出しゃばりすぎの観があるから、その親達を叱咤激励して後方から見守るしかない。要は親の体力、気力、蛮力が問われているのだ。なぜ“をどり”なのか、なぜ創作なのか、なぜそうあらねばならないのか、このような仕事(芸術)には常に自身の影のようにつきまとう問いである。その影から逃れることはできない。その影を遮断するには、自身の存在を否定しなければならない。あるいは何かの影に隠れるしかスベがない。果たしてそれが良いのか。存在している以上その影を引き受けなければならないのだ。そしてどのようにその影を引き受けるかである。それは私も含めて誰もが個々に答えを出すべきコトである。
【関連読書日誌】
【読んだきっかけ】
嵐山光三郎がエッセーで,麿のことを書いていた.それまで,麿赤兒のことはほとんど知らなかった.本書のことは書評にて.
【一緒に手に取る本】

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