“しかしここでは、あえてこれを「科学の完全無欠幻想」と呼ぶことにしたい” 『科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328) 』 平川秀幸 日本放送出版協会

STS(Science, Technology and Society 科学技術社会論)の入門書.実によくまとまっている.
はじめに
第1章 輝かしく陰鬱な1970年代という曲がり角
第2章 「統治」から「ガバナンス」へ
「アウェー」としてのサイエンスカフェ
P.67

 さて、ここで一つ、英国の信頼の危機の最中で誕生した公共的関与の代表的な取り組み例として、「サイエンスカフェ」を紹介しておこう。
 サイエンスカフェは、喫茶店やバー(英国ならパブ)などリラックスできる場所で、お茶やお酒、食べ物を楽しみながら、科学技術に関わる話題について、若干の専門家と一般市民が議論するという対話イベントのこと。もともとは1998年に英国のリーズで、ジャーナリストのダンカン・ダラスらが始めた「カフェ・シアンティフィーク(Cafe Scientifique)」や、それより少し前にフランスで始まった活動が発端となっている。日本でも2004年ごろから急速に広まり、現在では年間1000件近く開催されている。

第3章 科学は「完全無欠」か
「完全無欠の科学」という幻想
P.84

 科学技術が本来的にもつ、「不確実性」と「社会の利害関係・価値観との絡み合い」という特質。それをふまえて、「科学なしでは解けないが、科学だけでは解けない問題」に僕たちがどう向き合うべきなのか、何ができるのかーーあるいは、そもそもそれは誰もが取り組まなければいけない問題なのか。
(中略)
 まず指摘しておきたいのが、世の中に広がっている「科学は確かな正解を答えてくれる」という「期待」についてだ。もちろん科学という営みは、正しく確かな答えを探すことが目的であり、期待をもつことそのものは間違っていない。
 しかしここでは、あえてこれを「科学の完全無欠幻想」と呼ぶことにしたい。なぜならこの期待は、往々にして科学の「正しさ」や「確かさ」の実態にそぐわない過剰なものになりがちだからだ。

実験室の科学はまだ「途半ば」
P.93

 科学の研究とは、大雑把にいえば、ある現象がどうして起きるのか、その原因となるメカニズム(因果関係)を探し出したり、ある目的を達成するための方法(たとえば、ある性質をもった化合物を作るにはどうしたらいいか)を探ったりすることである。
 そのためにはまず、既存の知識をもとにして原因や方法に関する「仮説」を立て、次いでいろいろな実験や観測のデlタを集めることで、その仮説が正しいかを検証していく。そうやってきまざまな検証をくぐり抜けて正しいとされた仮説が「事実」を表す「正しい知識」になる。
 だから、実験室で目にするのは、正しい知識の確立に向かう「生成途上の科学」だ。現在進行中の科学ということで、「作動中の科学(science in action)」という呼び方もある。
 生成途上=作動中の科学の一番の特徴は、当たり前だが、まだ何が正しい答えなのか、「ファイナルアンサl」がわからないということだ。

誠実な科学者は、白黒つけられない
P.114

 プロの研究者や技術者は、こうした科学知識の「状況依存性」に非常に敏感だ。このため科学者の説明というのは、世間が期待するのと違って、スッキリしたものにはなりにくい。ある結論の正しきゃ確かさは、いろいろな理論的前提(仮定)や実験条件に依存するし、多かれ少なかれ不確実性もあるため、正確に説明しようとすればするほど「これこれの場合にはこうなりますが、別の場合にはこうなります。またこの部分についてはよくわかっていません」という具合に、科学者の話は回りくどくなり、白黒はっきりした答えを期待する側からすれば実にあいまいになりがちだ。
 「安全性」の話はその典型例だ。たとえばこんな話がある。

 上記は,鈴木孝夫氏が言うところの「良心的な科学者ほど、このままでは地球がダメになるというはっきりしたデータがでるまで、絶対にそれを認めません。そして、彼らがもうダメだと認めたときには、すでに手遅れの時なのです。」と一緒だ.
P.121 注4

いいかえれば、「○○してはいけない」というような道徳的な主張は、今日では、それ自体では説得力をもてず、「確実な科学」といういわば虎の威を借りねばならなくなっているのだ。その意味でニセ科学がなぜ信じられてしまうのかという問題は、「科学的な思考ができない」「科学リテラシーが足りない」というようなことだけではなく、現代が(科学を除いて)あらゆる権威が力を失った「社会の底が抜けてしまった時代」(宮台真司『日本の難点』、幻冬舎新書、2009年)であるということの問題としても考えたほうがよいように思われる。

P.122 注9

代替フロンオゾン層を破壊する性質はもたない代わりに、二酸化炭素の千数百倍の温室効果をもっ物質である。

第4章 科学技術と社会のディープな関係
第5章 科学の不確実性とどう付き合うか
第6章 知ること、つながること
第7章 知を力にするために
P.228

広くいいかえれば、「科学が問わない」あるいは「科学が問えない」問いを問うこと、科学者ではないがゆえに湧き上がってくる疑問を口にすること、それこそが、僕たちが科学技術ガパナンスのなかで果たせる、そして果たすべき決定的な役割なのだ。関西人風にいえば、「なんでやねん!?」と科学技術の斜め横からツッコミを入れることだ。

おわりに
P.251

 もう幼年近く前になるが、物理から科学哲学に「文転」してからのこと。授業がきっかけで、たまたま読むことになった政治哲学者ハンナ・アレントの『人間の条件』という本に、僕はあっという聞に惹き込まれてしまった。それまで、どちらかといえば科学の側から社会を見ていた僕が、社会の側から、とくに公共性や政治という観点から科学を見るようになった決定的なきっかけが、その本だった。
 なかでも強烈に頭に刻まれたのは、彼女の「人間の複数性(plurarity)」という概念。そして「公共空間(public realm)」こについての考え方だ。

ハンナ・アーレント
【関連読書日誌】

  • (URL)良心的な科学者ほど、このままでは地球がダメになるというはっきりしたデータがでるまで、絶対にそれを認めません。そして、彼らがもうダメだと認めたときには、すでに手遅れの時なのです。” 『しあわせ節電』 鈴木孝夫 文藝春秋
  • URL)科学技術についても、社会保障など他の社会政策と同様に、意思決定に参加し、影響力を行使するための権利の保障/責任といった「市民権(シティズンシップ)」が求められている” 『みんなが選ぶ1冊』 「科学技術と社会の相互作用」 第2回シンポジウム配付資料 (2/4)
  • (URL)未来の世界の住民は、ネットワークに触れることで、運命によらず確率によって、動物的な生の安全の閉域から外に踏みだし、社会との接点を回復する” 『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』 東浩紀 講談社

【読んだきっかけ】
2011.12読了
【一緒に手に取る本】

日本の難点 (幻冬舎新書)

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もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)

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リスクコミュニケーション論 (シリーズ環境リスクマネジメント)

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