“日本では、使用済み核廃棄物―つまり、使用済み核燃料の処分方法について、歴史の批判に耐える具体案を持っている人は誰もいないのである” 『福島原発の真実  (平凡社新書) 』 佐藤栄佐久 平凡社

福島原発の真実 (平凡社新書)

福島原発の真実 (平凡社新書)

原子力行政にいては,推進派と反対派の二つに色分けされ,ラベル付けされて,真に理性的な議論ができる環境がなかった,ことが大きな問題であった.為政者,行政の責任はもちろんだが,マスメディアの責任も大きい.
 本書の著者,佐藤栄佐久,は,その中で,従来の色分けにおける,推進派でもなければ,反対派でもない.福島県知事として,原発を受容しつつも,県民の安全をいかに守るか,という立場で,何十年にもわたり県政を主導してきた人である.そういう人による,原発論であるからこそ,大きな意味を持つ.原発行政の内実が明らかになる,と言う点で,今後の原子力を考える上で必読の書であろう.
 原子力の将来を考える上で,考えるべきことは,実は二つある.一つは,現在の原発が安全であるかどうか,ということ.そしてもう一つは,廃棄物,いわゆる核のゴミを始末できるのか,という点である.
第1章,事故は隠されていた
第2章,まぼろしの核燃料サイクル
第3章 安全神話の失墜
第4章,核燃料税の攻防
2000年,2001年の頃のこと
P.84

東電の南直哉社長は電力自由化を旗印にしてきたが、経産省内部ではこのとき自由化論と反自由化論が衝突しており、「核燃料サイクルをいま止めなければ、実用化しないのに十九兆円のコストが発生する」という、「十九兆円の請求書」として有名な怪文書が出回ったが、おそらくこの文書の作成者であっただろう自由化論者の官僚たちは経産省を追われ、再び原発推進派の天下となった。

第5章,国との全面対決
第6章,握りつぶされた内部告発
検査記録改ざんが発覚し,2002年9月東電幹部総退陣
P.159

知事就任後の疑問を、また繰り返さざるを得ない。原発の中は、当然われわれには窺い知ることのできない世界である。ひび割れがあったとして、それが大きな事故につながりかねないものなのかどうかは、専門家にしかわからない。われわれ福島県民は、専門家を信用するしかないのである。

第7章,大停電が来る
P.192

原子力安全・保安院は、「原発の“安心”は、科学の合理的な積み重ねで実現される」と主張を繰り返してきた。
 私は違うと思う。「安心」は断じて「サイエンス」ではない。まして、県民の納得を得ようともせずにそれまでの安全基準を緩和した「維持基準」という「合理的な科学」は、不具合を隠すために使われているのではないかと疑われ、福島県民に「安心」は永遠に訪れない。

第8章,「日本病」と原発政策
P.204

 また、こんな新しい試みも行った。9月4日、東京・大手町で、核燃料サイクルの推進はと反対派の論客を集め、議論を戦わせる「核燃料サイクルを考える」国際シンポジウムを県主催で行ったのだ。ちょうど国の原子力政策大綱の確定作業が大詰めを迎えており、核燃料サイクルの議論の場を設けるのが目的だ。「東京」でやるのがミソである。
 ここにはふたつの「原子力の悲しい現実」がある。このような討論の場は、本来ならば国が、もっと前の段階で設けるべきだが、原子力委員会に出席したときのやりとりのように、建前上、国から独立した原子力政策検討機関でもやる気がまったくないという現実、そして、福島県が主催する会をわざわざ東京でやることに意義はあるが、東京にはそういう議論を起こすつもりがやはりないこと。つまり需用者である首都圏の住民は、自分の使う電気がどこでできているかに関心がない。

P.205

 日本では、使用済み核廃棄物―つまり、使用済み核燃料の処分方法について、歴史の批判に耐える具体案を持っている人は誰もいないのである。責任者の顔が見えず、誰も責任を取らない日本型社会の中で、お互いの顔を見合わせながら、レミングのように破局に向かって全力で走っていく、という決意でも固めているように私には見える。大義も勝ち目もない戦争で、最後の破局、そして敗戦を私たち日本人が迎えてからまだ七〇年たっていない。
 これこそが「日本病」なのだと私は思う。

2005年原子力安全委員を務めていた神戸大学名誉教授の地震学者,石橋克彦氏が抗議の辞任をする。島根原発で発見された活断層の扱いに関しての抗議である.
P.211

 事務局である官僚に牛耳られている原子力安全委員会の体質は、残念ながら少しも変わっていなかった。

エピローグ
P.241

 原発事故への政府や福島県の対応について、多くの不満の声が聞かれる。そのほとんどは、リーダーシップの不在と方向性が定まらないことに向けられている。
 しかし、決断するには、さまざまな既得権益と闘わなくてはならない。そもそもリーダーとは孤独なものだが、既得権益に―特に本書でもみてきたように、観のそれに踏み込むとき―抵抗は最高潮に達する。官はなりふりかまわない。官は裏切る。仲間割れを仕掛けてくることもある。そしてトップのみが、それをはね返すことができるのだ。

【関連読書日誌】

  • (URL)現在生じている事態は、単なる技術的な欠陥や組織的な不備に起因し、それゆえそのレベルの手直しで解決可能な瑕疵によるものと見るべきではない” 『福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと』 山本義隆 みすず書房
  • (URL)私たちは、なぜ原発を、「なかったこと」のようにして、議論のアリーナから退場させてしまたのか” 傍観者からの手紙87 「オルレアンのうわさ」,外岡秀俊, みすず 2011年10月号 no.598
  • (URL)科学(者)への信頼は,何が確実に言えて,何が言えないか,それを科学者自身が明確に述べるところに成り立つといえる。科学とは,まずなによりも《限界》の知であるはずである” 『見えないもの,そして見えているのにだれも見ていないもの』 鷲田清一 科学 2011年 07月号 岩波書店
  • (URL)今回の大災害は、これまで通用してきたほとんどの言説を無力化させた。それだけではない。そうした言葉を弄して世の中を煽ったり誑かしたりしてきた連中の本性を暴露させた。” 『津波原発』 佐野眞一 講談社
  • (URL)『核がなくならない7つの理由  (新潮新書)』  春原剛 新潮社

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

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