“心理療法には、どうしても譲ることのできない点がある。それは、人間というものは、憎しみを分かつためではなく、共生共苦の慈悲を分かつために生まれてきた、ということである” 『素足の心理療法  (始まりの本) 』 霜山徳爾, 妙木浩之[解説] みすず書房

素足の心理療法 (始まりの本)

素足の心理療法 (始まりの本)

霜山徳爾の名著『素足の心理療法』が,装いを新たにして再刊された.みすず書房の新しいシリーズ,《始まりの本》の1冊としてである.このシリーズは,魅力的なタイトルを揃えていると同時に,デザインも良い.さて,件の『素足の心理療法』は,旧版と全集に収められているものについで,3冊目となる.それほど思い入れが深い私にとって大切な一書.心理療法の此岸と彼岸なる一章が追加されているとともに,妙木浩之氏による解説が加わった.
 帯より

「素足であることは生の事象に対して
虚心坦懐に、素直に対することである」
熟達の臨床家が後進に遺した、最初で最後の心理療法指南書。

心理療法の歴史を顧みると、初めのうちこそ患者があって理論が生まれてきた素足の時代があったようであるが、次第に大ていは誰でも、まず自分の気に入った理論という靴をはいて患者を診るようになってきた。靴をはくのは自分の足を保護したり、外見をよくしたりするのには、たしかに役に立つかもしれない。しかし言葉通りの隔靴掻痒という現象もすべての心理療法の各流派について出現してきたのも事実である。大地に、患者に、そして患者を生んだ文化に、素直にしっかりと、はだしで立つことは、何か土くさい、ローカルなこととして考えられるようになってきた。しかし心理療法というものは、もともとローカルなもとして始まったのである。

一章,一章が宝物のような本なのである.本書を手にとって何か響いた人は,是非全集を読んでほしいと思う.
ここでは,あとがきに代えてから,以下を引いておきたい.

 「たけき人もついにはほろびぬ」(平家物語)で、人間は晩秋にわくら葉が一枚一枚と落ちていくように、死のうちに落ちていく。特別養護老人ホームで死を迎える人も、大病院の特別室で臨終を迎える富める人も、死そのものの姿は同じである。ただ、しかし、限りなく優しく、このいずれの落葉をも、そっと受けとめてくれるものがあるのではないだろうか。
 その日まで「素足の心理療法」は人々を支える小さな扶けになればよいと思う。心理療法は声高であってはいけないのである。多くの人の出入りがあるであろう。往く者は追わず、来る者は拒まないのは古くからの中国の英知である。臨床家は惑うことが多いであろう。それでよいのである。たとえば、ある人が中年にさしかかってミザントロープにならないのは、かつて一度も人間を真に愛したことのない証拠である。またある人が老年にさしかかってミザントロープになるのは、かつて一度も人間に真に愛されたことのない証拠である。前半が判りにくいかもしれないが、これが生の機微である。
 心理療法には、どうしても譲ることのできない点がある。それは、人間というものは、憎しみを分かつためではなく、共生共苦の慈悲を分かつために生まれてきた、ということである。これはソフォクレスのアンチゴネーの言葉である。心理療法はこの一点だけは、技法に支えられて、固く護らねばならないと思う。

あとがきの最後では,

書き終わってふと見たあるドイツ詩人の一つの詩は私がくだくだしく述べたことをすべて言い現しているのには驚いている。

と述べて,Geheimnisse と題する詩が,原語(ドイツ語)で引かれている.これは調べたところ,ハンス・カロッサの「秘密」という詩である.田口義弘訳を以下に掲げておきます.

    秘密     Geheimnisse 1918

星は燃えていなければならない、         Stern muß verbrennen
眠ることなく天空の精気(エーテル)のなかで―  Schlaflos im Raume,
地球のまわりで                 Damit um Erden
生命が緑に息づくためには。           Das Leben grünt.

血は土に沈みこまなければならない、       Blut muß versinken
あまたの血が またあまたの涙が―        viel Blut, viel Tränen,
地球が私たちの                 Damit uns Erde
故郷となるためには。              Zur Heimat wird.

さまざまな力の激流が 傷ついた         Wo Kräfte rasen
憎悪のなかをめぐるところ、           In wundem Hasse,
そこで純粋な治癒の力が             Quillt lautre Heikraft
湧き出るのだ よき死のうちから。        Aus gutem Tod.

私たちが迷っている限り、            Solang wir irren,
諸力は目覚め見守っている。           Wachen die Mächte.
苦しさにおける協調のうちから          In bittrer Eintracht
私たちは光を求める。              Suchen wir Licht.

そしてあらゆる奇蹟が              Und alle Wunder
さまざまな岸辺で起こる。            Geschehn an Ufern.
自由な浜に向かって、              Wir drängen alle
私たちはみな突き進むのだ。           Zum frien Strand.

私たちは太陽の成分を              Es gibt kein Ende,
身にになっている。               Nur glühendes Dienen
私たちは消えなければならないのだ、       Zerfallend senden
強いもので私たちがあるかぎり。         Wir strahlen aus.

【関連読書日誌】

  • (URL)何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と” 『夜と霧 新版』 ヴィクトール・E・フランクル 池田香代子訳 みすず書房
  • (URL)科学(者)への信頼は,何が確実に言えて,何が言えないか,それを科学者自身が明確に述べるところに成り立つといえる。科学とは,まずなによりも《限界》の知であるはずである” 『見えないもの,そして見えているのにだれも見ていないもの』 鷲田清一 科学 2011年 07月号 岩波書店
  • (URL)そのひとの佇まいが、そのひとについてのいちばん大切な情報だと思うようになった”  『ひとりの午後に』 上野千鶴子 日本放送出版協会

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下記の本は珍しい.
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